出棺時の霊柩車への合掌は、何に対して手を合わしているのか

こんばんは。 浄土真宗僧侶のかっけいです。

おそらくですが、出棺時の時に霊柩車へ向かって合掌する地域は多いのではないでしょうか。

しかし皆さんはあの時いったい何に対して手を合わしているのでしょうか。

考えてみたことがありますか。

「故人・亡くなった人に対して手を合わしているに決まっているじゃない。」と思うかもしれませんが、う~ん。浄土真宗的にはちょっと違っています。

今回は出棺時の合掌は何に対して手を合わしているのかを説明します。

浄土真宗的な説明ですから、他宗では当てはまらないかもしれません。

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仏教での礼拝対象は仏様。

仏教では礼拝(らいはい)の対象は仏様です。これが基本です。

より正確に言えば「ご本尊(ごほんぞん)」に対してです。

仏様でないものに対しても崇敬の念を込めて合掌礼拝をすることもありますが、基本は仏様に対してです。

合掌礼拝は仏様への報恩感謝を表現する姿です。

特に浄土真宗では阿弥陀如来の願いの働きによって生きている私たちが救われる教えですので、合掌礼拝は阿弥陀様に対してします。

その他のお宗旨では、釈迦如来であったり、大日如来・薬師如来などとそれぞれの救いの仏様に手を合わしています。

または、宗祖である人物や教えを伝え届けた高僧たちにはその遺徳を偲んで、礼拝の対象となることもあります。

葬儀でも故人に対しては手を合わしていない。

お骨や遺影に対しては本来的には拝みません。

特に浄土真宗では遺影やお骨そのもの・お墓そのものに対しては合掌礼拝をしません。当然祈ることもしません。

ですので自宅で葬儀をする時にはお仏壇のお扉を開けます。

葬儀(を含め仏事)の中心は故人ではなく仏様です。

最近では葬祭業者の手により葬儀会館での葬儀が当たり前になり、仏様のお姿を隠すかのように故人の遺影をお飾りすることがありますが、できれば正面を避ける方がいいです。浄土真宗的には。

葬儀のお勤めというのは、亡き人を偲びつつ、人生における生・老・病・死の苦しみ悩みの問題に深く見つめなおす御縁とし、私を救い導いてくださる仏様の願い誓いを仰がさせていただき、お念仏させていただくことです。

葬儀とは、亡くなった人に対して残された人が祈る場ではなく、亡き人の有難い仏縁を通して、残された私たちに対して仏法をますます頂いていく場です。

故人は仏様のはたらきによってお浄土に生まれさしていただいるのですか、その仏恩に感謝する形として仏様に合掌礼拝をします。

霊柩車は故人を納めた棺を運ぶ車。じゃあ何に対して手を合わす?

遺族心情であったり一般的な感覚では葬儀や法事の時とは、亡くなった人に対して手を合わしているのかもしれません。

しかし繰り返しになりますが、あくまで仏教では礼拝の対象は仏様です。

故人を表すお骨や遺影やお墓に手を合わしたくなるかもしれませんが、浄土真宗的な考え方では、その故人を偲ぶご縁を仏様に参るご縁へとさしていただいています。

ですので仏様(ご本尊)をお飾りしていない仏事というのはあり得ません。

枕経(臨終勤行)や納棺勤行、通夜勤行、葬儀勤行、火屋勤行、収骨勤行、還骨勤行、中陰勤行、これら一連の葬送儀礼のお勤めの中には必ず仏様をお飾りします。

では本題の出棺時の話です。

霊柩車に棺を載せた時や、クラクションを鳴らし出棺するときには、葬儀社の人が「がっしょう~。らいはい~。」ってアナウンスしますよね。

パッと見た印象では「どこにも仏様なんてない」と感じるでしょう。

すると今まで説明してきた「合掌礼拝は仏様に対して」の原則に反するようにも思われます。

「やっぱり棺(故人)に向かって拝んでいるんじゃない」と思うやもしれません。

いいえ、仏様に対して手を合わせています。

納棺尊号(修多羅要文)が棺に入れられている。

おそらくですが、納棺尊号(のうかんそんごう)は浄土真宗でのみ使用されているかもしれません。

なぜなら阿弥陀様は『南無阿弥陀仏』の文字になった仏様であるからです。

浄土真宗の阿弥陀仏は、木像や絵像の他に『南無阿弥陀仏』が名号の本尊としてお飾りされます。

いつでもどこでも仏を念じることができるのが名号本尊の優れている点です。

浄土真宗では僧侶が葬儀の際に次のような納棺文を用意しています。

納棺尊号。真宗修多羅要文。

書き包み。真宗修多羅要文。

この書き包みを葬儀勤行が終わり、棺を閉じる時に納めていただきます。

地域にはよっては真宗要文・宗要文・修多羅文・金言文と表に書かれていることがあります。

納棺尊号。修多羅文に書かれている内容。

中には故人の法名が記されている。

納棺尊号。修多羅文に書かれている内容。

名号と経典の大切な文句。

修多羅(しゅたら)とは「経」という意味です。金言(きんげん)とは「仏の尊い教え」という意味。

真宗修多羅要文とは浄土真宗の教え・阿弥陀仏の本願力を表した書き包みです。

この中身には『南無阿弥陀仏』と阿弥陀仏の名号が書かれ、さらには『其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転』という「阿弥陀仏の本願のはたらきを聞信し、阿弥陀仏の浄土に生まれ往きたいと願う人を必ず救いとる」といったニュアンスの経典の文句が書かれています。

話を戻して納棺時にはこの仏様を表している名号を納めています。

つまりは霊柩車の棺の中にはご遺体だけでなく仏様も一緒に納められています。

ですのでこの真宗修多羅要文のことを「納棺尊号(のうかんそんごう)」とも表現します。

出棺時・霊柩車が出発するときの合掌礼拝は故人のご遺体にしていると思われているかもしれません。

しかし実はその姿は、ご遺体とともに納められた仏様の名号に対して拝み、仏様に合掌礼拝しています。


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さいごに。亡き人に向けた合掌もわからないではないが、仏様に対して拝むのが大切。

私たちは亡き人との分かれが辛いものです。

特に愛情があり生前のご縁が深ければ深いほどより悲しみは深くなり、別れへの未練を断ち切ることができません。

本来は仏事というのは仏様に対して崇敬の念を表し仏法をいただていく場なのですが、なかなかそのような思いをもってお参りできている人は少ないと思います。

むしろそれが自然なことかもしれません。

出棺時の合掌礼拝もご遺体との別れを通してその向こうの仏様に手を合わさしていただいています。

納棺時に納める名号の仏様は、ご遺体の方に意識が向きがちな私たちに対して、意味は分からなくても気が付いていなくても仏様にいつでもどこでも私たち凡夫を願われているのだと示しているのだと思います。

合掌礼拝を意識してされている人が少ないかもしれません。

それこそ周りがしているからとりあえずしておこうとする人もいるやもしれません。

しかし合掌礼拝は仏様に対してする報恩感謝の姿です。

合掌礼拝するご縁にあったときには目に見えていなくても仏様に願われているのだと考えてみてはどうだろうか。

【まとめ】霊柩車への合掌はご遺体ではなく仏様に対して。

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