こんばんは。 僧侶のかっけいです。
先日自坊のお寺で永代経法要が営まれました。
法要儀式開始前には多くの方がお参りに来られ懇志をつけて下さったのですが、読経開始の時には50名程度の人数しか残っていませんでした。
寺院のお堂は仏事・行事が無ければ人が全くおらず、「がらんどう」と表現されることがあります。
ということはその逆の言葉もあります。知っていますか。
「がらんどう」の意味。
【がらんどう】
家や部屋、器などの中に何もないこと。また、そのさま。
がらんとして広いこと。日本国語大辞典ー第2版ー
「がらん」という言葉だけでも、何もなくて広い状態という意味合いがあります。
がらんという言葉は寺院にある建物の総称を表す言葉で、漢字で表すと「伽藍」となります。
冒頭でも説明しましたが、お寺の空間・お堂とは本来は仏様をお祭りし修行をする場所であるため、物があふれていることもなく人も少ない状態です。
そのため普段のお寺のお堂「伽藍」とは何もない空間となっています。
「がらんどう」とは逆の言葉。
お寺は広い空間なので普段は「がらんどう」です。
しかし法要などがあると人がお堂の中に入り、仏様参りをします。
お堂の中いっぱいに溢れるほど人がいるときの言葉があります。
それが「満堂(まんどう)」です。
【満堂(まんどう)】
堂の中に満ちていること。堂いっぱい。
また、堂の中の人すべて。満場。日本国語大辞典ー第2版ー
あんまりお寺の法要儀式の時にお堂いっぱいに人があふれることがないため、満堂という言葉が使われているのを聞く機会がないかもしれません。
もしもお堂いっぱいにお参りの人がいれば、「御満堂ありがとうございます。」というお礼が僧侶から述べられると思います。
満員御礼では少し意味が異なってしまう。
よく似た言葉に「満員御礼(まんいんおんれい)」という言葉があります。
この言葉は主に大相撲の本場所で使われる言葉です。これは入場者数が一定数を上回ると天井から張り出されます。
ただこの言葉はお寺のお堂で使うのには相応しくありません。
なぜならお寺のお堂には定員が決まっていないからです。
お寺のお堂の中に入れなくなるほど人いっぱいの状態になってはじめて、御満堂という言葉が使われるのです。
【余談】お寺のお堂で「満堂」になるには何人くらい必要なのか。
お寺の畳は一般家庭の畳より若干大きめなことがあります。地域によって違いますが。
自坊円龍寺の場合は縦方向に195センチメートルくらい横はその半分となっています。
古くより「座って半畳、寝て一畳」という言葉があり、ゆったりと座る場合は畳1つで2人座ることができます。ですが御満堂の時はぎゅうぎゅう詰めです。
4人で座ってもまだ余裕があるため、だいだい畳1つで6人から8人が座る状態になります。
そのため仮に円龍寺で御満堂になるためには、参拝席側は300名程度はお堂の中に入らないといけません。
結構な人数がお参りしないと御満堂にはなりませんね。
広告 - Sponsored Links
さいごに
真宗寺院では一年間に大きな法要として、春・秋の永代経法要と報恩講法要がお寺で営まれています。
しかし私が生きている間では末寺で御満堂になった経験が一度もありません。
かろうじて御満堂になっているのは、御本山興正寺での法要ぐらいです。それもご門主猊下がお言葉を述べる「ご親教」の時ぐらいです。
現代ではお寺の法要にお参りする習慣が薄れている印象ですので、御満堂になるのはますます難しくなるでしょうね。