こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
法名(ほうみょう)とは浄土真宗では仏弟子になった名のりですが、その他の宗派では戒名(かいみょう)という言葉になっています。
法名と戒名は意味合いが少し異なるのですが、使われている漢字は非常によく似ています。
今回は法名及び戒名に使われやすい漢字と使われにくい漢字について紹介していきます。
感覚的にわかる所と少しばかり経典などの仏教知識がないと理解しにくい部分もあるかもしれませんが、なるべく事前知識がなくてもわかる様に説明します。
ちなみに日本で一番はじめに戒名を授かったのは聖武天皇ですよ。『日本で一番最初に戒名をつけた人』で解説しました。
法名が名づけられる理由。
法名(ほうみょう)とは浄土真宗で使われる言葉で、阿弥陀仏の仏弟子になったことを表明する名のりです。
そして阿弥陀仏の法のはたらきによって救われていく私たちですので、厳しい戒を受けること・守ることを約束する戒名(かいみょう)とは意味が異なります。
ただし法名も戒名のどちらも仏弟子になることの名のりであります。
ということはそれまでに使っていた名前(俗名:ぞくみょう)とは違った名前を付ける必要があります。
法名で使われやすい漢字の特徴。
仏弟子になるということは、その法名には経典や聖教から仏教において使われる文字や意味や音の響きの良い嘉字が好んで使われるようになります。
これは親が子供に名づける漢字と同じような考え方であり、例えばどのように子供が健やかに育っていってほしいかの願いが込められた名前でもあります。
(例えば活発なイメージのある太陽のような感じを使う「陽翔」や「陽斗」や「晴斗」が名づけられやすかったり、花のような可憐な子に成長してほしい「さくら」や「葵」や「ひまわり」などがありますね。これら以外にも親は色々な願いを込めて名前を付けているはずです。)
法名では教義に沿った漢字や仏様のはたらきを表す言葉多く用いられている印象です。
法名で付けられやすい漢字。
上でも説明しましたように法名とは仏弟子になった表明ですので、仏教に関する言葉・文字であることが基本です。
生前の様子や名前から。
法名ではその方の生前の様子から連想される漢字や生前の名前(俗名)から一字を選び取ったりすることがあります。
例えば「釈和顔(わげん)」と名付けたとします。
和顔とは浄土真宗の所依の経典の仏説無量寿経の中で「和顔愛語 先意承問」と出てきます。
つまりこの和顔という名前を名付けたということは、この人物が「相手の身になって和やかで穏やかな笑顔と柔らかく温かい言葉を発し、相手の気持ちを汲み取り先んじて動くこと」ができた人物もしくはそうなってほしいという願いがあります。
また生前の名前が和夫や和子のように「和」という文字が使われているので、この文字を選び取って法名をつけた可能性もあります。
現代では生前の名前の一文字を法名に加えるのがトレンドでありますので、このケースが多く存在しています。
男女や年齢による違い。
実は男性に名づけやすい漢字と女性に名づけやすい漢字があります。
それは俗名でも同じことであり、男の子には「陽斗」女の子には「陽菜」といったように感覚的なところであります。
法名をいただいた年齢にも名づけやすさがありまして、例えば100歳を越えるような方には「寿」という漢字が使われやすく、生まれて間もない子供(感覚的に6歳までの子)には「稚・泡・露・夢」という漢字が使われたりします。
男性向け(例) | 女性向け(例) |
威(威徳) | 妙(妙峰) |
厳(厳浄) | 鏡(清鏡) |
剛(至剛) | 芳(芳華) |
壮(勇壮) | 貞(貞順) |
道(求道) | 美(福美) |
雄(雄勝) | 蓮(蓮光) |
*ここで挙げた男性・女性向けの法名とはあくまでも名づけやすさのイメージです。
ですので女性に「剛心」や男性に「妙蓮」と名付けても何もおかしいわけではありません。
法名に使いにくい漢字。
しつこいですが法名とは仏弟子になった表明であります。
仏様の金言である経典及び聖教で使われている言葉や、いいイメージを持ちやすい言葉が法名に選ばれやすくなります。
動物の名前は注意が必要。
例えば、「犬・豚・馬・牛」などの家畜の名前は使いにくいです。
他にも「狼・猪・熊」などの猛獣・野獣は使いにくいです。
理由としては、仏教でいう衆生とは主に人間のことをさしており、あえて人間が仏様の仏弟子になったことを表す法名に家畜の名前をつけるのはおかしいということです。また、猛獣野獣は人に危害を与える危険な生き物だといくことです。
仏弟子に名づけるには相応しいとは考えられていません。
ただし例外というのも存在します。
貴重な生き物・霊獣とされる生き物には法名として使われることがあります。
例えば「鶴・亀・龍・鸞・鳳・凰・麟」などです。使いどころが難しいですが、使えないわけではありません。
【補足】
「牛」と言う文字は家畜にあたるので使いにくい文字だと紹介したのですが、お坊さんによってはそれほど気にしない人もいますし、非常に良い文字だと考える人もいるでしょう。
それはお釈迦様の本名(幼名)がゴータマ・シッダールタであり、「ゴータマ」という言葉は「最も神聖な(優れた)牛」という意味があります。
そのため牛と言う文字はお釈迦様に名付けられていたのだから、逆に有難い文字だと考える人もいます。
地形・地域・すみかを示す言葉。
これらはお坊さんでもうっかりしやすいことが多いです。
法名の2字目に終わる文字には注意しないといけない言葉あります。
例えば「山・水・江」といった地形、「邑」といった地域、「殿・室・房・軒」といった居所を表す漢字を2字目に配置する場合は法名ではなく、院号(および道号・雅号)に使われるべきでと指摘される方もいます。
自坊円龍寺の歴代にも房という文字の俗名を持った住職がいたのですが、この人物は房という文字をつけずに初代の顕という一字を受けていました。おそらく房という文字を使うのを躊躇ったのでしょう。
これらは神経質になる必要はないのですが、法名に使いにくいと考えるお坊さんもいます。
高僧の法名を避ける。
この意識は近頃では薄れつつありますが、つい最近までは暗黙の了解として避けられていた慣習です。
それは各々の宗派の御本山歴代の住職の法号・法緯(法名)などです。
もちろん自分の宗派の高僧だけでなく例えば各宗の祖師「空海・最澄・達磨・日蓮」などです。
他宗の象徴となる文字を使わないのが無難です。「日」とかね。
私のところは真宗興正派ですので、親鸞聖人の「親・鸞」は使うのを避けますし、興正派歴代の「真・暢」という文字も避けます。他にも「如」も使い難いですね。
また高僧の法名だけでなく、皇室歴代の御名や本朝年号を避けるのが無難です。
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さいごに
法名というのは現代人の感覚では亡くなった後で名付けられる名前だというイメージではないでようか。
しかし歴史的には古く、日本でも続日本紀に天平勝宝元年(749年)に宮麻呂と呼ばれていた私度の僧侶が応法という法名を授かったことが記されています。『私度沙弥小田郡人丸子連宮麻呂授法名応宝入師位』
このことより奈良時代にはすでに法名が日本では使われていたことが分かります。
本来は生前に御本山の住職からいただく法名(仏弟子となった名のり)なのですが、最近では死後に名づけなくてはいけない名前だと勘違いされているのは悲しいことです。
お寺では生前法名を受け付けていますし、御本山では帰敬式(ききょうしき・おかみそり)を承っています。
生前に正しく法名をいただくことでより仏教に興味を持たれるでしょうし、より仏弟子の一味になった実感が感じられるのではないでしょうか。