回転式本棚の発明者!?傅大士とはいったいどんな人物なのか

こんばんは。  かっけいです。

図書館や本屋でよく回転式の本棚を見ることが多いと思います。

実は傅大士というかたが回転式の本棚を開発した人とも言われいています。

傅大士という人を初めて聞く人もいる人が多いと思いますが、お寺にはその像が祭られていることがあります。

今日はこの人物がどんな人だったのか紹介します。

 

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傅大士とは

傅大士三尊

 

上の写真は円龍寺で安置されている傅大士三尊です。

傅大士と言われる人は正面の人物のことをさします。

向かって左が普建・右が普成という人物です。

 

傅大士の別に東陽大士・双林大士・善慧大士・烏傷大士とも言われます。

中国の梁の時代(502~557)の人物で梁代三大士の一人に数えられています。

  • 497年に生まれ、569年に亡くなりました。
  • 姓が傅(ふ)。名は翕(きゅう)。字は玄風(げんふう)。
  • 東陽郡、烏傷県の人であると言われている。
  • 16歳で劉妙光と結婚し、普建と普成の二人の子を産んだ。
  • 廣山で隠居をし、いつしか弥勒菩薩の化身とされる。
  • 534年ごろ、中国の金陵(きんりょう:今の南京市)の蒋山(しょうざん:今の紫金山(しきんさん))に着いたと言われています。
  • 540年に梁武帝に双林寺を提案し、詔が下りて双林寺が建てられた。
  • 大蔵経(一切経)の閲覧のために輪蔵を考案したと言われる。

 

この傅大士と言われる人物は中国禅宗の祖、菩提達磨と出会うことでその教えに従い、山中での生活をするようになったと言われています。

ただ昼間は農作業・漁業をして生活をし、夜に仏道修行に励むという真宗にも通じる在世仏教の形であったとされます。

その後自ら「雙林樹下當來解脫善慧大士」と名乗ったとされます。

双林とは沙羅双樹のという意味です。沙羅双樹とはお釈迦さまが亡くなったとされる樹と同じ種類です。つまり沙羅双樹の樹の下で悟ったということです。

その後、梁の武帝から問答を受けたとされています。

 

梁の武帝という人物は皇帝菩薩と称されるほどの人物で、仏教に篤く自身も仏典の注釈本を書き、また莫大な財物を寺院に出したため、結果的に梁の混乱を招いたとされています。

 

傅大士はその後、梁武帝の命令によって双林寺を建てたと言われています。

その双林寺で傅大士は画期的な発明をしました。

それが回転式の本棚です。

 

今では当たり前のように図書館や本屋で見られる回転式の本棚ですが、その最初のモデルの考案者がこの傅大士とされています。

大蔵経とはある特定の仏教経典を指すのではありません。経・律・論の三蔵を中心としたあらゆる仏典のことです。仏典はお釈迦様の没後に書かれたものしかなく、あらゆる言葉に訳されていますが、それらすべての総称が大蔵経(一切経)とされます。

それら膨大な仏典を保管し、いつでも読めるように改良したのが傅大士さんです。

それを輪蔵、もしくは転輪蔵(てんりんぞう)と言われます。

 

転輪蔵とは元々はとてつもなく大きいもので、経蔵の中心に回転させることができる八面の本棚を設け、それを回転させることで、人は動くことなく仏典を取り出すことができます。
wikipediaには回転式書架の作成はヴィクトリア朝後期(19世紀後半)とされていますが、それよりもずっと早い時期に回転式の本棚は考案されています。

 

傅大士はこの輪蔵を考案した人物とされているため、主に寺院のお経を納める経蔵に安置されていることが多いです。

今も残っている転輪蔵は、例えば西本願寺や知恩院などにあります。

 

回転式本棚のその後

傅大士は大士という名前が名づけられているように、菩薩という意味があります。

菩薩というのは人々と共に歩み、教えに導くもののことをさし、傅大士も民衆教化に努めたとされています。

 

回転式本棚はその後文字の読めない人物にも、修学する環境のない人物にも広く仏縁を結ばせるために、時計回しに一回転させることで大蔵経を修学したのと同じ功徳が得られるとされました。

 

これが場所が変わり、チベット仏教ではマニ車(まにぐるま・別名:転経器)に変化し、マニ車を時計回りに回転させると、回転させた回数分だけ経を唱えた功徳とされるようになりました。

 


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さいごに

傅大士が祭られている寺院はそれほど多くはないと思います。

現在では経蔵に籠って仏典を学ぶということも少ない時代ですので、経蔵が流行っていないというのもあると思います。

ただ歴史ある寺院に行きますと、今でも立派な転輪蔵がありますし、実際に動かすことができるところもあります。

 

 

円龍寺ではたまたまかつて経堂があり、そこにこの傅大士三尊が安置されていました。経堂を解体し、新たに偲朋堂(納骨堂)を建てるときに、そこに祭られていた傅大士さんの当初の彩色を復元し、再び安置しました。

 

 

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