なぜ仏さまに手を合わせるのか.#301

第301回目のラジオ配信。「合掌」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

内容まとめ
  • 合掌とは仏様を拝むときに手を合わせること
  • 仏さまを敬うためにする
  • 右手が仏様(清らかな)、左手が人間(清らかでない)であり、合わせることで一体化し、私たちが清められるという考え方もあるようだ
  • 合掌は仏教しかないかもしれないが、手を合わせる行為は世界の他の宗教や文化などでも見られるだろう
  • 私が手を合わせるのは「仏さまを拝むときの作法」だと教えられたから
  • 2500年ほど昔、お釈迦如来さまがいた頃から、手を合わせられていた
  • 大切な物を受け取るときに両手を出すように、大切な仏さまの教えを受け取ろうとすると、自ずと手が合わさっていく姿になるのではないだろうか

かっけいの円龍寺ラジオ

これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。

今回はなぜ両手を合わせるのかについての話しをしていきます。

さて、皆さんはお寺やお墓にお参りしたとき、法事やお葬式のとき、手を合わせることをしますよね。

仏教では手を合わせることを合掌と表現します。

皆さんは不思議に思いませんか?私は不思議に思います。

なぜ両方の手を合わせる必要があるのかと。

私はお坊さんなので、なぜ合掌をするのか・両手を合わせるのか理由を知っています。しかしその理由もなんとなく納得しかねるところがあります。

というのも合掌は仏教独特のもの、相手を敬う挨拶のためのもの、それだけではなく、右手は仏様を表し、清らかなもの、左手は私たち人間を表し、不浄なもの、これが両手を合わせることで一体化して、仏さまの力によって、私たちが清められるといった、なんともスピリチュアルな説明がインターネットなどでよく見られるんですね。

もちろんこういった考え方もあるでしょうし、私も否定はしません。

しかし手を合わせる行為というのは、別に仏教に限ったことではないでしょう。

仏教でいう合掌は仏教にしかないかもしれませんが、世界の他の宗教でも手を合わせる行為はふつうにみられますよね。

もっと言えば、宗教に関係なく、人は誰かにお願い事をするときや、とっさに体が動いたとき、踊りの中でも、両手を合わせたりします。

驚いたときや怖いときにも、手同士をぎゅっと握ったり、手を口や頭や胸など体のどこかに合わせようとします。

私は手を合わせる行為が仏教独特なものとは思えないところです。手のひらが合わさるのは、人として自然と起きる行為の一つのような気がします。

私は浄土真宗のお坊さんですが、右手が仏様、左手が人間と思いながら手を合わせたことはありません。

それでは私はなぜ両手を合わせるのでしょうか。

私が手を合わせるのは仏さまを拝むときに手を合わせるんだよと小さい時に教えられたからです。

なぜそんなことをするかというと、そういう作法だからです。

だからぱちぱちと音を鳴らしたり、手をこすり合わせるような合掌を私はしません。私の宗派にはそんな手を合わせる作法はないからです。

それではなぜ手を合わせる作法があるのでしょうか。

これは今から2500年ほど昔、お釈迦如来さまがインドにいらっしゃったときからあった作法だからです。

浄土真宗が大切にするお経、仏説無量寿経や観無量寿経の中に、仏さまを敬い拝むときに合掌していることが書かれています。

仏さまを敬いほめたたえるために、今、私たちもその作法を受けつぎ、手を合わしているわけです。

さて、これでなぜ両手を合わせるのかについてのお話はいったん終わりになります。

仏教開祖のお釈迦様がいらっしゃた頃から、仏さまを敬うために手を合わしていて、その作法が今でも受け継がれてきたからですね。

ここからは余談になります。

私たちは大切な物を受け渡しする時、渡す側も受ける側も両方の手を使いますよね。

これはなぜなんでしょうかね。

この行為には仏教でいう合掌と似た心があると思います。

私たちが両手で物をさし出し、両手で物を受けるのは、そのものに託された相手のこころをしっかり受け取ろう。やりとりしようという心が働いているからだと思います。

丁寧さを感じるからだとか、マナーだからという考えもあるでしょうが、やはり一番は、その物のやり取りを通じて、相手を敬ったり、相手の気持ちを受け取ろうとする姿勢があるからだと思います。

仏教では仏さまを拝むときに、手を合わせます。

仏さまから形あるものを受け取ってはいませんが、その教えを耳や目で受け取ります。

それではその仏さまの心を受け取るとき、私たちはどうすればいいのか?

私はその受け取りの行為が形となって表れてきたのが、合掌であったり、うなずきであったり、お念仏だと思うわけです。

仏教を聞くことは仏さまの教えを受け取っていこうとすることです。

私たちは大切な物を受け取るとき、両手で受け取ろうとしますよね。

仏教でも同じことが言えて、仏さまの大切な教えを受けようとすると、自ずと両手が合わさって、仏さまの話しを聞いていこうという姿勢になっていくのだと思います。

その姿勢に対して、あれやこれやと理屈をつける必要はないでしょう。

合掌に関する内部記事
かっけい
かっけい

浄土真宗では拍手をしません

お坊さんの話の後で拍手がおこることもありますが、浄土真宗の場合、ふさわしいお参りの仕方ではありません。

その理由を下のリンク先で紹介しました

葬儀で霊柩車が出発する時(出棺)、手を合わせますよね。

故人の冥福を祈り亡き人のために手を合わせているかもしれませんが、浄土真宗では亡き人に対して手を合わせていません。

それでは浄土真宗の葬儀では、出棺のとき、何に対して手を合わしているのでしょうか。

そのことについて下のリンク先で書きました

タイトルとURLをコピーしました