こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
観音菩薩という菩薩さまは有名な菩薩ですよね。
おそらく日本では4本の指に入るほど有名な菩薩でしょう。(観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵菩薩)
観音菩薩(と勢至菩薩)は阿弥陀如来の脇侍としてまつられていることがあるので、浄土真宗徒にとっては馴染み深いでしょう。
たとえ浄土真宗を知らない人でも観音菩薩の名前だけは知っているという人もいるでしょう。
さて私は浄土真宗のお坊さんなので、ときどき次のような質問を受けます。
「観音様って、女性なんですか?それとも男性なんですか?」
お坊さんの私からしますと、仏・菩薩の性別が男性であれ女性であれどっちでもいいのですが、気になっているようなのでお答えします。
先に結論だけ言うと、「女性ではないでしょうが、女性的に表現されます。」
観音菩薩の名前の意味は。
繰り返しますが観音菩薩って非常に有名な菩薩ですよね。
同じ阿弥陀仏の脇侍なのに「勢至菩薩さん・勢至さん」はなかなか耳にしないですよね。
それは仕方ないところがあります。
菩薩さんの働きが違うんですから。
ちょっと余談になりますが、勢至菩薩は地獄・餓鬼・畜生・修羅の人を仏の智慧によって正しい道に導こうとする菩薩です。ただ私から言わせますと、地獄餓鬼畜生修羅の人というのは自分がその場にいるということを知らないので、なかなか勢至菩薩の働きに気が付かないんじゃないですかね。余談でした。
一方、観音菩薩は信仰が篤いですよね。「観音様(かんのんさま)」と口にする人を時々見ます。
また観音菩薩一尊のみを安置しているお堂もありますよね。
観音菩薩とは観世音(かんぜおん)菩薩や観世音自在(かんぜおんじざい)菩薩などの読み方があります。
仏・菩薩の名前には意味があります。
観音菩薩の名前の意味は、世間・世の中のあらゆる人たちの悩みの声(音)を聞き、その人のその人の悩みに応じて自在にすがた・かたちを変えて救おうとする菩薩という意味です。
世の中のあらゆる悩みの音をただ聞くんじゃないんです。じっくりとよく観察して、その人に応じた救いの方法をとるんです。(基本的な変身のパターンは33種類あるとされます)
自在にすがた・かたちをを変えられるので、「○○観音菩薩」・「□□観音菩薩」・「△△観音菩薩」と人に応じて呼び名も変わるんですね。
観音菩薩の性別は。
さて皆さんが気になるのは観音様の性別ですよね。
よくお坊さんはこんなことを言いますよね。「仏さんに性別はないんですよ」と。
要はどっちでもいいんです。
仏様の性別なんて関係ないですし、性の差なんて浄土という世界では気にすることのない問題です。
仏教では無相(むそう)とも言われ、姿・形がないとされます。
でもそれじゃあ、娑婆で生きている私たちは困りますよね。仏様が正体不明だと拝めない人もいますし、今回のように性別が気になって気になって仕方ない人もいるんですから。
ですから木像・絵像に仏様菩薩様の姿を表すときに、その仏様をイメージして描いているんですね。
そうなると仏は悟りを開かれているのでなるべく中性的に表現され、一方で、菩薩以下には中性的なこともあれば男性的な時もあり時には女性的に表現されることもあります。
観音様の場合はどうでしょうかね。
観音さまにはお髭(ひげ)が描かれていることもあり男性だという人もいれば、いやいや観音様はふくよかな体をされていて子供と一緒に描かれることもあるから女性だと言う人もいます。
繰り返しますが、お浄土の世界というのは性を超えた世界です。男性でも女性でも気にすることはないですし、本来、仏・菩薩は姿形がなく法そのものです。ですから男性でも女性でもありません。
しかし人が視認するときには人の持つイメージによって男性的に女性的にも表現されるのです。
観音様は慈悲の菩薩であり、慈愛に満ち満ちた様子で表されるので女性のように目で見た人には感じられるのでしょう。
【私のまとめ】
観音様をはじめ、仏・菩薩には性別ナシ。正直どっちでもいい。
しかし絵や像に表そうとすると姿かたちに表現されるので、見た人によって女性的にも男性的にも感じられる。
浄土真宗の和讃に見る観音菩薩の性別。
さて、観音菩薩はその人その人に応じて自在に様相を変えられ菩薩です。
そしてその悩んでいる人を正しい方向に導こうとするのです。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人は85歳の時に自身の「正像末和讃」をまとめられました。その中の一つに次の和讃があります。
救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して
多多のごとくすてずして 阿摩のごとくにそいたまう
親鸞聖人は聖徳太子のことは観音菩薩の化身とされました。そして観音様は多々(お父さん)のようであり、また阿摩(お母さん)のようであるとしました。
いつでもどこでも私を導いてくださる菩薩様であり、また父母のように我が子を見捨てることなくいつも気にかけて下さる親さまのようなはたらきだといただいているのです。
観音菩薩を父(多多)や母(阿摩)で表しているように、男性とも女性ともとらえてもいいのです。
また親鸞聖人の奥さん恵信尼はお手紙の中で次のような箇所があります。
「あれは観音にてわたらせたまふぞかし。あれこそ善信の御房よ」
奥さんの恵信尼は親鸞聖人(善信)のことを観音菩薩の化身として尊敬しています。
一方で、親鸞聖人も六角堂の観音菩薩の夢告により、恵信尼のことを観音菩薩の化身としていただいていました。
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さいごに。観音様の性別問題について私が思うこと。
正直、観音様が男性でも女性でもどっちでもいいところです。
あなたが女性だと感じればあなたにとっては女性でしょうし、男性と感じれば男性なのでしょう。
親鸞聖人は男性にも女性にもどちらにおいても観音菩薩の化身と頂いていたようです。
つまりは観音菩薩がすがたかたちを変え、親鸞聖人一人のために一番の救いの姿を表したのでしょう。
大切なことは仏教とは仏の法に出あい気がついていくこと。
それを導いてくださるのが菩薩の働きです。
浄土真宗だと智慧の勢至菩薩、慈悲の観音菩薩です。
親鸞聖人は複数の人を菩薩の化身とされてきました。
それはその人が親鸞自身を仏法に導いてくださる菩薩のような人としていただいており、菩薩の化身として尊敬の念を込めていたのではないだろうか。
私たちが描かれた観音菩薩の姿をみて男や女やどっちだと考えているのは、つまらない問題だと思いませんか。
観音菩薩のその姿を見てこの私に気が付いてくれよと呼び掛けていることを頂いてくのが大切ではないでしょうか。