こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
今日は5月1日です。
平成29年は4月29日(土)から5月7日(日)まで有給休暇をとれば最大9連休も長期休暇が取れますね。
一昔前はゴールデンウィークのような大型連休はお坊さんは大忙しでした。
なぜなら法事・仏事が積極的に勤められていたからです。
昔は連休というのはどの家庭も法事をしようとしていたのですが、最近では考え方が変化してきています。
なぜ連休中の法事・仏事が減ったのか、僧侶が感ずるところを書いていきます。
連休中の法事が減った理由。
- 法事に行くのがかったるい・面倒!
- 連休は個人的な旅行や休暇に使いたい!
要は連休は自分のための休みであって、法事には行きたくなく、うっとうしい!!ということですね。
まあこの法事が減った理由は私が想像で言っているのですが、お参りに行きますと家の人(施主)が申し訳なさそうに親戚に遠慮して法事の日時を変更させてもらえないかとよく相談されてきます。
法事のかつての考え方。
昔の人はこのような言葉を残しています。
「法事・奉賛。孫子の正月」
法事や奉賛(ほうさん)は孫や子の正月って意味がわかりますか。
家での法事やお寺で行う仏教行事は、日常生活と異なり、孫や子が一堂に集まり正月のように賑やかな状況になるということです。(なっていたんですよ。)
かつての法事は招かれた親戚は代表者が一人でお参りするのではなく、配偶者や子供や孫を連れて家族でお参りに来ていました。
法事をする家ではおもてなしの食事や宿泊場所を用意し、お墓やお寺にも法事の後にお参りしました。
現代では私たちが生きていくためには仕事をしてお金を得ないといけません。
子供は学校以外にも、勉強やスポーツなどの習い事で忙しい日々です。
そのような日常生活の中では家庭は核家族化していくこともプラスして、なかなかお祖父さんお祖母さんに会うことや親戚同士が顔を合わす機会が減少しています。
昔の人も現代の人と同じように生きていくために毎日毎日仕事をしていました。
大人・お年寄りは畑仕事など、子供は大人の手伝いや子守りなどをしていました。
そのなかで故人を偲ぶ(供養する)行事というのは生きるために働いていた日常とはまた違った日を過ごすご縁でした。
また長い事あっていなかった親戚と会うことで生存確認の面もあったそうです。
ここで説明すると話がそれるので簡単にだけ言いますが、真宗の法事と言うのは故人のためというよりかは、お参りの人(生きている人)のための仏事です。
ですので昔の法事はできるだけ多くの人がお参りできるように、施主はお参りの人が休みを取りやすい日(連休)に好んで法事が勤めていました。
最近では連休中の法事が避けられています。
この記事を書いているのゴールデンウィーク中です。
昔は連休中は毎日のように法事が予定に入っていましたが、今では全くありません。
そもそも法事を丁寧に勤める家が減ってきたという理由もあるのですが、それでもやはり大型連休の法事は露骨に避けられている印象です。
今でも大型連休に法事を勤めている家の考えはどういう人かと言いますと、
- たまたま連休中に命日が重なった。
- お参りに来てほしいから連休にした。
というように、嫌だけども連休中が故人の命日だから法事を勤めているパターンと、法事の意義でもありますように一人でも多くの有縁の人にお参りに来てほしいという思いで勤めているパターンがあります。
しかし最近では連休中の法事がめっきり減りました。
親戚が迷惑するんですって。
本当なら連休だと法事に参加する都合がつけやすくなるのにね。
他にも施主の家庭も連休は休暇・旅行で過ごしたいと考えるところも増えています。
ですので連休の前や終わりに法事をしよう年忌の日をずらす家もあります。
いずれにせよ、法事が面倒な行事として扱われていますね。連休に入れてくんなと。
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さいごに。
仏事・法事が簡素になってきているのは家族単位・地域単位が縮小していることで説明がつくのですが、それだけの理由だけではなく、生きている人が故人を偲ぶこと・供養することの意義に気が付かず、仏教的な見方でのいのちや生き死にについて捉えられなくなってきているように感じています。
世の中の生活様式や考え方が時代とともに法事の形が移り変わっていくのは当然のことですが、仏様に手を合わす機会や親戚との交流を失っていくことは非常に寂しく残念なことです。
忙しい現代・生きていくのが辛い苦しい現代・いのちと向き合うことが少ない現代だからこそ、日常とは違った仏事というご縁に参加してほしいものです。
仏教は生者のための教えですので、たとえ面倒に思ってお参りしてほしいものですし、施主は案内をしていただきたいものです。お坊さんからのお願いです。