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ドナーの意味はサンスクリット語のダーナ(布施)が語源

真宗僧侶のかっけいです。

医療現場で使われる「ドナー(donor)」とは、臓器や骨髄の提供者のことを意味します。

donorには提供者・寄贈者の意味しかなかったのですが、臓器移植するようになった現代では新たに臓器提供者の意味も持つようになりました。

実はこのドナーは、サンスクリット語の「ダーナ(dâna)」が語源だとされます。サンスクリット語とはインドの古い時代に使われていた言葉です。

さてこのダーナははじめは音訳し「檀那」という漢字に当てられ、その後「布施」の意味で説明されるようになりました。

今回はなぜドナー(donor)という言葉に臓器提供者という意味が当てられたのか、語源とされるダーナ(dâna)・布施に注目して説明します。

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なぜ布施は布を施す(ほどこす)と書く

ダーナとは布施の意味です。簡単に言えば「与える」ということです。

何を与えるかと言えば「布を与える(ほどこす)」のです。

お釈迦様の生きていた時代を目にした人はいないのですが、次のように言われています。

  • 古代インドでは出家した人(僧)はくすんだ地味な色を着ていた。
  • 糞掃衣(ふんぞうえ)とも言われ、赤褐色の色が基本だったらしい。
  • 道に落ちている布を寄せ集めて衣を作っていたらしい。
  • しかし体に巻き付けるには大きな布でなければならない。
  • そこで在家の人から修行者のために布を分け与えられていた。

今では金銭をお坊さんに差し出すことを布施と思われていますが、元々の布施(ダーナ)は出家したお坊さんが身に付けるための衣をまかなうために在家の人が布を施したことです。

出家したお坊さんからすれば非常に有難いことだったでしょう。

ちなみに布施をする人のことをダーナパティといいます。

仏教で説かれる布施はかなり難しい修行のひとつ

布施という言葉は現代ではお坊さんやお寺に渡すお金のこと。「お布施」をイメージされるでしょう。

おそらく多くの人は『どうしてお金を渡すんだ』・『嫌だなあ~。渡したくないなあ~』・『金額減らしてもいいかな』なんて思っているんじゃないかな。(私の邪推よ)

しかしその気持ちを持っていると布施とはいいがたいんですね。仏教ではお布施の行為には、施す人と施しを受ける人と施す物の三つの全てが清らかなことが大切だとされます。

  1. 施す人は優越感を持たない・恩着せがましい気持ちを持たない。
  2. 受ける人は布施によって卑屈にならない・こだわりの気持ちをもたない。
  3. 施す物は自分に不要な物は渡さない・大事なものを施す。

これを難しい言葉で三輪清浄(さんりんしょうじょう)と言います。難しいでしょう。できないでしょう。

さらに仏道修行するお坊さんはこの三輪清浄よりももっと難しい布施の修行があります。

「六波羅蜜(ろくはらみつ)」という修行があります。波羅蜜とはサンスクリット語でパーラミターと言い、到彼岸の意味で説明されます。

つまり六波羅蜜とは、彼岸(仏様の浄土世界)にたどり着くための6種類の修行方法のことです。これは修行者のための修行ですので、完全に正しく行いなさいよという厳しい修行です。

これの一番目に「布施波羅蜜」があります。完成した布施のことです。

完成した布施とはなんでしょうか。説明するのは難しいのですが、あえて表現するなら布施をしたことに気が付かない状態のことです。

  • 例えば私たちは誰かに何かを渡しました(布施をする)
  • すると渡した人は「誰に渡した・何を渡した」と覚えるでしょう。
  • 受けとった人は「あの人からいただいた」と心にとどめるでしょう。

これは完全な布施ではないんですね。施した人・施しを受ける人のあいだにこころが残ってはいけいない。

なぜなら有るところから無いところに、ただ移っただけだから。余ったところから足りないところに移動しただけ。私たちの実績としてはいけないのです。

禅宗のお坊さんで托鉢をする時に、網代笠や深編笠の帽子をかぶって顔を隠すことがありますよね。

あれは顔を合わさないためです。誰に布施をした・誰から布施を受けたとお互いに心に残らないようにしているんですね。

仏教で説かれる布施(ダーナ)は本来は非常に難しい行いだと分かりましたでしょうか。


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臓器提供者のドナーは布施の精神が由来の言葉

臓器提供のドナーは仏教のダーナ(布施)が語源英語のドナー(donor)とはサンスクリット語のダーナ(dana)が語源とされます。

サンスクリット語のダーナがヨーロッパに伝わり、donorという言葉になり「提供者・寄贈者」という意味になりました。

しかしどうしてこの言葉が臓器提供者を表す「ドナー(donor)」になったのでしょうか。これは上で説明した布施の修行(布施の精神)が関係するとされます。

ちなみに人への臓器移植はまだ100年も歴史がありません。臓器移植への提供者にドナー(donor)が当てられたのはまだ新しいことです。

英語のドナーには提供するや贈り物をするという意味があります。これは日本語の布施と一見似ているように感じますが、語源のダーナを考えますと全く違う意味です。

布施(ダーナ)とは波羅蜜の修行の一つで、施した人・施しを受ける人のあいだに心が残ってはいけいない状態のことです。ですので「人に渡す・プレゼントする」という意味ではありません。

臓器提供はいらなくなったからプレゼントするのではないんですね。大切なもの・有難いものを余っているところから足りないところにただ移動するのが、ドナー(ダーナ・布施)なのです。ボランティアでもありません。

誰の臓器が移植されたという実績が残っては布施の精神のドナーにならないのです。

ドナーがなぜ臓器提供者という意味になったのか。

  • それは必要としているところに対して、有るところから無いところにただ移っただけの状態だから。
  • その行為のあいだにはお互いにこころが残ってはいけないから。
  • そのようなダーナという布施の精神があるから。
  • だからドナーの語源となったダーナが由来となる。

ドナー(臓器提供)に対して見返りや報酬を求めてしまっては、ダーナ(布施)にはなりません。

臓器提供者に会ってはいけないのは、そのようなダーナの精神があるからです。臓器のやり取りによって見返りや報酬が発生し、その行為が臓器提供の対価・取引になってはいけないのです。

単純に物を与えるからdonorが臓器提供者の意味になったのではありません。布施の精神があるからdonorが臓器提供者の意味になったのです。

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