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第134回目のラジオ配信。「お話する向き」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
この番組では香川に住む浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。
先日、法事の席で、次の質問がありました。
「どうして読経が終わった法事の最後のお話の時に、お坊さんは横を向いてお話するのか」と。
「浄土真宗のおつとめの最後に横を向く」理由については、2021年8月24日配信の101回目のラジオで紹介しているので、今回はそれに派生した内容で、「仏様の真正面でお話しない」ことを短く雑談していきます。
さてまずは浄土真宗のお坊さんが、読経の最後に横を向く理由を簡単に振り返ってお話しますと、あれは、ご勧章や御文章と呼ばれる大切なお手紙を拝読するために、横を向いています。
私の寺円龍寺は、浄土真宗の真宗興正派に属していて、興正派は本願寺の蓮如上人ともご縁があったので、読経の最後は蓮如の書いたお手紙を読むことが多いのですが、最近の私は、真宗興正派の門主だった興正寺の本寂上人のお手紙を拝読することも多々あります。
浄土真宗の寺・宗派・地域よって、読経の最後に読むお手紙は違うでしょうが、これらは、浄土真宗の肝心かなめなご法話を、その書かれた方に代わって時代をこえて読まさせていただき、読む私もまた、お参りされている方達と同じように、お話を聞かさせていただいてるのです。
そういうわけで、浄土真宗の読経の最後には、お坊さんは横を向いてお手紙を読んでいるんですね。
ここまでが101回目のラジオ内容の簡単な振り返りです。
つづけて、振り返る向きについてのお話を今回していきます。
これは私が耳にした話なので、本当にそうだったかは不明ですが、私の住む地域では、かつては法事の最後、お坊さんのお話はなかったそうです。
その理由は、ご勧章や御文章といわれる宗派を代表する本山の寺のご門主・上人が書かれたお手紙を拝読していて、門主・上人が説法されているのに、わざわざ重ねて読経したお坊さんがお話をする必要はなかったそうです。
ですが、ここ40年ほどでしょうか。私の住む地域では、法事の時や葬儀の時、お坊さんがお話してからお手紙を拝読するようになったそうです。
ですから法話を二重に重ねてするので、だいぶ丁寧な感じのお勤めの締めになったとのことです。
で、お話をするときには、お坊さんはお参りの方に振り返りますよね。私の場合はお仏壇から見てだいたい真横よりもややお参りの人側、120度くらい振り返っているでしょうか。
振り返る向きの程度は、厳密な決まりはありませんが、仏様を完全に背にすることはありません。つまり仏様がお坊さんの真後ろになるように180度向きを変えることはしません。
これはお寺の法要でも同じことです。
寺の法要にお参りしていただいたらわかるように、布教のお話をされるお坊さんの演台は、決して本堂の正面には置かれていませんよね。
必ず正面を避けて、左か右の位置に、演台が置かれていて、お話をするお坊さんは真ん中に立たないようにします。
これはなぜかと言いますと、法事・法要・葬儀といった仏事の中心は、仏様だからです。
お坊さんではありません。
私は小さい時から「仏様の正面では、仏様に背を向けてお話してはいけない」と祖父に口酸っぱく言われてきました。
皆さんご存知でしょうが、読経するお坊さん・お話をするお坊さんは偉くありません。
尊く偉いのは仏様であり仏の教えです。
浄土真宗のお坊さんは、お参りの人たちと同じく、仏の教えを聞いて、お念仏をとなえ、仏様を敬っていく存在です。
仏様をバックにして、仏様の威光を笠に着て、お話を聞きなさいと偉そぶるのは浄土真宗ではありません。
仏事の席で振り返ってお話するお坊さんは仏様にお仕えし、仏様や上人に代わって、仏のお話をさせていただいているだけです。
もちろん仏様の正面に立ってお話しないというのは浄土真宗のお坊さんでの考え方なので、いつも必ずしも成り立つものではありません。
例えば、なんらかの仏教講演会に行ったとしましょう。
宗教評論家や哲学者といった偉い学者さんや大学の先生たちは、仏教講演会で、仏様の正面にたって、お話をしたりすることもあります。
そんな風に一歩、浄土真宗での仏事と関係のないお話の場では、仏様を真後ろにして、仏様の正面でお話をすることだってあります。
ですが繰り返しますように、浄土真宗では仏様・阿弥陀様が第一であり、お話をするお坊さんがどうのこうのというのは関係ありません。
お坊さんもお参りの人と同じく、仏の教えを聞き、仏様を敬う人なので、メインである仏様の正面を避けるようにします。
そんなわけで、法事の最後で、お坊さんは横を向くことはあっても、仏壇を背にして180度後ろを向いてお話することはないんですね。
ただし浄土真宗でも例外があって、お二人だけ、仏様の正面に位置することができる人物がいます。
その一人は、親鸞聖人です。
親鸞は浄土真宗の教えを私たちに広め伝えてくださった浄土真宗の宗祖です。
仏様ではありませんが、仏様のように尊いお方であり、仏様のように寺のお堂の中央・正面にいらっしゃることがあります。
もう一人は、門主や法主(ほっす)・法主(ほうしゅ)などと呼ばれる宗派宗門の本山を代表する人物です。
門主は浄土真宗の宗派宗門を代表する立場の人であり、その浄土真宗の教えを守り要を伝えていく、象徴のような人です。
宗派宗門の代表・象徴である門主は、仏様の正面にたってお話することができます。
他のお坊さん達は、仏様の空間の内陣から外陣に降りる時は、仏様の正面を避けて、横の余間などから下に降りますが、門主だけは、仏様を背にして、仏様の正面から外陣におります。
親鸞さんと門主のお二人は、浄土真宗でも特別な存在なので、仏様の正面におわすことができます。
以上で、2022年4月26日の、「浄土真宗の法事の最後にお坊さんが横を向く」ことと、「仏様を後ろにしてお話しないこと」のお話を終えます。
それとさいごに、丸亀市円龍寺での春の法要のお知らせです。
2022年の今年も5月5日の午後2時から円龍寺本堂で、春の法要を行います。
5月3・4日の丸亀お城まつりの翌日ですね。
布教をされる方は本山布教使の柴田好政師です。新型コロナウイルスの関係で、布教のご案内を何度も取りやめていましたが、ようやく3年越しにお招きすることができましたので、ぜひ皆さま仏様にお参りし、本山布教使のお話をご聴聞いただけたら幸いです。
「円龍寺かっけいラジオ」では、番組へのメッセージを募集しています。ご感想や取りあげてほしいテーマなどもお寄せ下さい。