Podcast: Play in new window | Download
Subscribe: Apple Podcasts | Spotify | Amazon Music | Youtube Music
第225回目のラジオ配信。「被災泥棒」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいるお坊さん、私かっけいの音声配信です。
今回は被災泥棒や被災したときの助け合いをテーマにした雑談です。
石川県能登地方で震度7の大きな地震が起きてから早2ヶ月がたちますね。
仮設住宅ができたり、仮設ホテルの着工が始まったり、断水が続いていた一部の地域で上下水道が再開したりと少しずつ被災地の復興が進んでいるようです。
それとこの音声を録音している今まさにそうですが、2011年の東日本大震災から13年がたちました。
東日本大震災のときも、熊本地震も大阪北部地震も北海道胆振東部地震のときもそうですが、日本はいつどの場所にも巨大な地震が来てもおかしくありません。
自分自身もいつ被災者になるか分からない中にいますよね。
被災地や被災された方のことを他人事と思わずに、お互いが助け合える社会であってほしいものです。
実際、がれきの撤去や炊き出しなどなど、ボランティアとして支援に行く人たちもいます。また義援金によってお金で支援する人たちもいます。
本当に頭が下がる思いです。
一方で、災害にかこつけて、盗みをしたり、詐欺をしたりする悪い人たちもいるようです。
今回の能登地震でも地震直後、ほんの一週間もたっていないのに、大学生による空き巣泥棒のニュースがありました。
この3月でもまた新たな逮捕者がでて、10代の男性3人が空き巣泥棒をしていたとのことです。
こういった行為はなんていうんでしょうかね。
震災泥棒というんでしょうか?それとも被災泥棒・被災地泥棒ともいうんでしょうか。
火事場泥棒っていうのが昔からよくある表現で、きっと昔は火事・火災のトラブルに乗じて、盗みをするのはよくあったんでしょうね。
でも今の時代は火事は比較的早く消防によって火が消されますよね。入ってこれないように規制線も引かれ、泥棒するのは難しいでしょう。
地震や津波といった災害では、避難して長い時間家を空けるので、火事場泥棒よりも、被災泥棒、震災泥棒という言葉の方がなんとなく今の時代にあうような気がしてしっくりきますね。
ちなみに今回のような巨大地震といった災害が起きると、SNS上では、外国人の窃盗団が集まっているような真偽不明な噂話が流れたりしますよね。
外国人による犯罪が増えているというデマや噂は、災害時の不安で心配な思いをしている人たちの心理を煽って広がりやすいようです。
でも実際は外国人による犯罪が増えるといったようなことはないんですよね。
例えば東日本大震災があった年の8月の衆議院では、被災地を狙った外国人による犯罪事例の実情について政府の見解を問う質問がありました。
その質問の回答によると、福島・宮城・岩手三県で、2011年3月から6月に検挙された外国人は全体の約1%であり、震災前後の年と比べてほぼ一緒でした。
災害時に外国人による犯罪が増えるというのは、根拠のない話です。
もちろん外国人による被災地泥棒がないとは思いませんが、99%、ほとんどが日本人によるものだというのも心にとどめておく必要があると思います。
なんにせよ、被災すると、今までの生活とガラッと変わり、生きていくことが大変になります。
そんな苦しんでいる人がいるのに、盗みや詐欺といった悪いことをする心無い人もわずかにいるかもしれませんが、情けは人の為ならず、お互いが相手のことを思いあって支えあえる社会であってほしいです。
私の住んでいる香川県で言えば、ここ香川県は災害の少ない土地と言われています。
台風の被害も、地震も津波も大雨も、土砂崩れもそう聞きません。
そんな土地柄のせいか、防災意識はそんなにないかもしれません。
それでも今後30年以内に70%の確率で、南海トラフ地震が起こると予想されています。香川でも最大震度6強の可能性も出ています。
私のところはお寺なので、もしも震度6強の地震がきたら、甚大な被害がでるでしょう。6強だと本堂が倒れるかもしれません。木造で瓦が重い大きな建物であるお寺は、地震にはあまり強くないので、将来必ず来るであろう地震にはしっかり備えておかないといけません。
私のところのお寺では、ご門信徒の皆様からお預かりしているお骨や過去帳といった記録など、貴重なものは、地震による倒壊や火事で失わないように、今は震度7でも崩れない空間に入れて大切に保管するという対策をとっています。
お寺によって防災対策はちがうでしょうが、それぞれのお寺で地震や火事や泥棒の対策をとっていると思います。
以上で、今回のお話を終えます。
それと最後に余談で、円龍寺のお寺が昔、火事で焼けた時のお話をしますね。火事の時に取り出された仏さまの話です。
私のとこのお寺、円龍寺では今から140年以上前の1880年の3月9日に本堂が焼けました。
この火事の日の前日は、ちょうど京都からご門主様が円龍寺にお泊りになられていて、この火事の当日は、出立されたご門主様に随行して円龍寺住職らが出かけていたので、お寺が手薄な状態でした。
そんな中、1880年の3月9日に円龍寺の本堂で火事が起きました。
円龍寺は経蔵と山門を残してことごとく焼けましたが、幸いなことにご本尊の阿弥陀様は本堂から取り出されていました。
ここまでならこれでご本尊様が無事でよかったよかったという話となるんですが、この火事で焼けた本堂から取り出されたご本尊様は、お寺に返されませんでした。
決してその運び出した人が火事場泥棒と言っているわけではないですよ。誤解のありませんように。
でもお寺のお坊さんからすると、元々円龍寺の本堂でおまつりされていた仏様なので、円龍寺にお帰りになっていただけたらなあと思うところです。
まあでも、せっかく火事のお寺から救い出してくださっていただいたわけですので、円龍寺では無理に返さなくてもいいというスタンスでいました。
そんな状態が100年以上続きます。
それで12年前に事態が動きました。
円龍寺で最も古い建物だった経蔵の傷みが激しくなり、これは震度5でも崩れるだろうなあということで、防災もかねて経蔵を取り壊すことになりました。
それでご門信徒の要望も踏まえ、法要もでき、葬儀もでき、お骨もお預かりできるお堂を経蔵跡地に新たに作りました。
それで新しいお堂をつくったので、お堂の中心に仏さまを新しく迎える必要があります。
そんな時、円龍寺の本堂に元々まつられていて、火事の時に運び出された円龍寺のご本尊の阿弥陀様を、円龍寺のこの新しいお堂にお帰りになってはどうかという話がでました。
火事で取り出されて130年以上もたちますし、その家の人からしても、元はお寺の仏様であり、台座も含めて1メートルくらいもある大きな仏像なので、手に余るものでした。
その家の代も当然変わっているので、お寺にお返ししますという話になっていたんですが、そうは問屋が卸しませんでした。
その家の人は、元々は円龍寺のご本尊様だったので、円龍寺にお返ししますと話が進んでいたのですが、どういうわけか、その家の親戚がやってきて、寺に返したらいかん・ダメと言ってきました。
それで挙句の果てに、寺に返すんやったら、うちが持って行くといって、結局円龍寺にはお帰りになりませんでした。
今、円龍寺の仏さまはどうなっているのかなあとときどき思います。
お寺でおまつりするような1メートルもあるあんな大きな仏様、個人の家で扱うには大変ですし、捨てられていなかったらいいなあ、燃料になっていなかったらいいなあと思っています。
ひょっとしたら古物商かどこかに売られたりしたのかなあと想像したりもします。
いずれにせよ、仏さまが拝まれず粗末に扱われていないことを願います。
余談が長くなりましたが、結局何が言いたいのかと言いますと、こういう火災等、災害で失われたものというのは、なかなか元に戻ってこないよということです。
「円龍寺かっけいラジオ」では、番組へのメッセージを募集しています。ご感想や取りあげてほしいテーマなどもお寄せ下さい。