ほしい物リストより、お線香ありがとうございました

密葬は後でもう一度葬儀をすることを知らないのか

こんばんは。 僧侶のかっけいです。

昔は葬儀の名称とは「本葬(ほんそう)」と「密葬(みっそう)」の2種類だけでした。

それが今日では「家族葬」・「直葬」をはじめとして、「友人葬」・「市民葬」・「社葬」・「樹木葬」・「無宗教葬」などなどと、あらゆる「○○葬」が乱立しています。

ここ数年においては葬儀の簡素化だけでなく、人間関係のお付き合いを避ける傾向があり、葬儀を知らせずにこっそりと済ませようとする人もいます。

その際には密葬という葬儀名を使って、「人知れず密やかにする葬儀」として利用されていました。

ですがお坊さんからの意見でしょうかね。密葬という言葉が間違って使われていたということで、現在では「密葬(家族葬)」・「家族葬(密葬)」「家族葬」・「親族葬」という風に、葬儀社オリジナルの名称を使うようになってきました。

今回は「家族葬」という言葉に対して突っ込むのではなく、「密葬」という言葉に対してお坊さんが突っ込みます。

「密葬」というのは、後で正式な葬儀である「本葬」をする必要があります。

今回はお坊さんの愚痴のような内容です。内容は無いです。上の赤字の一文が私の言いたいことです。

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葬儀とは何か?

葬儀とは何でしょうか。

辞書的に言えば、「死者を葬る・弔う儀式のこと」です。葬式や葬礼(そうれい)や葬送儀礼とも言いますね。

期間は曖昧で、枕経から始まり納棺・通夜・葬儀式・出棺・火葬・収骨・還骨・初七日・中陰・満中陰・納骨までを葬儀という人もいれば、火葬場に行く前の出棺前に有縁の参列者が集まり故人を偲ぶ法要のことを葬儀式という人もいます。

いずれにしても死者(故人)を偲び葬る儀式のことを葬儀とされます。

本葬とはどんな意味。

【本葬】〘名〙

本式の葬儀。↔仮葬

日本国語大辞典ー第二版ー

本葬とは本式の葬儀という意味です。

本式という言葉は、「省略などをしないやり方」という意味です。

つまりは本式の葬儀とは、「枕経・納棺・通夜・葬儀式・出棺・火葬・収骨・還骨・初七日・中陰・満中陰・納骨」といった一連の葬儀過程を省かないということですね。

密葬とは。

密葬とはどんな意味でしょうか。

秘密裏にこっそりとする葬儀のことでしょうか。確かに密という漢字には隠密や内密といった「ひそかに・人知れずこっそり」という意味があります。

しかし密葬に使われている密とは「親しい・関係が深い」という意味です。親密という言葉もありますね。

密葬とは、正式な葬儀である本葬がきちんと勤められる状態でないときに、先に親しい密な関係の人たちでする仮の葬儀の事です。

密葬の後には必ず本葬をするのです。

例えば小説家太宰治の『斜陽』には次の内容があります。

「叔父さまたちのお世話で、お母さまの密葬を伊豆で行い、本葬は東京ですまして」

現代でも例えば海外といった遠方の地で事故等で急に亡くなった場合は海外で先に密葬ですまし、後に遺骨を持ち帰り国内で本葬として葬儀をしたり、例えば会社の社長であったり政治家であったりと影響力のあり参列者が多い葬儀の場合は近親者・親縁者で先に密葬を行い、後で多方面に案内したり十分な準備したうえで本葬として葬儀をします。

密葬とは家族でする葬儀という意味ではない。

密葬とは現代では間違った使われ方をされています。

例えば密葬を以下のように使ったりするケースがあります。

  • 家族のみといった親しい身内のみで見送る葬儀として。
  • 亡くなったことを公にしないでこっそりとする葬儀として。
  • 香典(供香)、供花、供物をお断りしたり参列者を制限するような葬儀として。

といったように密葬を本来とは違った意味で使われています。

お坊さんからすれば、喪主というのは故人の家族がするのだから葬儀「本葬・密葬」とは全部「家族の葬儀」だと思うのですが、現代では「密葬=家族葬」のようにして使っているのはおかしくないでしょうか。


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さいごに。葬儀とは多くの人に知らせるもの。

葬儀とはできるだけの大勢の人に知らせるものです。(現代では逆の傾向ですが……)

それはなぜでしょうか。

どんな人でも一生に一度は説法をすると言います。

それは自分の死の姿を、他の人に見せるということです。

仏教とは生きることだけでなく、老いること・病気になること・死ぬことに気が付いていくことが非常に大切なことです。(頭で理解するということではありません。自分の事としてこころから気が付くことです。)

昔はお爺さん・お婆さんと家族そろって生活をし、よぼよぼの老人や今にも息を引き取りそうな家族と共に過ごしていました。また兄弟でもいつ亡くなるのか分からないような生活でした。

それが現代ではどうでしょうか。家族はバラバラに過ごし祖父母や両親の衰えを見る機会は減り、子供の世話は保育所等に預け、死ぬときは施設や病院です。

「生・老・病・死」の仏教における大切なことをじっくりと見つめていく機会を失いつつあります。

人間必ず死ぬと思ってもなかなか自分の事としてとらえられないものです。

葬儀とは亡き人を偲ぶ儀式です。

故人との関係が薄く、付き合いとして仕方がなく参列している人もいるでしょう。

しかし亡き人をご縁として死に接する機会に出あい、いのちへの行方を厳粛に見つめる機会にもなります。

また地域とのつながりを確認する場でもあります。本来、人は一人では生きられないものです。しかしお金で解決しようとする現代ではそのことに疎くなりつつあります。人の死を弔う場に立ち会い、一緒に見送っていく儀式を通して、他のいのちとの関係性・つながりを知る機会とするのです。

お坊さんからすれば、葬儀の費用を抑えて簡素化するのは分かります。しかし葬儀という人生一大のいのちを伝える法縁には、ぜひ一人でも多くの参列者にお参りいただき、賑々しく厳かに葬儀が営まれてほしいものです。

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