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「僧衣で運転して反則切符」に反論することが下らない

僧侶のかっけいです。

福井県の男性僧侶が僧衣を着て車の運転をし、「運転操作に支障がある衣服」という理由で交通反則切符(青切符)を切られたことが、全国ニュースになるほど話題になっているようです。

馬鹿らしいことです。

所属する宗派本山も「法令は順守するが、僧侶の活動に関わる問題で、受け入れがたい」と反発し、「信教の自由を実質的に侵害する」と飛躍した意見まで出たようだ。

僧衣が「運転に支障のある和服(着物)での運転」と、取り締まり中の警察官の判断によりたまたま摘発された事件なのだが、いちいち全国ニュースにするほどのことなのだろうか。

非常につまらない。くだらない。

なんでこんなにバカ騒ぎするのか。

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「僧衣での運転は支障ない」とお坊さんが反論する流れが馬鹿らしい

おそらくですが、日常的に和服と呼ばれる衣を着ている人たちからすれば、「僧衣で運転という理由で、危険な運転になるんだ」とはみじんも思っていないだろう。

なぜなら着物や僧衣そして草履は、着慣れている人からすれば、運転することに対してなんら支障に感じないからです。運転中に草履が脱げることはありえなく、足と同体です。

僧衣や着物といった和服を着て運転をしたがために、運転に支障が生じ事故が起きた事例が頻繁にあるのだろうか。無いはずである。

なぜなら僧衣での運転は不自由ではないからだ。

違反切符の事件を受けて、一部のお坊さんたちはインターネット上に「僧衣を着てもこれだけのパフォーマンスができるよ」とアピールしているが、運転と関係のないことを見せびらかして何がしたいのか。

これまでも和服を着たことで違反切符が切られていたのだろうか、また違反切符を切られる事例が増えたのか。そうではないでしょう。

この警察官の恣意的判断でたまたま違反切符を切られ、所属の宗派本山が受け入れがたいと反対の立場を主張しているだけである。

たまたま発生した僧衣運転違反切符の事件を、いたずらに話のことを広げ、例外中の例外のことを、社会全体の問題点として引っ張り込もうとするのはやめてほしい。

当事者間だけで解決できたことを、なぜここまで話を広げるのか。非常にくだらない。

宗派を巻き込んだ事件ですんだことを、わざわざ社会全体まで巻き込む必要があったのか。

お坊さんは他に議論しないといけないことがあるでしょう

今回の摘発には宗派内で「信教の自由を実質的に侵害する」との意見さえあるという。同派は「法令は順守するが、僧侶の活動に関わる問題で、受け入れがたい」とし、今後対応を検討していくとしている。

福井新聞12月29日より

ニュースを見ると、宗派内で「信教の自由を実質的に侵害する」とかなり飛躍した意見があるようです。

下手すると、自派ですら宗派の議会で意見する議員がいるかもしれない。

お坊さんに限らず、衣をきて運転している人はたくさんいます。皆さんも当たり前の光景として目にしているでしょう。

衣を着て運転することは社会的にも認知されている運転スタイルです。またいうまでもなく、運転者自身も衣を着ての運転が支障ないことを知っています。

今回の事件は由々しき事態であるのはお坊さんからすれば間違いないことです。

しかしこんな例外中の例外を、お坊さん自身が信教の自由に侵害すると怒り狂った姿勢をみせるのはいかがなものか。

むしろ仏教界には取り組まなければならない社会への議題がたくさんあるだろう。

  • セクハラ・パワハラ
  • 体罰
  • 性差別、男性女性の区別など

最近では入試や就職活動の場で、男性女性を記載しないことがあるようだ。

一部の仏教宗派では、戒名や法名に「信士・信女」や「尼」の性別の表記をしなくなっている。かつてはしていたのに。

社会全体の問題として性差別が話題になっているのに、仏教界では遅れているのではないか。お坊さんをつかまえて「この仏教宗派は性差別についてどのように考えているのですか」と質問して、明確な回答ができる人がどれだけいるだろうか。

修行する場では体罰の線引きも問題となるでしょう。

僧侶は社会問題となっている今の事柄について真剣に宗教的立場で議論しなければならないのに、たまたま起きた事例、それも当事者同士で解決できたことを馬鹿みたいに問題視して社会を巻きこみ、何がしたいのか。

お坊さんから波風を立てる時代に

今はSNSでお坊さんも気軽に発言できるようになりました。また情報の伝達も素早くなりました。

たった一つの出来事が瞬く間に繰り返し繰り返し駆けめぐる時代です。

和服を着ての運転が当たり前にみられる時代に、「衣を着たお坊さんの運転で違反切符」は面白い出来事だったのだろう。

反則切符を切られた僧侶と宗派本山と福井県警だけで解決できた一出来事だったのに、「僧衣でもこんなことができるよ」と反論し、さらには「どこまでが危険な衣で、どこまでなら違反とならないのか」と下らない論調を出すのはいかがなのものか。

お坊さんの方から騒ぎを大きくし、物事をさらに煩雑にしようとするのはいかがなものか。

本当に今現代、衣を着てでの運転を本当に議論しないといけないのか。そんなわけはないでしょう。いらん波風をお坊さんから立ててどうする。

社会をより良く・正しているように見えて、見当違いな方向に導いてしまっていないのか。


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追記。問題提起にすらならない動画

有り難いことに「#僧衣でできるもんという動画は、問題提起に役立ったのではないか」・「僧衣よりも優れた僧侶の運転服装があるのではないか」というメールをいただきました。

私も調子にのるタイプですので、反応させてもらいます。

問題提起する必要がない違反切符事件

まず僧衣を着たお坊さんパフォーマンスをする映像です。

僧衣を着てパフォーマンスをすることは問題ないと私は考えます。むしろなぜ僧衣でパフォーマンスをしていはいけないと思うのか。僧衣を着て、食事をしたり、横になったり、テレビゲームをしてもいいでしょう。(パフォーマンスが低俗だと意識しているから、僧衣を着てするのは相応しくないと思ってるんじゃないの。)

僧衣を着てパフォーマンスをすることによって、「僧衣でもこんなに動けるんだ」と多くの人に知らせられたのかもしれません。

しかし僧衣をきて運転することと全く関係のない体の動きを見せて、いったい何の意味があるのか。全く意味のない動画である。

「問題提起に役立ってほしい意図があるからいいことじゃないか」と考える人もいるでしょう。

しかしこの動画は、問題提起にすらならないのである。

なぜなら僧衣の運転で違反切符を切られたという問題はすでにあり、このパフォーマンス動画はただの後追いだからです。

もっといえば、問題提起するほどの問題ではないからです。

なぜ問題提起しなければならないのか。

この事件より前に、僧衣運転での違反事例はあったのか。ないだろう。ではこれ以降、僧衣運転により違反切符はますます切られるのだろうか。切られないだろう。

この警察官の判断により、たまたま違反切符が切られたのであって、例外中の例外の事件にすぎないのである。問題にしていく必要がないのである。

もちろん宗派本山からすれば僧衣運転で違反切符は由々しき事態なので、福井県警に抗議します。本当ならこれで事は大きくならなかったはずです。

僧衣で運転しても運転に支障がないことは、明らかです。

福井県警はこの警察官らに対して「僧衣を着て運転しても運転に支障はないよ」とさとし、また宗派本山も僧侶らに対して「安全運転を心がけることを徹底する」とすれば、双方が円満に終わったことなんです。

問題提起するならば、問題となる前に、これから問題となるだろうと予見し、問題を提起してください。

パフォーマンス動画を見ると、口の悪い言い方をすると、違反切符事件に乗じてパフォーマンスし、事態を大きくはやし立てているお調子者の行動に見えます。

今回の僧衣運転による違反切符はささいなことだったんです。僧衣を着ても運転に支障はないのだから。

双方が、すまんかったなあ、指導を徹底するよと言いあえば、それで鞘におさめられたんです。

でも周りのお坊さんらが調子にのってはやし立てるから、矛をおさめられにくくなっちゃうんだよ。

僧侶の運転服装を改めるべきか

次に、お坊さんの運転時の服装を考え直す時代ではないかという指摘です。

結論から言えば、現状の服装で十分です。なぜなら今の僧衣でも運転に支障はないからです。

でもこんな意見もありますよね。

  • 運転しにくさが少しでもあるならば、もっと良い服装にしたらどうなのか
  • 危険を未然に防ぐために、もっと良い服装はないのか

僧衣は運転に(ほとんど)支障がないといっても、それはあくまでも個人的な程度のはなしである。

僧衣を着慣れていない人、草履を履きなれていない人が、いきなり運転すると、怖い・難しいと感じるでしょう。

交通事故は悲劇を生みます。だから少しでも運転能力が発揮できる服装をきるべきだという意見も分かります。

でも繰り返しますが、今までに僧衣を着て運転をして重大の事故があったのだろうか。僧衣を着て運転をしても運転に支障はないのに。

ちょっとでも運転しやすい服装と言いますが、それを言いますと100%の運転能力を発揮できる服装以外はすべて駄目だという話にならないだろうか。

私の属する派のお坊さんは、運転中とお参りの時、どちらも同じ黒色の衣を着ます。理由はいろいろありますが、ひとつは僧侶の服装負担を減らすためです。

新たな服装を作ればいいじゃないかと主張するお坊さんは、大きな派に属するか、お金が潤沢にあるお寺ではないだろうか。

どうして運転に支障がない服装なのに、わざわざ新しい衣をつくらないといけないのか。お寺の負担になると思わないのだろうか。

現状でも運転しやすい服装である。事故を起こさないために服装を改めるのではなく、僧侶一人ひとりの安全運転意識を高めるように徹底指導する方がなんぼか建設的な対策だと思います。

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