お釈迦様の最初の説法を聞いた5人の仏弟子について

僧侶のかっけいです。自坊のお寺本堂にはお釈迦様の生涯を描いた6枚の絵伝が掛けられています。

お釈迦様の生涯を表した絵伝。絵物語

これは野生司香雪(のうすこうせつ)と呼ばれる仏画家が描いた釈尊絵伝を、自坊門信徒の一人が模写し寄進したものです。(本当は7枚からなる絵伝なのですが、成道前のスジャータの供養がありません)

さて今回の話は悟りを開かれた「成道(じょうどう)」と亡くなった「涅槃」の間にある「転法輪(てんほうりん)」から紹介します。

お釈迦様の最初の説法の様子。転法輪の絵

この絵はお釈迦様が5人の修行者に対して、仏陀となったお釈迦様が一番最初に仏法を説いた一場面を表しています。最初の説法なので初転法輪とも呼びます。

この5人には名前がそれぞれ残っており、いろいろな仏教経典で登場します。

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無量寿経に登場する最初の仏弟子たち

仏説無量寿経は浄土真宗の仏教宗派にとって最も大切な経典です。

お経の文章構成はある程度決まっています。

お経文の本題に入る前に、

  • 誰がいつどこで仏様の話を聞いたのか
  • 教えをまさに聞いていた数
  • 聴聞者の主要な名前

となっています。

仏説無量寿経巻上

我かくのごとき聞きたまえき。一時、仏 王舎城耆闍崛山の中に住したまいき。大比丘衆、万二千人と倶なりき。

一切の大聖、神通すでに達せり。

その名をば、尊者了本際・尊者正願・尊者正語・尊者大号・尊者仁賢・尊者離垢・尊者名聞・尊者善実・尊者具足・尊者牛王・尊者優楼頻螺迦葉・尊者伽耶迦葉・尊者那提迦葉・尊者摩訶迦葉・尊者舎利弗・尊者大目犍連・尊者劫賓那・尊者大住・尊者大浄志・尊者摩訶周那・尊者満願子・尊者離障・尊者流潅・尊者堅伏・尊者面王・尊者異乗・尊者仁性・尊者嘉楽・尊者善来・尊者羅云・尊者阿難と曰いき。みな、かくのごとき上首たるものなり。

無量寿経の聴聞者には、お釈迦様が最初に説法した時の5人が勢ぞろいしています。

  1. 尊者了本際
  2. 尊者正願
  3. 尊者正語
  4. 尊者大号
  5. 尊者仁賢

この5名が最初の転法輪の聴聞者であり最初の仏弟子です。無量寿経の聴聞者としても一番に名前が挙げられています。

初転法輪の絵を紹介。なぜこの5人が最初の聴聞者だったのか

お釈迦様が悟りを開かれたのはブッダガヤという場所です。

しかしお釈迦様もお城を出て身分を捨てた後、ただちにこの場所には来ていません。

当時の思想家・仙人から教えをこうたり、身体を痛めつける苦行をも経験しています。その修行時に常に付き添っていたのが、この5人の仲間でした。

この5人はお釈迦様が国を捨てて出家した後、父王であるスッドーダナ(浄飯王)の命令によって息子を見守るために後から同じく出家し修行者となった人たちです。

どんなに困難な苦行をもするお釈迦様を見て彼らは「この人こそ本当の苦行者・聖者だ」と尊敬するようになりました。

しかしその敬畏の思いはお釈迦様が苦行を捨てることによって失望に変わりました。そしてお釈迦様を「堕落したと」さげすみ、別行動をとるようになりました。

苦行を捨てたお釈迦様はブッダガヤの菩提樹のもとで悟りを開きました。

お釈迦様は真理をさとったことをよろこんでいましたが、梵天のすすめによってその真理を説くようになります。

そこでお釈迦様がかつてともに修業した5人のもとに行くことになります。

その修行者がいた場所が初転法輪の舞台となったサールナートと呼ばれる場所です。鹿が多く集まっている場所から鹿野苑とも訳されます。ブッダガヤからサールナートまで300kmほどあるのですが、この地は野原になっていて当時のさまざまな宗教者が集う場所のようだったそうです。ですのでおそらくですが、5人の修行仲間が向かったと予測できたのでしょうし、もしもかつての仲間がいなくても仏法を説くには適した場所だと考えていたのではないでしょうか。

5人のかつての仲間の修行者はこの地にいました。

「堕落した王子だ。口もきかないぞ」と約束していたのですが、お釈迦様の姿が清く輝き穏やかな様子であることを感動し、この5人の修行者は頭を下げ敷物を用意し仏法を聞くようになったと言われています。

その説法の様子を表しているのが、この転法輪の絵です。

  • この5人はお釈迦様と苦行をともにした仲間だった。
  • 落ちぶれたと蔑んだお釈迦様が悟りをひらき、清らかな状態であることを感動した。

このことがこの5人がお釈迦様の話を最初に聞いた事の起こりです。

5人の弟子たちの名前について

仏説無量寿経には、尊者了本際・尊者正願・尊者正語・尊者大号・尊者仁賢と5人の名前が登場します。

尊者とは仏弟子に対する尊敬の言葉です。経典によっては摩訶(まか)とも訳されます。

さてこの5人の名前は様々な経典に登場するのですが、かならず同じ表記とは限りません。

それは翻訳者がサンスクリット語・パーリ語の言葉を音のまま訳したり、意味をとって漢字に訳したりしているからです。ここでは代表的な呼び方を紹介します。

  音写 漢訳
コンダンニャ 憍陳如 了本際
アッサジ 馬勝 正願
ヴァっパ 婆沙波 正語
マハーナーマ 摩訶男  大号
ヴァディヤ 跋提 仁賢

ちなみにコンダンニャがこの5人の中で一番にさとることができたので、お釈迦様はコンダンニャのことをよく分かったの意味をもつ「アニャータ」からアンニャと名付け、阿若多と音写されることもあります。


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さいごに。弟子たちの逸話

この5人には少なからず逸話があります。真偽の怪しいものもありますが、いくつか紹介します。

お釈迦様が地上に誕生した時に、父のスッドーダナ王は8人のバラモン(司祭)に将来を占わせました。

その中で「王となられるなら世に影響を与える優れた理想的な大王になるだろう。もし出家されるならば世の人を救う優れた尊い覚者になるだろう」と予言したのが、このコンダンニャ(了本際)と言われています。

そしてお釈迦様が城を出たあとには、コンダンニャ1人とその占ったときのバラモンの子供4人とされています。つまりお釈迦様に付き添ったこの5人の修行者は「この人物はやがて覚者になる」と期待していたのでしょう。

初転法輪の法話はこの5人全員が悟るまで続けられたそうです。

そして仏法にさとられた5人の仏弟子らはそれぞれにインド各地に散りました。

仏教には10人の有名な弟子がいます。その一人が智慧第一の舎利弗(シャーリープトラ)がいます。この人物は非常に優秀でバラモンとして出家していました。しかし満足できずに王舎城(マガダ国の首都)の近くを歩いていました。

その時に出会ったのが托鉢をしていたアッサジ(正願)だとされます。

さとられていたアッサジは清らかな状態だったので、舎利弗がどうしたらそのように素晴らしい状態になれるのかを尋ねたところ、アッサジが答えたのが仏法だったのです。そして師であるお釈迦様がいる竹林精舎を教えたそうです。

舎利弗とお釈迦様を結びつけたのはアッサジと言われます。

その他にも逸話はあるのですが、浄土真宗ではこの2つの逸話ぐらいしか話題にならないので、後は各自で調べてみてください。

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