「宝くじを仏壇に保管しても当たる確率は増えへんし意味ないで」と真宗僧侶のつぶやき

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

浄土真宗って世の中一般から見ると、結構変わった仏教宗派なんですよ。

占いごとや迷信ごとに左右されない生き方をするんですよ。

ですので、真宗寺院に行ってもお守り(護符)は売られていないですし、方角・日の善し悪しは関係ない、厄除けもしない、占い(カード・血液・姓名などなど)も無益なものととらえています。

端的に表すと、浄土真宗とは私の願い事をしない考え方をするんですね。

で、その考え方をイメージしていただいてから今回の話のテーマについて。

『宝くじを買うてお仏壇に置いて目立つように飾っても、当たる確率が増えるわけじゃないですし、浄土真宗的にはまったく意味のない行為

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宝くじに関するデータ。宝くじ長者白書より。

くじ引きの様子。

浄土真宗と宝くじに関する話をする前に、宝くじに関するデータを「宝くじ公式サイト」が報告している『宝くじ長者白書』を少し見てみましょう。

宝くじ券の保管場所。第一位はやっぱりの場所。

  1. 回答者1277人中290人22.7%)が神棚・仏壇。
  2. 276人(21.6%)が机の引き出し。
  3. 以下、カバン・ハンドバッグ、財布、タンス、……と続きます。

机の引き出しといい勝負してますが、約4人に1人が神棚・仏壇に宝くじを保管しているんですね。

まあ、お願い事は神仏にするのが一般的なイメージなのかな。

個人的に気になるのは、神棚と仏壇の置き場所の比率を知りたいのですが。神様に頼っているのか、仏様に頼っているのか気になるね。

当選金の使い道。神様仏様に頼んだのにね。

  • 複数回答ありの回答、629人(49.3%)が貯蓄。
  • 203人(15.9%)が借入金の返済。
  • 196人(15.3%)が旅行。
  • 以下、土地・住宅の改築や購入、家族サービス・親孝行、車の購入、……が続きます。

ここでの回答は当選金額は1000万円以上の人の高額当選者ですが、頼み事は神仏にするのに、いざ高額当選すると神様仏様のことは無視するんですね。

ひょっとして高額当選する人は神棚や仏壇に保管していない人なのかな。だったらお礼しないのも頷けるね。


ちなみにこれら以外のデータも宝くじ長者白書より知ることができますよ。

以下参考URL:http://www.takarakuji-official.jp/know/data/

浄土真宗は仏様に私のお願い事をしない教え。

さて本題ですが、私たち人間って困ったことや自分の力では解決できないこと、成し遂げるのが難しいことに直面した時には神様や仏様にお願いすることがありますね。

受験シーズンになりますと、合格祈願のお札やお守りを購入して、願掛けに神社や寺院にお参りしますね。

あれは浄土真宗ではすっごく戒められているんですよ。

「そんなのやったって意味ないよ」ということです。

ああいう願い事は、他人は受かっても滑っても(合格しても不合格になっても)どっちでもいいけども、自分だけは受かって欲しい・願い事が叶って欲しいという自分勝手なお願いなんですね。

宝くじやって似たようなこと。

「当たるか当たらんかは自分の力ではどうしようもないことだけど、ひょっとしたら神様仏様になら何とかしてくれるのかも。」と淡い期待をしてるんですね。

変わらへんて。当たるときは当たるし、外れるときは外れとるんよ。

浄土真宗の阿弥陀様ってどんな仏様だと思いますか。

  • 宝くじを当選してくれる仏さんですか?
  • 病気を治してくれる仏さんですか?
  • 受験勉強・就職・資格に合格さしてくれる仏さんですか?
  • 事故を防いでくれる仏さんですか?

どれも阿弥陀様のはたらきではありません。

阿弥陀様といわれる仏様は、この私に「後のことは何も心配するな。任せてくれよ」と約束された仏さんなんですね。

後のこととはわかりやすく言えば、人生が終わった後のことです。

阿弥陀様という仏様は、煩悩・欲にまみれ、怒りや腹立ちや嫉妬の心になっている私たち人間に対して、阿弥陀さんの方から私たち人間の方に向かって願いをかけた仏さんなんですね。

浄土真宗は「私から仏様に願うのではなく」、「仏様からこの私に願われている」という教えなんですよ。

で、これが皆さんにとって受け入れがたいかもしれませんが、決して仏様に願うことではないんですね。

例えば、「あれも自分の思い通りに叶えたい。これも自分の望んだ通りに叶えたい」と思ったとしますね。

仮に神仏に願ってくじに当たったと思っても、神仏のおかげと思わず、自分の行い・運が良かったと思い、もっと自分の欲望を満たそうと思い、欲望が際限なく出てきてしまいます。

また仮に神仏に願ってくじが外れた場合は、なんでこんなにお願いしたのに思った通りにならんのやと、不平不満が溜まっていきます。

願掛けや占いごとなどの迷信に頼ることは、上手くいってもいかなくても、欲望や不満に満ちた生き方に惑わされてしまうんですね。

浄土真宗のお仏壇には宝くじは置かないこと。

さて私は浄土真宗のお坊さんです。

浄土真宗は願掛け・占いごと等の迷信ごとはしません。もちろんお祓いも。

で浄土真宗のお仏壇には宝くじを置かないでください。

なぜならお仏壇とは、仏様をお参りするところですから。

お仏壇とはお寺の内陣の様子を家庭サイズにして表現したもの。お寺の内陣とは、仏様のお浄土の様子を表した場所です。

ですからお仏壇とは純粋に仏様に向き合い、仏法をいただいていく場なんですね。

さっきの宝くじ長者白書のデータをみたらわかるように、22%の人は宝くじの保管場所に神棚・仏壇を選んでいるんですね。

でもその22%の人はみな宝くじに当たっていますか。

仏様というのは、宝くじを当てるためにお参りする・お願いするのではないんですよ。

宝くじのように当たる人・当たらない人を作るために仏様がいるのではなく、そんな迷いごとに惑わされない生き方を示したくださるのが仏様です。

だから浄土真宗のお仏壇では宝くじをまつりませんし、仮に当たっても信心深いとか関係なく、ただ単に運が良かっただけです。


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さいごに。わがままな生き方を戒めること。

「困ったとき(だけ)の神頼み」・「南無三」・「お陀仏」といったようにどうしようにもならないことには人は自然に神仏にすがり頼んだりします。

でもですね。浄土真宗ではそんな生き方は自分の願望に囚われた心の落ち着くことのない状態であり、暗闇の中で生きている状態に気づくことが大切なこととされます。

そのことに気づくには阿弥陀様の智慧に出会わなければなりません。

阿弥陀様の智慧にであうを少しわかりやすく言うと、ありのまま・あるがままを知るということです。

世の中のことは原因があって結果があり、それを繋ぐ縁というのがあるんですね。

宝くじに当たった外れたという結果を見て一喜一憂し、そのあるがままの結果に自分の思いばかりをどんどんどんどん募らせていって、我がままな生き方になるのはつまらないと思いませんか。

自分の宝くじが当たることを願ってお仏壇にお飾りしても、当たる当たらないはその時次第ですし、浄土真宗的にはまったく無意味な行為です。

置き場がないからお仏壇に置きたいと思ってもお仏壇とは仏様をおまつりし、仏法にであう場ですので仏様と関係のないものは置かないでください。机の中にでも保管しとけばいいんじゃないですか。

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