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お坊さんの話がいつも同じで、つまらなく感じているあなたに送る言葉

投稿日:2017年6月17日 更新日:

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

皆様はお坊さんのお話を聞いたことがありますか。

普通に生活していればなかなか聞く機会はないでしょうが、お寺の法要にお参りしたり、親戚の年忌法事にお参りするとお坊さんの説法を聞くことがあると思います。

お坊さんとご縁の薄い人であればお坊さんの話が新鮮に聞こえるかもしれませんが、熱心な方ほど、いつもお坊さんが同じ話ばかりをしてつまらなく感じてしまうこともあるでしょう。

今回はそのような「聞き飽きた」、「たまには違うのを聞きたい」と思う人に当てた言葉を紹介します。


【前置き】お坊さん側の言い分

お坊さんってどんなことをお話していると思いますか?

「そりゃもちろん、仏法でしょ。」

のんのん、そうではないのね実は。

なんでだと思います。

理由は、受けが悪いから。

せっかく年忌法事の最後にお話をする機会を頂いても、実際に仏法に関するお話をするとお参りの方は急に下を向いて、船を漕ぎはじめるんですよ。

自分には関係ないという感じで聞く耳を持たないんですね。

ではどんな話をするかと言えば、今までに受けが良かった話、例えば、仏壇のお飾りとかお焼香の作法とかかな。

こんな実用的な・雑学的な話になると少しは顔を上げて耳を傾けてくれるんですね。

熱心なお坊さんならうつむいている人だらけでも、仏法にまつわるお話ができるのですが、私ではまだまだです。

そもそもお坊さんの話のレパートリーってそんなにないのよね。

なぜかといえば、仏教って本当に伝えたいことはほんのわずかなことだから。

真宗を例にすると説法の中心になるテーマは「本願」・「信心」・「恩」・「阿弥陀」・「念仏」がぱっと今私は思い浮かびます。

これらをその時に聴聞の場の雰囲気を感じ取ってお話しているんですね。

ですから何度もお話を聞く機会にある人は、「あのお坊さんはまた同じ話してるよ」と思うわけです。

蓮如上人の残された言葉。

本願寺中興の祖である蓮如上人には『蓮如上人御一代記聞書』の中でこのような言葉が残っています。

ひとつのことを聞きて、いつもめづらしく初めたるやうに、信のうへにはあるべきなり。ただ珍しきことをききたく思ふなり。ひとつのことをいくたび聴聞申すとも、めづらしく初めたるやうにあるべきなり

『蓮如上人御一代記聞書』より

これが聞法者の心構えであることを蓮如上人は話されています。

いっつも同じ話ばかりだと違った話を聞きたくなるのが人というものです。

せっかく話を聞く機会があるのだから普段聞けないような珍しい話を聞いてみたいものです。

でも仏法を聞いていくときにはこれが当てはまらないんですね。

仏法というのは、真理に基づくことしか言わないのです。(例えば生まれてきた人は必ず死んでいくこと)

目新しい・珍しい考えや教えというのは仏法ではおかしなことと思わなければなりません。

真宗では阿弥陀様の願い(救い)が話の中心です。そこには真理が複数も2つも3っつも4つもあるわけではありません。

仏法を聞き訪ねるというのは新しい知識を求めるのではないんですね。

仏様が私たちに向けた願いに気付き、仏様の智慧をいただき、ありがとうございますと頷けるところに意味があるんですね。

新しい話を聞けば、ちょっとした満足感は得られるでしょうが、それだといつまでたっても変わりません。

お坊さんが何度も同じ話をするのは伝えたい思いがあってのこと。

同じ話でも文章でも何度も何度も聞くたび読むたびに新しい発見・気づきが見えてくることもあります。

お坊さんのお話を聞くときは、「また同じ話か」とがっかりするのではなく、「仏様の方から気付いてくれよ・わかってくれよ」と呼び掛けられていると思って聞くべきではないでしょうか。

 

さいごに。ちょっとした雑談。

蓮如上人はお坊さんの私にとって、非常に支えとなる言葉を残しています。

ただ上で紹介した蓮如上人の言葉には注意することがあって、文のはじめには「信の上にはあるべし」とされてるんですね。

信心をいただいた身の上であるならばこの蓮如上人の勧めは通用するのでしょうが、なかなか現代では難しいところでしょう。

浄土真宗のご聴聞とは阿弥陀様の願い、南無阿弥陀仏のいわれを聞いていくこと・問い訪ねていくことにあります。

難しく言えば、第18願「念仏往生の願」をいただいていくこと。

しかし私も含めて人というのは迷いの心もありますし、当然疑いの心も持ちます。こころがあっち行き・こっち行きとその時々に合わせて都合よく自分の目線で考えてしまいます。

ですので蓮如上人が言われた「ひとつのことを聞きて、いつもめづらしく初めたるやうに」とは確かな信心をいただけた人に対して述べた言葉であって、私たち一般の人には後の言葉、「ひとつのことをいくたび聴聞申すとも、めづらしく初めたるやうにあるべきなり」を勧められたのではないでしょうか。

お坊さんが話をする内容はそんな急激に変わったりしません。

仏法を素直にいただけない人は、新しい話・珍しい話ばかりを求めるのではなく、お坊さんが伝えようとしていることを『これが初めての話』、『自分に向けての話』のように聞いていく姿勢が大切なのではないでしょうか。

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