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童謡「チューリップ」1番の歌詞は誰が作ったのか

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こんばんは。 かっけいです。

 

突然ですが、次の歌詞をご存知でしょうか。

1番 かざれ かざれ きれいにかざれ 今日は たのしい 創立記念日 どのこの顔も うれしさう
2番 ならべ ならべ 正しくならべ 今日は うれしい 創立記念日 澄宮様 お成りです
3番 歌へ 歌へ 聲はりあげて 今日は たのしい 創立記念日 赤坂小学 萬々歳

この歌は、大正11年(1922)、11月12日に赤坂小学校の創立50周年記念式典で、演奏、唱歌されたとされている。

この中で出てくる清宮様とは、三笠宮崇仁親王のこと。
赤坂小学校は、港区立赤坂小学校(1873年創立)ではないだろうか。

 

現在、童謡「チューリップの歌」の第1番は、近藤宮子さんの作詞だとされています。

しかし、私たちが子供のころから口ずさんでいるチューリップの歌の第1番は、昭和7年(1932)の時、日本教育音楽協会が「エホンショウカ ハルノマキ」で作詞者作曲者不詳で初出しました。

つまり、近藤宮子さんよりも10年早く、似たような歌を作っているとされているのです。

今日は「赤坂尋常小学校創立五十周年記念日の歌」に注目し、「チューリップの歌」がどのような経緯で、近藤宮子さんの作詞だと決められたのか、述べようと思います。

 


近藤宮子さんが作詞者と決まった理由

 

理由   裁判で勝ったから

 

裁判までの経緯

戦前の日本は、唱歌というものは、国がつくったことを強調するために、個々の歌に対して、作詞者・作曲者を伏せるように指導していました。

しかし戦後、日本音楽著作権協会が無名の著作物に対して、作者が名乗りをあげるようすすめました。これは強制ではなかったので、名乗りを上げない人もいました。

近藤宮子さんも作詞者として、名乗りをあげませんでした。

 

そのため、作者不詳の作歌は日本教育音楽協会が著作料を受けていました。

しかし、1981年に著作権が切れるため、日本教育音楽協会は元会長である小出浩平さんが作詞者であると発表しました。

1983年11月に「ウソはいけない」という理由で、小出浩平さんに作詞者が変更された6曲が自分の作詞であると、小出浩平と日本音楽著作権協会を被告として、東京地方裁判所に提訴したそうです。

 

裁判の結果

東京地裁で平成元年(1989)8月16日の事件名『「チューリップ」・「コヒノボリ」事件』での判決では、主文一より、原告近藤宮子さんの歌詞についての著作者人格権を有数ることが認めれ、被告は賠償金を支払うように決まりました

その後控訴上告が続きましたが、東京高裁で平成五年(1993)3月16日の事件名『「チューリップ」・「コヒノボリ」事件(2)』での判決でも同様の判決が下され、原告と被告は上告せず、近藤宮子さんの勝訴が確定しました。

この裁判は有力な物証がなかったが、裁判官の心証によって判決を断定した珍しいケースであるとされています。

具体的な判決説明は、

三 被控訴人
1 被控訴人が本件歌詞の著作者である点について
(一)被控訴人が本件歌詞の著作者であるとする原審の認定に何ら誤りはない。すなわち、被控訴人は本件歌詞の作詞に当たり、作歌的観点や詩としての技巧や修飾的なものを一切排除し、できるだけ分かりやすく、平明なものを作るという気持ちで行ったと述べている。このような作歌の姿勢は、当時の社会状況からすると極めて新鮮であり、誰にもできるというものではなかった。また、被控訴人が、「チユーリツプ」の歌詞の最初の部分をサクラ読本の原稿を基に作詞したことも、被控訴人の父親であるP15とサクラ読本の作成者であるP11らとの懇意な付き合いからすると、十分裏付けられているところである。また、「チユーリツプ」の歌詞の中の「ドノ ハナ ミテモ キレイダナ」の部分について、被控訴人は自分自身の生き方をこの歌詞に込めたと述べている点は、直接、作詞したものでなければいえないことであることは明らかである。このように、被控訴人が本件歌詞について述べていることは、いずれも具体的で、実際に作詞したものでなければ、明らかにし得ない内容であり、本件歌詞の作詞者であることを雄弁に物語っているのである。 

           事実の項目での 第2 当事者の主張の説明より

 

「赤坂尋常小学校創立五十周年記念日の歌」とは何だったのか

冒頭で取り上げた歌詞、「赤坂尋常小学校創立五十周年記念日の歌」は、非常にチューリップの歌に似ているとされています。

当然、チューリップの歌の著作権を有するとして、平成元年2月10日、事件名『チューリップ事件』として、千葉地裁に訴えています。

しかし、裁判の結果、原告の訴えは棄却されています。

私が注目したのは、原告らの父X1が誰かということである。

判例全文によると、下のように説明されている。

X1の経歴は明治30年8月14日新潟県に生まれ、大正10年3月東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)甲種師範科を卒業後、香川師範学校、東京市赤坂尋常小学校(以下「赤坂小学校」という。)等の教員を歴任し、昭和12年8月学習院助教授、同16年4月から同38年3月まで同教授、同40年4月東邦音楽大学教授となったが、同61年3月17日満88歳で死亡した。

                     判例全文より抜粋

これに該当する人物は、なんと「チューリップの歌」の著作者として、のちに日本教育音楽協会から発表された小出浩平だったのである。

つまり、近藤宮子さんがチューリップの歌の作詞者の裁判をしている時と、同時期に、被告側が、チューリップ曲の創作を1922年にしたと訴えているのである。

 

私はこのことが、物証がなかった近藤宮子さんが勝訴した一番の要因であると感じている。

 

結果から言うと、この裁判では、「赤坂尋常小学校創立五十周年記念日の歌」が、当時としては、不自然であり、

  • 標題の表現が異例である。具体的には「周年」という表現
  • 五線下の歌詞の表現が異例である。
  • 記念事業に残された他の資料が整然としているのに比較して、「小学校」、「萬々歳」などと略字が用いられたのは不均衡である。
  • 楽譜の発見が同人書棚の中から発見されたのは不自然である。など、

主な理由だけでも、、「赤坂尋常小学校創立五十周年記念日の歌」の作詞者がチューリップ歌の作詞者とは認められないと判断された。

その後上告したが、
東京高裁で平成二年12月18日、【事件名】チューリップ事件(2)

最高裁で平成四年1月16日、【事件名】チューリップ事件(3)として、敗訴している。

 

 

まとめ

 

近藤宮子   小出浩平
   

平成元年2.10

千葉地裁 ×
東京地裁 平成元年8.16    
    平成2年12.18 東京高裁 ×
    平成4年1.16 最高裁 ×
東京高裁 平成5年3.16    

 

上記の表まででわかることは、近藤宮子さんが物証によって、明らかにチューリップの作詞者であることが決まったというよりは、その裁判相手の小出浩平さんが、勝手に自滅していっただけであるように思える。

 

なお、これらの判決全文は 日本ユニ著作権センター より、自由に見ることができます。

 

ちなみにチューリップの歌の第2番、第3番の作詞は井上武士さんが昭和38年に発表したそうです。

 

1番
さいた さいた チューリップのはなが ならんだ ならんだ
あか しろ きいろ どのはな みても きれいだな

2番
ゆれる ゆれる チューリップのはなが かぜにゆれて
にこにこ わらう どのはな みても かわいいな

3番
かぜに ゆれる チューリップのはなに とぶよ とぶよ
ちょうちょが とぶよ ちょうちょと はなと あそんでる

唱歌『チューリップ』作詞:近藤宮子 作曲:井上武士
          <2,3番の作詞作曲:井上武士>  
日本チューリップ協会より
  

 

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

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