こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
数年前から真宗教団連合が法語カレンダーに法語の英語訳を添えるようになりました。
非常に素晴らしい訳なので、仏教の言葉を英語だとどのように表現していいのかよく参考にさしていただいています。
ただ平成30年1月の英訳を見ますと、非常にわかりにくいように感じました。
あなたは「Tathāgata」の単語を見て、何を意味するか分かりますか?
私にはわかりませんでした。
今回は1月の真宗法語とその英訳をみていきます。
法語カレンダー「帰命ともうすは」の英語訳。
帰命ともうすは 如来の勅命に したがうこころなり
“Taking refuge” is to follow the command of the Tathāgata.
平成30年1月の法語カレンダーより
「帰命ともうすは……」の法語は『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』からの一節で、親鸞聖人が名号(尊号)や真像に付された讃嘆の文を説明したものです。
帰命とは南無のことですが、その帰命がどのような意味なのかを説明した文です。
仏教の言葉を英語にするのは難しい。
私なりに法語カレンダーの「”Taking refuge” is to follow the command of the Tathāgata.」を直訳してみます。
避難することは如来(Tathāgata)の命令に従うことです。
なんのこっちゃと思うでしょうが、こんな訳になってしまいます。
帰命の訳は”Taking refuge”でいいのか。
「refuge」という英単語には「退避・避難・保護」の意味があります。
帰命(南無)の意味には程遠いような気がしますが、なぜこの単語が選ばれたのか気になります。
辞書で調べてみました。
refuge 名詞 3⦅英⦆(街路の)安全地帯(⦅米⦆safrty island).
take refuge in O (2)…に逃避する,…して難を避ける
take ~ in books 本に安らぎを求める
ジーニアス英和辞典 第3版より
すると今回の訳に合いそうな説明がありました。
逃避や避難と訳するのではなく、「take ~ in books」が本に安らぎを求めるという意味になるように、“Taking refuge”は”Taking refuge in Kimyo(帰命)”と帰命に安らぎをもとめるという意味にしたかったのではないだろうか。(それでも意味がよくわかりませんが。)
素直に、帰命(きみょう)は「Kimyo」や「Namu」と訳したほうが伝わりやすいのではないだろうか。
如来の英語表現って”Tathāgata”って知っていました?
一体日本人の何%が「Tathāgata」の言葉の意味を知っているのだろうか。私は知りませんでした。
手元の英語辞書で確認しましたが載っていませんでした。
これは梵語तथागत(タターガタ)の音写した漢訳だそうで、如来や如去となるんだって。
タターガタを音写した英語訳がTathāgataなんでしょう。きっと。
私の中では如来は「Nyorai」や「the Buddha」となるのですが。特にBuddahaには仏教の開祖という意味だけでなく、悟りを開いた人・仏陀・仏・如来の意味があってピッタリだとおもうのですが。
あれかな外国の人にはTathāgataの方が、the Buddhaよりも馴染みがあるのかな。
「勅命=command」なのだろうか。
さて最後に私が引っかかるのが、勅命をcommandと表現したことです。
日本語のコマンドは命令という意味がありますが、英語も大体そんな意味です。今回で言えば、「(権威をもった)命令,言いつけ」となるでしょう。
仏(如来)の勅命とは、命令や言いつけなのでしょうか。
仏の勅命とは、自分中心の考え方にとらわれた人間がその愚かさや煩悩によって苦しんで生きている姿を悲しみ、救わずにはいられないという仏からの切なる悲しいまでの願いの呼び声ではないでしょうか。
ですので、勅命が命令や言いつけを連想するような訳ではどうもしっくりきません。
私なりの「帰命ともうすは…」の英語訳。
「帰命ともうすは 如来の勅命に したがうこころなり」(←尊号真像銘文の帰命(南無)の意味を説明した文)
The word “Kimyo” means that I go noticed and continue to appreciate for an eager wish of Buddha.
「帰命」という言葉は、仏の悲しいまでの切なる願いにこの私が気が付き感謝していくことを意味します。
どうだろうか。
個人的には“Taking refuge” is to follow the command of the Tathāgata.よりもわかりやすい気がします。
帰命が仏の命令・言いつけに従うとはどうもイメージしにくく、帰命は私に向けられた仏の願いに気が付いていくすがたを表しているように私が感じます。
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さいごに。やっぱり仏教を英語で伝えるのは難しそうだ。
いつもは法語カレンダーの英語訳をお手本にするのですが、今回ばかりは合点がいきませんでした。
しかし私の訳した英語表現が正しいとも思いません。
仏の悲願は「Buddha’s vow to save mankind」とフレーズとしてあります。しかしこのフレーズが正しく仏の悲願を表現しているかといえば、う~んどうかなあと感じます。
しかしこれ以上の訳が思いつかないということもあります。
インドの言葉を中国の言葉に直し、そして日本語に、そして英語にどんどん変換していくのは、どうしても伝えようとしていたことと違ったニュアンスに変化していくように感じます。
今回、帰命が”Taking refuge”と訳されていたことに違和感を持った私ですが(原型がないじゃん)、ひょっとすると外国の人にはこれが一番伝わりやすいのかもしれません。
仏教の言葉を英語で伝えるのは難しいということを再度感じました。