「外人」と「外国人」という言葉。ふと感じたこと

僧侶のかっけいです。

日本では日本人ではない人のことを、「外国人」と表現します。外国人とは別に「外人」という表現もあります。

いつの間にか「外人」は差別用語として使用するのを控える日本人は多くなっています。

かくいう私も、外国の人をさすときは「外国人」と表現します。不愉快であり差別的表現と認識する人がいるかもしれない「外人」を、わざわざ使う必要がないからです。

しかし最近ふと感じたことがあります。それは「外車」という言葉です。

なぜ「外車」はOKで、「外人」はダメなの?

些細なことですが、気になってしまったので書いていきます。

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外人と外国人の違いを辞書ではどのように説明

外人は差別的表現であると考える人がいます。

では辞書にはそのように記述されているのでしょうか。調べてみました。

【外人】〘名〙

①家族、親戚、仲間、同宿などの範囲の外にいる人。無関係の人。また、その土地の人ではない人。

②外国人。

【外国人】〘名〙

その国の国籍を持たない人。法律用語としては、外国の国籍をもつ人と無国籍人とを含む。異国人。異人。外人。外邦人。

日本国語大辞典-第2版-

日本国語大辞典によると、外人には外国人の意味があり、外国人には外人と表現することができるように書いています。

ではどのように使い分ければいいのでしょうか。

外国人の語誌(ある言葉の起源や意味・用法などについての変遷)には、次のように書いています。

開国の頃から、「異国人」「異人」に代わって、公文書を中心に使われ始め、文章語として定着していった。明治期には庶民層にも広まり、挙例の「西洋道中膝栗毛」でも確認できるが、「日本大辞典」の「いじん(異人)」の項にも「今普通ニ体裁ヨクイフ時ニハ外国人或ハ西洋人ノホカハ余リ多クハイハヌ」とあり、あらたまった場での使用が中心であったと考えられる

日本国語大辞典-第2版-
外国人を使う場面

外国の人を表す言葉には、外人・異国人・異人・外邦人といろいろありますが、どちらかと言えばあらたまった場面では外国人の表現を使う傾向だったのでしょう。

気になったこと。「外人」は差別で「外車」はなぜ大丈夫なの

さて私が調べた範囲では、外人が差別用語であると説明されている辞書はありませんでした。

しかし今の日本では、外人が差別的な表現だと考える人がいます。

そういうもんなのかなあと私は常々思っていて、外人という言葉を使うのを控えているのですが、最近ふと気になる言葉があります。

「外人(がいじん)」が駄目なら、「外車(がいしゃ)」はどうなるの?

外人と外国人と同じことなら、外車は外国車になるんじゃないの?

外車という言葉が差別というのは聞いたことがありません。

でも外人と似たような表現ですが、これはOKなんですか。

【外車】〘名〙

①外国製の自動車。外国から輸入された自動車。

②船の中央の両外側、あるいは船尾に付けて、回転させて船を進める水車上の車。

日本国語大辞典-第2版-

辞書には外車には外国製の自動車の説明がありますが、一方で「外国車」という単語は辞書には掲載されていませんでした。

外国車という表現はありそうなのですが、辞書には載らない言葉のようです。

ですので外国製の車は、そもそも外国車と表現はできずに、外車と表現するしかないから差別的言葉にならないということなのでしょうか。

それとも差別とは人のみを対象とした言葉であって、物に対しての表現は差別にならないと考えたらよろしいのでしょうか。

外人「gaijin」という表現を外国の人は使わないのだろうか

インターネットで外人が差別用語である理由に、言葉の響きを例に挙げているのがありました。

小さい頃から言われ続けることにより、いつしか私には「外人」という言葉が「害人」と聞こえてくるようになりました。

外人(ガイジン)という言葉」Die Kreuzungsstelle

「外人」が「ガイジン(gaijin)」から「害人」を連想するからとのことです。

でも「がいじん」という言葉の響きを聞いて、「害人」とイメージできる外国人はいったいどれだけいるのだろうか。

そんなことを言ったら「外車」だって「ガイシャ(gaisya)」から「害者」になってしまうんじゃないの。

で外国では「gaijin」という言葉が使われていないのだろうか。

外国人と外人の言葉が、どれだけ検索されているのかを比較したグラフ。

上の画像はグーグルトレンドで、世界中で「gaijin」と「gaikokujin」が、どれくらい人々の関心があるのかをグラフにしたものです。

これを見ると、世界中では「gaikokujin」よりも「gaijin」の方が60倍くらい一般的に使われていることが言えるのではないでしょうか。

またどちらかと言えば、外国の人はgaijinという単語を否定的には使っていないように感じます。

例えば「Tokyo Gaijins」とういう旅行会社があります。gaijinという言葉を名詞のように使っており、国籍や性別を問わずに面白いイベントをしようという会社です。

もしもgaijinが外国人にとって否定的な言葉であれば、わざわざ会社名には使わないでしょう。

他にもグランブルーファンタジーの外国人向け情報発信をしているサイトは「gbf-gaijin.com/」・「Granblue Gaijins」 のアドレス名・サイト名で運用しています。

またアメリカのノースカロライナ州ある日本食を提供する「gaijin noodle bar boone」や、マイアミ州には同じようなコンセプトの「gaijin izakaya」があったりします。

外国人向けの仕事求人情報サイトとして「gaijin pot」もあります。

「gaijin」は外国で使われている

「外人・gaijin」が外国人にとって不快に感じるのであれば、わざわざ外国の地で「gaijin」を使わないと思うのですがどうなんでしょうか。


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外人と外国人という言葉の捉え方について

ここまで書き綴りましたが、結局のところ私は外国の人のことは今まで通り「外国人」と表現します。

なぜならそれが無難だから。

使い手に取って外人と外国人という表現に差別的な意識が無くても、その言葉を受ける側にとって差別と感じる可能性がある場合、また社会が差別と捉えているのであればわざわざ使用する必要はないでしょう。

しかし外国人という表現は、どことなしに日本人的な表現だなあとも私は感じます。

「外国人」という言葉には「外国の人」というニュアンスよりも、「日本人と(日本人からみた)それ以外の人種」という感覚があるのではないだろうか。

日本では外国の移民数は人口比率でおよそ2%程度です。主要国では10%以上もあります。

日本ではどちらかと言えば外国人と接するのに抵抗があるように感じます。

外人・外国人とどっちが差別的でない問題ないとこだわるばかりではなく、それぞれの国の人に対して、相手の出身国や人間そのものへの敬意をもって言葉を使うべきだと感じます。

日本人が差別的だと感じている言葉は、実は外国の当事者にとっては差別的だと感じていないかもしれません。

そんなことを、ふと外車という言葉が頭に浮かんだ時に感じました。

2019年7月追記

「外人」の言葉が、「ガイジン(gaijin)」の響きから「害人」と連想し、差別的だと考える日本人がいるかもしれない。

でも外国では、「gaijin」の言葉がお店の名前やウェブサイトの名前に使われており、否定的に使われていないようにも感じます。

一方で、NHKの公式サイトが2019年6月27日に書いたコラム『「ガイジン」と呼ばないで』では、「ガイジン」に差別的な意味を感じ、嫌悪感を覚えている人もいるということを伝えています。

「人から外れる」

そういう意味にも読めることに気付いて、「私って人じゃないんだ、ひどいこと言われてたんだな」、心の中でそうつぶやいていました。

「ガイジン」と呼ばないで

NHKの文を読むと正直なところ、本人の被害妄想にも思えるのですが、「外人」と呼ばれて嫌な思いをする外国人もいるようです。

であればなおさら私たち日本人は、外国人に対して「外人」を使えるのを控えた方がよろしいのでしょう。

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