こんばんは。 僧侶のかっけいです。
「墓じまい」という新しく出てきた造語が広く使われるようになって、早や4・5年になります。
昔からの言葉では、廃墓(はいぼ)と言われてきました。お墓を処分・廃止するということですね。
またここ最近徐々に耳にするようになった言葉に「仏壇じまい」を使う人やメディアもあります。
最近ではNHKをはじめ、「遺骨のあり方」・「葬儀のあり方」・「弔いのあり方」など、残された人たちが亡くなられた人の後の管理(処分)方法を特集していることがあります。それだけ多くの人達の関心事であり、悩みの種なのでしょう。
そのことは僧侶である私もヒシヒシと感じています。実際問題、お骨の弔いができないといった理由で、お寺にお納骨されている家が増えています。
今の時代は墓じまい・仏壇じまいが流行になりつつあります。
しかし今回の話のテーマはさらにその後のことです。
ずばり、「家じまい」の時代がやってきます。
家が維持されない時代になってきている。
核家族(かくかぞく)という言葉がしばしば使われます。
核家族とは、夫婦がともに生活していたり、夫婦とその子供一人、父親か母親のどちらかと子供一人といったように、数人の肉親がともに生活している形態のことです。
明治時代以降、日本は個人の自由が重要視されました。家族というまとまりよりも、一人一人の個人が大切になったのです。
そのこと自体は素晴らしいのですが、一方で、長男も家を守る必要がなくなり、実家から出ていくようになりました。するとどうなったかと言えば、実家は廃れ、先祖が弔われていた墓や仏壇の維持が難しくなってきたのです。
さらには、年老いた両親の世話を見ることもなくなり、高齢の父母が子や孫の支え無く生活をし施設に入れられます。
両親が亡くなってしまうと、実家には誰も住まなくなり空き家になり、やがては廃れていきます。
日本ではこの30年間で空き家率が倍増し、全国平均で15%程度が空き家になりました。(もっと言えば、戦後の頃は3%くらいだったんですよ)
これからもますます、家の維持がされずに空き家が増え続けるでしょう。
現代は孤独社会・孤独家庭。家族のつながりも乏しい。
現代では孤独社会と言いますか、家族が揃い、共に一つの家で生活をしていないライフスタイルに変化しました。
しかしそれだけにとどまらず、家族4~5人が一つ屋根の下に住んでいても、孤独な社会になりつつあります。
例えば家族そろって食事をとっている家庭はどれくらいあるのでしょうか。
家族がそろって食事の席に着き、家族の会話があります。銘々が食事をとり、仮に食事の開始は同じであっても、自分が食べ終わるとさっさと自分の部屋に戻り、自分の部屋専用のテレビやパソコンをしたりしているでしょう。
下手すると、同じ屋根の元で生活していても、顔を合わすこともなく、会話どころか、挨拶すらも無いかもしれません。
「まさか、そんな?」と思われるかもしれませんが、実際にそのような孤独な家庭が増えているんです。
家庭の中での家族のつながりすらも希薄化している現代では、「家を守っていこう・家族を敬おう」という意識すら芽生えません。厳しい言い方をすれば、実家がどうなろうと、大した問題ではないのです。
仏壇や墓の処分・撤去は維持が大変という理由だが、家は?
ここ数年の間に、仏壇や墓の処分・撤去には新しい表現が登場し、爆発的に処分・撤去が進められつつあります。
もともと仏壇というのは、お寺にお参りできない時でも仏様にお参りできる空間として家の中心に設けられました。家族が揃って仏様に参ることで、家族の中でも団結が取れていたのです。
また屋外にも「○○家の墓」・「先祖代々の墓」と納めていき、手を合わしていく中で、自分につながる家族のつながりも養われてきました。
しかし現代では家族がバラバラに住んでいることもあり、仏壇や墓に参ることも無くなり、それを守る意識も無くなり、厄介な物のような扱いになっています。
それと同じ状態が家(実家)にも表れつつあります。
田舎というのは田んぼや畑がまだまだ残っています。また広い実家もあります。しかしどういうわけか若い夫婦らは実家で両親の家族そろっての生活をせずに、新たに居を設けようとしています。実家には両親を残し、30年後には空き家状態にさせています。
わざわざ新しい家を建てる必要がないのに、新たに構え、将来的にかつての実家が維持できずに悩みの種になっているのです。
空き家は社会的な問題だから、これからの時代、話題になるだろう。
全国的に空き家がどんどん増えています。私の住んでいる香川県でも空き家が増加し続けています。
古い立派な家があっても、どんどんどんどん新しい家が建っているのです。
ここ数年、「墓じまい」が話題になっているって言いましたよね。あれってどうして話題になっているんですか?
理由は単純です。墓石というのは借りた墓地の上に建てているからです。つまりは手入れができないのであれば墓地の管理者に原状回復し返還しなければならないのです。
「仏壇じまい」がまだそれほど大きな流れになっていないのは、まだ家庭の中での問題だからです。それこそ空き家の中に誰も参らなくなった仏壇が放置されていたりします。
「家じまい(家の処分・解体)」がこれからの流れになっていく理由は、空き家の増加が、自治体の維持においてリスクの元になるからです。
不審火や窃盗といった防犯上や防災上の問題、建物の老朽化・倒壊・景観の悪化といったリスクの増加が挙げられます。
まだ少数の例ですが、自治体によっては条例を制定し、是正撤去の勧告を所有者に出しています。
墓じまいが流行したのが、墓石の倒壊や墓の景観悪化などの苦情が増加したのと同じように、空き家の増加により自治体の危機管理リスクが増加するのと考えられるようになると、ますます家じまいの流れは加速するだろう。
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さいごに。
ここ数十年の間に、若い夫婦は両親の住む実家に一緒に住まないといったケースが多くなりました。
しかしその結果、墓の維持・仏壇の維持、そして実家の維持ができなくなっています。
明治以降から100年以上、戦後からも70年以上も経過しました。無縁墓・無縁仏と言われる誰も参らない墓がどんどん増えています。最近では、納められた先祖が粗末にならないようにという思いで、墓じまいから納骨施設に預ける家も増えています。
家もその流れが来るでしょう。
空き家はどんどん増加し社会問題になりつつありますが、まだそれほど大きな声にはなっていません。これが地域社会を維持するのにあたり厄介な問題となれば、メディアに取り上げられ加速的に家じまいが進むでしょう。
お坊さんの私からすれば、核家族の社会が問題だけなのではなく、孤独という家族・親族間での会話や挨拶の減少、そして繋がりの希薄さがこのような時代を招いてきたのだと思います。