こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
12月のカレンダーをめくると、でかでかと「師走」って書かれていますね。
お参りのたびに御門徒の方々から、
「師走はお寺さんが忙しんじゃないんですか」と尋ねられます。
師走は僧侶があっちこっちと走りまわっているから名付けられたと皆さんが考えているから、このように言われているのでしょうね。
では本当にこの12月は僧侶は忙しいのでしょうか。
12月の仏教的な行事
12月8日 :成道会(じょうどうえ)、釈迦如来が悟りを開いた日
12月31日:除夜会(じょやえ)、大晦日の法要、主に梵鐘を撞く
あれっ、意外と少なくありませんか。
そうなんですよね。メインとなる行事というのはこの二つだけです。
他の月とそれほど変わらないんですね。
でも実際は12月はお坊さんの姿をよく見ますね。
なぜでしょうか。
真宗(浄土真宗)では報恩講参りがあります。
実は11月と12月は真宗の僧侶は各御門徒の家庭のお仏壇にお参りに行きます。
関東から北側の地域の人々には馴染みが薄いかもしれませんが、関東より西側の地域では真宗(浄土真宗)のご家庭が多いのですね。
関西方面では2割程度が真宗の家庭ですし、所によっては4割以上が真宗信仰の県もあります。
日本全体で見ても、約13パーセントが真宗信仰です。
数値は社会実情データ図録Honkawa Data Tribuneの都道府県民の信仰より参考にしています。
この報恩講というのは真宗の僧侶がご門信徒の家庭にお参りするので、自然と外で僧侶の姿を見る機会が増えると思います。
私はこの報恩講があるから僧侶が12月に忙しそうだと思われていると考えます。
なぜ12月に報恩講参りが多いのか。
報恩講とは浄土真宗の宗祖である親鸞聖人のご命日を偲ぶ仏教行事です。
しかし親鸞聖人のご命日は11月28日で12月ではありません。
伝統教団である真宗十派のうち、本願寺派の本願寺と高田派の専修寺を除いた八派は十一月二十八日まで各御本山で報恩講法要が勤められます。
円龍寺を含めた多くの真宗末寺は、御本山の報恩講法要が終わった後に、自坊での報恩講法要を勤めることが多いです。
そのために自然と12月に檀那寺でのご命日法要がずれ込みます。
報恩講参りはなるべくお寺の報恩講法要までに済ませることが多いです。檀家さんの阿弥陀さんに手を合わせ、お寺の御本尊にもお参りしていただくためです。
円龍寺でもこの11月下旬ごろから12月12日ごろまで報恩講参りでせわしない状態です。
だから真宗僧侶に限定するとお寺の法要が終わるまでは走り回っています。
それ以降は割とのんびりとしていますよ。師走でも。
真宗以外ではどうなのか
「釜締めのお経」というものがあるそうです。
何をするのかというと、24日ごろから火の神様にお勤めをし、供養するそうです。
真宗では神様を信仰しておりませんし、供養という行為もしておりませんので、このようなお勤めはないんですね。
またこういう行事はそれほどメジャーなものではなく、これがあるからといって僧侶が忙しそうだとは思われないですよね。
これが忙しいというのであれば、盆や彼岸のある月はどうなるのでしょうか。
まとめ
Q.師走は僧侶は忙しいのか。
A.忙しいと言えば忙しいとも言えます。
ただそれは12月中ずっとではなく、
真宗では各寺院の報恩講法要が終わるころまでです。
12月の仏教行事の数は他の月と比べて多くはありません。
そもそも師走の師って僧侶のことなの?
師がどんな人を指すのか、辞書で確認してみましょう。
私たちの悪いところはイメージで話を進めてしまうんですね。
師
③先生。教える人。模範となる人。
⑧僧に対する尊称。
⑨衆人。大衆。もろもろ。ー全訳 漢辞海ー
人物が対象の意味だけ取り上げました。
確かに「師」という言葉には僧侶の意味がありますね。他にも先生という意味があります。
ただ私が注目したいのは9番目の「衆人・大衆・もろもろ」の意味です。
皆さんも12月は何となく気がはやっていませんか。
12月は一年の総締めくくりの月で、仕事納めの月となります。
一般企業でも12月の28日ごろに年内の業務が終わり、また銀行などの金融窓口なども業務を終了してしまいます。開いているお店が急に減りますよね。
ですので年内にいろんなところに回って年内に仕事を終えようと大変ですよね。
家庭でも新たな年を迎えるにあたって、大掃除をしたり、正月の買い出しに行ったりと大変な時期です。
この12月は全ての人たちがあちらこちらへ動き回っている月であると言えます。
私は師走の「師」は僧侶を限定して言っているのではなく、「すべての人」を指していると思います。
師走の語源について
多くの人が知っていますように師走(しわす)の語源ってよくわかってないんですね。
ただ古い書物には「しはす(シハス)」という言葉で出ているんですね。
「わ」が「は」になっていますが、平安時代中期のころからハ行の音がワ行の音に変化していると考えられているので、「しはす」で今と同じ「しわす」の発音になります。
古い書物に「しはす(シハス)」が出てくるのは、
日本書紀〔720〕「十有二月(シハス)の丙辰朔、壬午のひ」
日本書紀〔720〕「是より以後、季冬(シハス)に当る毎に、必ず、氷を蔵む」
万葉集〔8C後〕「十二月(しはす)には沫雪降ると知らねかも梅の花咲く含(ふふ)めらずして〈紀女郎〉」
竹取物語〔9C末〜10C初〕「かひなしと思へど、霜月しはすの降り凍り、みな月の照りはたたくにも障らず来たり」
大和物語〔947〜957頃〕「消息(せうそこ)もいはでしはすのつごもりになりにければ」
色葉字類抄〔1177〜81〕「臈月 シハス、十二月 同 俗云師馳有釈」
名語記〔1275〕八「十二月をしはすといへる如何。しはすをば臈月とかけり。ふるくは師馳の義にて、しはせ月の尺をつくれる歟」
ー日本国語大辞典 第2版ー 巻7 ページ519 【師走】より一部抜粋
これらの古い書物から12月を「しはす(シハス)」といっていたことが分かります。
注目するのは平安時代末期の色葉字類抄(いろはじるいしょう)と鎌倉時代の名語記(みょうごき)です。この二つに「しはす(シハス)」の語源が書かれています。
色葉字類抄は平安時代末期の古語辞書なんですね。
上の文章の意味を確認すると、
「臈月(ろうげつ:陰暦の12月)と、シハスと、12月は同じ意味で、世間一般では師馳の意味がありますよ。」
その後の鎌倉時代の当時の口語や俗語をまとめた名語記には、
「12月をしはすと言うなりゆきは、しはすを臈月と書くからですよ。古い時代は師馳の意味があって、しはせが月の長さだったのだろうか。」
このことから平安時代末期のころから「しはす」という言葉が12月を表す言葉として使われていたことが分かります。そしてそれは「師馳」からきているとしています。
私がここで注目するのは「馳」という字です。「走る」ではないんですね。
「馳」という文字には一つのところに走るや向かうという意味もあります。
では一体平安時代以前には12月に師がどこに向かっていたでしょうか。
実は12月の仏教行事に冒頭の2つ以外に仏名会(ぶつみょうえ)というのがあります。現代では真宗以外のお寺で年末のころに、多くの仏様や菩薩の名を称えて祈念する法要として勤めるところもありますですが、その歴史は古いです。
最初に仏名会が宮中で行われたのが宝亀5年(774)とされ宮中に僧を集め勤めたとされているそうです。その後宮中の行事となり、旧暦の12月19日から3日間行われたとされています。
平安時代の僧侶は官僧とも言われ、現代と違い、天皇が僧侶として認めていました。今でいう、国家公務員的な存在だったとされます。そのため、12月に僧(師)が向かう(馳せる)所といったら宮中だったのではないでしょうか。
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さいごに
「師走」だからと言って僧侶が格別忙しいわけではありません。
むしろ「師」には大衆という言葉がありますように、すべての人たちが年内に用事を済ませようとあわただしく動き回っていると思います。
元々は「しはす(シハス)」と言われていましたが、平安時代の後期以降「師馳」という言葉が12月を指す理由になると紹介されるようになっています。
当時の状況で考えるなら、12月、「師(僧)」が宮中に「馳せる(向かう)」というのが妥当ではないかと私は考えます。
これが時代の変化に従って「師」の字はそのままに、「師(人々)」が12月に慌ただしく動き回っている様子から、「馳」が「走」に代わっていったのではないでしょうか。