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円龍寺若坊,28歳

表白(ひょうびゃく)って何。法事や葬儀で僧侶が読んでいる願い

投稿日:2017年1月8日 更新日:

表白

こんばんは。  真宗僧侶のかっけいです。

法事や葬儀の時に僧侶がお経を読むときとは違った雰囲気でお勤めするときがありますね。

例えば、「夫れ(それ)惟みれば(おもんみれば)、……」で始まったり、「敬って(うやまって)白す(もうす)」や「哀愍納受し給え(あいみんのうじゅしたまえ)」で締めくくられている言葉ですね。

あれは表白(ひょうびゃく)と言われるものです。

今回はこの表白の役割と意味について紹介します。

表白(ひょうびゃく)という言葉の意味。

表白とは「表敬告白(ひょうけいこくはく)」という言葉を簡略化したものです。お寺さんによっては表敬告白文とも言われる方もいます。

意味は漢字の通りで、敬いの気持ちを表し、自分の思いを申し告げるという意味があります。

文尾が「敬って白す」で終わることも多いので、「敬白文(けいはくぶん)」と呼ばれたり、ひろく大衆に告げるというところから、「開白(かいびゃく)」や「啓白(けいはく)」とも宗派によっては呼ぶそうです。

「白」という漢字は「白す(もうす)」と読み、申し上げるという意味です。言うという言葉の謙譲語ですね

表白の役割。

表白が読まれるのはどんな時か。

仏式の法事や葬儀などの法要で読み上げられます。

真宗では伽陀(かだ)の後に読むことが多いと思います。

真宗でお勤めする伽陀で有名なものに、「先請弥陀入道場 不違弘願応時迎 観音勢至塵沙衆 従仏乗華来入会」の先請伽陀(ぜんしょうかだ)があります。簡単な意味としては、法要の場に阿弥陀仏を、そして観音菩薩や勢至菩薩、諸々の諸仏を迎えているということです。

そして仏様を迎えた後に読むのがこの表白となります。

ただし必ず読まれるものではありません。

表白の役割。

表白はその法要の趣旨を述べているのです。

法要儀式のときに仏前で、その法会を勤めることの目的(趣旨や願意)を教主・釈迦如来や願主・阿弥陀如来及び、諸仏や参列された大衆に知らせる役割があります。

そのため表白には、仏様の徳を讃嘆する内容がまず書かれることが多いと思います。

表白の歴史。

表白とは先ほど説明しましたように、法要の目的を述べるときに読まれるのですが、言い換えれば「願文(がんもん)」とも表現できます。

願文とは法要だけでなく、寺社仏閣を建立するとき・仏像を造るとき・写経をするとき・大事業をするとき等々、施主の願意を記した文章となります。

例えば比叡山を開かれた最澄も願文を作製されたなど、平安時代の頃から願文というのは存在しました。そして文章博士(もんじょうはかせ)という立派な願文を作製できる人も平安時代の頃にはいました。

紫式部が書いた源氏物語の夕顔にも願文について書かれています。

かの人の四十九日、忍びて比叡の法華堂にて、事そがず、装束よりはじめて、さるべきものども、こまかに、誦経(ずきょう)などせさせ給ひぬ。経、仏の飾りまでおろかならず、惟光が兄の阿闍梨(あじゃり)、いと尊き人にて、二なうしけり。

御書の師にて、睦しく思す文章博士召して、願文作らせ給ふ。

簡単に訳すと、49日の法要を比叡山の法華堂で勤めたいので、親しい文章博士を呼んで願文(表白)を作らせたと書いています。

表白とは日本に仏教が伝わった古い時代から、現在に至るまで続いていることが分かります。

さいごに。表白は難しい。

表白とは法会のたびにふさわしい文言にするのが好ましいのです。

しかし実際には法会のたびに表白を用意するのは大変です。

なぜならその仏事儀式の趣旨を導師が十分にくみ取るだけでなく、仏典の内容・教義だけでなく、語彙の豊富さ語調などもきっちりとしないといけないからです。

ですので古い時代では文章博士と呼ばれる人が作製したり内容の手直しをしてくれていました。

現代では僧侶がお勤めする際の経典にいくつかの表白の例文が書かれており、お坊さんはこれをそのまま使っていることが多いです。

しかし例えば継職法要や葬儀法要、仏前結婚式法要、建碑法要などなど年忌法要以外でもその場にふさわしい表白が望ましいのです。

文語体で書かれていることが多くこれもハードルを上げているような気がします。別に口語体でもいいのですが、仏事の厳かな雰囲気ではやはり文語体で読み上げる方が多いのかな。

 

ただ忘れてはいけないのは、表白(願文)を読み上げるということは、ただ僧侶(お坊さん)が意味の分からないことを言っているのではなく、その法要を勤めている意義を述べ、私たちをお浄土へ導いてくださる仏様に宣誓し、その法要の場に参列しているすべての人が、仏様の救いの中で仏事のご縁に出逢わさしていただいていると気づかさしていただくものです。

導師だけでなくその法会に集う全ての人々が、表白の心で法会に臨むのが理想となります。

【追記】表白の現代語訳例

 この記事を書いてから、ご門徒さんから仏事で読まれる表白の役割を理解していただけたようです。ただ表白がどういうものかは分かったのですが、表白の内容については意味不明な状態だそうです。

そこで表白の現代語訳を紹介しようと思います。

ただ表白で使われている言葉は独特で、経典や高僧の方たちが表現された言葉が散りばめられているので、直訳をしますと僧侶以外には伝わりにくい訳になってしまいそうです。

例えば「哀愍納受(あいみんのうじゅ)」という言葉です。
哀愍という言葉を辞書の通りの意味にしますと「悲しみ哀れむこと。ふびんに思うこと。」とありますが、この意味では語弊がうまれそうです。なぜならこの言葉は、仏説無量寿経の中に出てくる「我当哀愍 度脱一切」で阿弥陀様がすべての衆生を救おうという願いの中で出てきたものです。すなわちそれは「慈悲の心」ということです。ただこの慈悲の心というのは私たちが一般的に考える自分より下に感じる人に対する情けから出る慈悲ではなく、仏様の自然(じねん)の中で出てくるはたらきですので、言い換えれば「大菩提心」となります。

しかし哀愍を「大菩提心より」と訳すと意訳が過ぎると思いましたので、最終的には「阿弥陀様の慈悲の心より」と仏様の慈悲であることを示しました。

前置きが長くなりましたが、今から紹介する現代語訳は一般の方にもできるだけわかりやすく伝わるように、本来の言葉を使わずに別の表現で訳している箇所があります。

ですのでこれが正しい訳とは思わないでください。

どのような内容が表白で読み上げられているのか、雰囲気を感じてください。

現代語訳例①【年忌法要の表白】

敬(うやも)うて彌陀願王教主釋迦如来 
念仏傳来の諸大師等に白(もう)して言(もう)さく 

夫(そ)れ以(おもんみ)れば 
南浮人身(なんぶにんじん)の生(しょう)をうけ 

稀に西土仏教の査(うきき)に遇い 
宗祖親鸞聖人の化導(けどう)に依りて 
法蔵因位(ほうぞういんに)の本誓を聞く
歓喜胸に満ち渇仰(かつごう)肝に銘ず 

然れば即ち報じても報ずべきは 大悲の仏恩(ぶっとん)
謝しても謝すべきは師長の遺徳なり 

本日茲(ここ)に釋○○ 俗名△△の□年忌に當(あた)り
有縁(うえん)の眷属(けんぞく)相集まり  佛事を営み
佛祖報恩のため 大乗の経典を読誦(どくじゅ)し奉(たてまつ)る 

請い願わくば 蓮華蔵界(れんげぞうかい)の中(うち)にして
今の講肆(こうし)を照見し 檀林寶座(だんりんほうざ)の上より
斯(こ)の梵筵(ぼんねん)に影向(ようごう)したもうらんことを

時平成 年 月 日

 敬うて白す 哀愍納受(あいみんのうじゅ)したまえ

阿弥陀仏の本願の教えを説かれた釈迦如来、
そしてその教えを伝えてくださった諸々の仏・菩薩・高僧たちに申し上げます。

よくよく考えてみますと、人としての稀なるいのちを頂き、
宗祖親鸞聖人の人生をかけておすすめしてくださったことにより
さらに出遇うのが難しい阿弥陀仏の教えに出遇い、
阿弥陀仏の私たちに向けられた願いを聞くことができたことの喜びに満ち、仏様のこころが私に届いています。

ですので、私を救わずにはいられないという悲しいまでの願いをされた阿弥陀様、そしてその教えの道を示してくださった先人たちの恩徳には感謝してもしきれません。

本日ここで釋○○ 俗名△△の□年忌にあたり、
故人とご縁のあった方々が集まって仏事を行ない、
阿弥陀様のご恩に報いるために全ての人を救ってくださる大乗のお経を読み聞かさせていただきます。

どうか願うところは、阿弥陀仏の浄土世界においてこの法要をご覧になり、蓮華座の上からこの法座に回向してくださいますよう、平成何年何月何日に敬って申し上げます。

阿弥陀様の慈悲の心より、私たちの願いをお受けください。

長く感じる人向け(4行要約)

  • 弥陀の本願を伝えて下さった方々に申します。
  • 今ここに私は弥陀仏の教えに出遇いました。
  • この法要で報恩感謝のお勤めをいたします。
  • 敬って申し上げます。

現代語訳例②【年忌法要の表白】

それおもんみれば 
三界(さんがい)は安きことなく 諸行は無常なり
盛んなるものは遂に衰え 
生(しょう)あるものは必ず死に帰(き)す

ことに死の縁無量にして 人の命のはかなきことは 夢まぼろしの如し

ここを以って阿彌陀如来は 
苦悩の衆生を哀れみて 大悲の本願をおこし
南無阿彌陀佛の名号をあたえて われらを救いたもう

しかれば則(すなわ)ち 遺族とともに有縁の人々 
愛別離苦の涙のうちに 人の世の無常を觀(かん)じ
亡き人をしのびつつ 深く佛法に帰依すべし

ここに本日釋○○の□忌に當り 
恭(うやうや)しく佛前を荘厳(しょうごん)し
懇(ねんご)ろに浄土妙典を読誦して 廣大の佛恩を謝したてまつる

願わくは 大衆(だいしゅう)もろともに 
如来の願力を仰いで 称名念仏怠りなく
当来には安養(あんにょう)浄土に往生して
倶会一処の妙果を證(しょう)せんことを 
敬って 白す

よくよく考えてみますと、不安や苦しみなどの迷いの中に生きている私たちは心が安らかになることはなく、諸行無上のいのちです。どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えていき、生きているものはやがて死んでいきます。とりわけ死んでいくことへの縁というのは数限りなくあります。そして人の命というのは空しいもので、非常にはかないものです。

苦悩の中で生き、空しく過ごしている私たちを阿彌陀如来は、大菩提心より大悲の本願を誓い、南無阿弥陀仏のお名号を私たちに与えて、悩みの中に生きている人を救って下さっています。

ですので、遺族の人たちと共にご縁のある方々は、身近な親しい人との悲しい別れを通して、人のいのちのはかないことに思いを巡らし、亡き人を偲んでいく中で、ますます仏法を頂いてください。

本日ここに、釋○○の□年忌にあたり、丁重にご仏前をお飾りさせていただき、心を込めてお浄土の経典を読み聞かさせていただき、阿弥陀様の限りないご恩に感謝させていただきます。

願うことには、この法座に集まった多くの人々とともに阿弥陀仏の本願力をいただき、南無阿弥陀仏のお名号を確かに保ち続け、後に阿弥陀様のお浄土に生まれさせていただき、共に一つのところで出会えることが間違いないことを、敬って申し上げます。

長く感じる人向け(4行要約)

  • 人の命は儚く、人生は空しいです。
  • 弥陀はこの私を救う念仏を与えて下さいました。
  • 故人の法要でご恩にお礼をさせて頂きます。
  • 敬って申し上げます。

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