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第50回目のラジオ配信。「北枕(きたまくら)」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
先日お参りに行きますと、小学生のお子さんが私に「頭を北に向けて寝たらダメって本当なの?」って聞いてきました。
そこでその子に「どうして頭を北にしたらダメだと思うの?誰かに言われたの?」と聞き返すと「お母さんが頭を北にするのはダメ」って言ったそうなんだって。
よかったら「そのダメな理由もお母さんに質問してみて」と言うと、その子は走って台所の方に行って聞いてくれました。
で理由を聞くと「頭を北にして寝るのは、死んだ人がする寝方だから、生きている人はしたらダメ」なんだそうです。
そっか~。頭を北にして寝るのは死んだ人の寝方で、生きている人はしたらだめか~、北向き枕はそう思われてるんだ~と思いました。
2020年7月28日に放送の今回は「枕を北向きにして寝る」をテーマにお話します。
おそらく現在の日本で仏教形式の葬儀をする場合、まずご遺体を安置する時は、頭を北・足を南に向けますよね。このことを枕を北にすることから「北枕(きたまくら)」と言ってますね。
亡くなった後の枕のお勤め、納棺後のお通夜そして葬儀と、私たちは亡くなった人の頭を北にむけようとして仏教形式の葬儀をしようとするので、一部からは北枕は縁起が悪いと言われているようです。
さてどうでしょうか。皆さんも枕を北向きにして寝ることに抵抗ありますか?
私はまったくありません。
それこそ私、寝相がとっても悪いので、寝てる間に頭が北にも西にも南にも東にもいろんな方向に向いてしまいます。
他にも私の家の仏間は北側に光を取り入れる縁があるので、仏間で昼寝をするときは私はだいたい頭を北向きにして寝てますね。
私からすれば、なぜ枕を北にして寝たらダメなのかよく分かりません。
もちろん亡くなられた方のご遺体の頭を北向きにするから、北枕をするべきではないと主張する人の意見もわかります。
でもあれはお釈迦様、仏教をひらかれたお釈迦如来が亡くなる時のお姿にならってしていることだからしているだけなんですよ。
日本だと浄土教のお坊さんが昔していたらしく、例えば浄土宗の開祖法然上人は亡くなる前に袈裟を身に付けて、頭北面西右脇(頭を北、顔を西、右脇を下)にして亡くなったそうです。
そのことを浄土真宗の宗祖親鸞聖人は法然上人の最後を「如来涅槃の儀をまもる」と讃えられて、また親鸞自身も頭北面西右脇にふして亡くなりました。
北枕は私たちがお釈迦様を慕って、これから息絶えようとする人が臨終に際して、お釈迦様がなさったお姿をまねてしているだけのことであります。
北枕はたしかに現代では亡くなった人に対してされます。しかし元々はお釈迦如来が涅槃に際してされていた姿であり、またそれにならって先人らが亡くなる前にしていた姿であります。
北枕をすると縁起が悪い。悪いこと・良くないことが身に降りかかるわけではありません。もっといえば金運や健康運や恋愛運がアップするというものでもありません。
繰り返し言いますが、亡くなった人の頭を北向きにするのは、お釈迦様の亡くなられる際のお姿をまねているにすぎません。
生きている人がどっちの方角に頭をむけて寝ようが、仏教では何にもいっていませんよね。好きな方角で寝たらよろしいと思いますよ。
亡くなった人の頭を北に向けることと生きている私たちが頭を北にして寝ることに、何の関係性もないですよね。
ちなみに私はまったく信じていませんが、風水的には北枕でねるんがいいですって。その理由の一つが、地球の磁場が南極のN極から北極のS極に流れていて、足を南に頭を北にして寝るとその磁力の流れにそって足から頭への血行がよくなるから疲れがよくとれるそうなんだって。
でもね。地球が放つ磁気・磁場っていうのは非常に微弱なので平均時速200キロメートルになる血流にとってほとんど影響ないでしょう。それに血液は足から頭に送るだけじゃなく、逆に足に送る血液もあるでしょう。
もしも磁気・磁場の流れが健康に役立つなら、地球が放つやつよりも何千倍も強力な磁気健康器具があるんだから、磁気健康器具を体に身に付けたり頭と足そばに置いた方がいいんじゃないのかなと思います。
北向いて寝ようがどの方角むいて寝ようが、どっちにしても健康面においては、私はほぼ影響ないと素人ながら思います。
さてもうひとつ北枕関係で雑談すると、どうしてお釈迦様は頭を北にして顔を西に向けてお亡くなりになったんでしょうかね。
私たちが北枕をするのはお釈迦様のおすがたをならっていることが理由ですが、お釈迦様自身はなぜ頭北面西でなくなったんでしょうかね。
お釈迦様が頭北面西になった理由は残っていないので、私の推測でお話しますね。
お釈迦様は80歳で亡くなったとされます。それまでお釈迦様はマガダ国とコーサラ国の間で説法を続けられたんですが、死期の迫る80歳を迎えてきますと生まれ故郷のカピラ国を目指して旅をはじめます。
しかしカピラ国に着くことなく、途中のクシナガラで頭を北に顔を西に右脇を下にして亡くなります。
このカッコになった理由ですが、昔のインドの人は高貴な人ほど生まれ故郷の方角に頭を向けて寝ていたそうです。
ですのでお釈迦様の最後の旅の目的地は生まれ故郷のカピラ国ですので、クシナガラから見てカピラ国は北側に位置します。だからお釈迦様が亡くなる時は必然的に頭が北になったのではないでしょか。
また顔を西に右脇を下にした理由ですが、これは80歳のご高齢で亡くなる前はしんどいので、少しでも心臓に負担のかからない楽な姿勢をとろうとしたら、この顔を西、右脇を下にしたカッコに必然的になったんじゃないかと思います。
こんなことを言うと、頭北面西に深い意味があると思っていた人もいるかもしれませんが、私からすると人間釈迦如来の自然な臨終のお姿であったのではないかなあと思ってます。
それで言うともう一つ雑談をすると、中国唐から日本に仏教戒律を届けてくださった鑑真和上というお坊さんがいます。
鑑真は5回日本に渡るのを失敗し、失明までしてようやく日本にたどり着きます。東大寺の廬舎那仏の前で僧侶になるための受戒の場を設けて、その後近くに唐招提寺を建ててそこで亡くなります。
その亡くなった時の姿が有名な国宝の鑑真和上坐像で、弟子が臨終に際して座って西をむいている鑑真のお姿をリアルな造形で残したものとなっています。
これもよく考えると不思議なもので、もしもご本尊の廬舎那仏に対して浄土往生を願って亡くなるのであれば、西ではなく、廬舎那仏に向かって北向きあるいは唐招提寺から東大寺の大仏殿に向かって東向きで座って亡くなるのが自然ではないでしょうか。
でも鑑真は西を向いて亡くなったとされます。
私の推測ですが、これもお釈迦様が故郷を思って頭をむけたのと同じように、鑑真も臨終に際して生まれ故郷のはるか西の唐の景色を思っていたのではないのかなあと思ってます。
さて雑談で今日の話が長くなりましたが、浄土真宗のお坊さんの私的には、頭を北向きにして寝てもどの方角に寝ても何の問題もないと考えています。
北枕の言葉は、亡くなった人のご遺体に対して仏教形式の葬儀に際して、仏教の開祖お釈迦如来の亡くなられたときのお姿、頭を北に顔を西に脇を下にした姿をならって、頭を北に向けているだけのことです。
亡くなった人をお釈迦様と同じように仏と弔っている姿であり、生きている私たちが頭を北にしてもそれがダメとされていません。
気にせず頭を北にして寝てくださいな。ただし無理に頭を北にする必要もないですよ。そこはどうぞご自由に、自分の気に入る形で寝てください。
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