こんばんは。 浄土真宗僧侶のかっけいです。
浄土真宗では宗祖親鸞聖人が残された恩徳讃と呼ばれる非常に有名な和讃があります。(和讃とは仏・菩薩、高僧・先人たちの徳に対して讃えた歌のこと)
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
『恩徳讃』より
私はこの和讃を口にする時いっつも不思議に思うことがあります。
四字熟語では「粉骨砕身(ふんこつさいしん)」だけど、この和讃だと「粉身砕骨(ふんしんさいこつ)」になるじゃない。
いったいどう違うの?
気になったので辞書で調べてみました。
(結論を先に言いますと、違いがよく分かりませんでした。)
辞書による粉骨砕身の説明。
【粉骨】(骨を粉にする意)
力の限り骨を折ること。
心身のつづく限り尽力すること。→粉骨砕身。
【粉骨砕身】
力の限り努力すること。
一所懸命働くこと。粉骨。
*正法眼蔵(1231‐53)面授「その粉骨砕身、いく千万変といふことをしらず」
日本国語大辞典ー第二版ー
私が調べてみて気になったのは粉骨砕身という熟語が1231年~1253年頃の『正法眼蔵』という書物の中で出てきていることです。
正法眼蔵とは曹洞宗の開祖である道元が書かれた仏教思想書です。
親鸞聖人の恩徳讃は『正像末和讃』の締めくくりの歌であり、親鸞聖人の最晩年およそ85歳の時だとされています。つまり1260年くらいですね。
身を粉にしても・骨をくだきても(粉身砕骨)よりも、先に粉骨砕身があったんですね。
辞書に粉身砕骨の説明はあるのか。
粉身(ふんしん)という言葉はありませんでした。
ただ砕骨(さいこつ)はありました。
【砕骨・摧骨】(「摧」は、くだくの意)
骨をくだくこと。
また骨をくだくほどの苦労をすること。非常な努力。
日本国語大辞典ー第二版ー
砕骨の意味を調べますと、粉骨とそれほど意味に違いがないことがわかりました。
さらに砕身についても調べてみました。
【砕身・摧身】
身をくだくほど献身的につとめること。
献身的に働くこと。「粉骨砕身」
*尊号真像銘文(1255)末「粉骨可報之摧身可謝之といふは、大師聖人の御おしえの恩徳のおもきことをしりて、ほねをこにしても報ずべしとなり、身をくだきても恩徳をむくうべしと也」
日本国語大辞典ー第二版ー
尊号真像銘文とは恩徳讃を歌われた親鸞聖人が著された書物です。
時期的には恩徳讃よりも数年早く書かれています。
つまり親鸞自身も、身を粉にしても・骨をくだきても(粉身・砕骨)よりも、先に骨を粉にしても報ずべしとなり、身を摧きても恩徳を報ふべし(粉骨・砕身)を使われていたんですね。
「粉」も「砕」も同じような意味なのか。
私の疑問は「粉骨砕身と粉身砕骨が違う意味なのか」ということでした。
でも粉身砕骨を使っていた親鸞聖人も実は粉骨砕身も使っていたことが分かりました。
じゃあ骨を砕くこと粉にすること・身を砕くこと粉にすることは同じニュアンスということなのでしょうか。
【粉】こな。こ。
物のごく細かに砕いたもの。
【砕=碎】
くだく。こまかくする。くだける。/摧砕、粉砕/
日本国語大辞典ー第二版ー
粉砕って熟語があるように、粉も砕もどっちも「砕く・細かくする」意味があるね。
結局、粉骨砕身と粉身砕骨は同じ意味なの。
う~ん。一緒な意味でしょうね。
粉には砕くの意味があり、砕くには細かくするの意味があるんだから。
粉骨砕身も粉身砕骨はどっちも「粉砕骨身」。骨と身を粉砕するほど努力することって感じになるのではないでしょうか。
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さいごに。なんで親鸞は粉身・砕骨を使ったのだろうか。
親鸞聖人は浄土真宗の宗祖です。そして顕浄土真実教行証文類(教行信証)や三帖和讃などなど数多くの書物を著されました。
しかし親鸞自身は自分のオリジナルの教えを説いていたのではありません。
お釈迦様(釈迦仏)から説かれた阿弥陀仏の教え・法をただ信じ、法然上人をはじめ数多くの先人たちから届けられた流れを引き継いでいっただけなんですね。
ですので教行信証は他の経文や高僧の註釈本からの引用が非常に多いです。和讃も似たようなフレーズを使っています。
如来大悲ので始まる恩徳讃も『聖覚法印の表白文』が出どころではないかとされています。聖覚法印は法然上人の門下で天台宗のお坊さんでした。聖覚法印の表白文とは法然上人の中陰六七日法要のときに拝読した言葉です。
倩思教授恩徳 実等弥陀悲願者歟
粉骨可報之 摧身可謝之
つらつら教授の恩徳を思えば、実に弥陀の悲願に等しきものか。
骨を粉にしてこれを報ずべし、身を摧いてこれを謝すべし。
でさらにこの言葉の元になったのが、善導大師の『観念法門』の言葉とされています。
連劫累劫身を粉にし骨を砕きて、仏恩の由来を報謝して、本心に称すべし
親鸞聖人は師主知識すなわち法然上人をはじめとして諸先人たちの法縁を大切にされてきたのではないでしょうか。
親鸞聖人はわざわざ自分から新たな表現をする必要はそれほどないと思っていたのではないでしょうか。
先人たちの言葉を繰り返し述べることで、受け継がれてきた報恩感謝のこころがこの私親鸞自身にも届き響き、阿弥陀仏への報謝の気持ちが法然上人の縁を通して七高僧の一人・善導大師の「身を粉にし骨を砕きて」のフレーズを引用することになったのではないか。
【余談】
私個人の印象としては親鸞をはじめとして(身を粉にするように骨を砕くように)粉身砕骨と表現したのは中国の影響が強いように思える。
日本では精一杯頑張ることを(骨を粉にするよう身を砕くよう)粉骨砕身と表現しますが、中国では今の時代も漢語では粉身砕骨とするそうだ。
粉と砕といった熟語内の漢字の意味が似ているときは日本人が読みやすいように変化していったのかもしれない。例えば日本語では「良妻賢母(りょうさいけんぼ)」という言葉がある。一方中国語では「賢妻良母」のようである。その他にも「疑心暗鬼と疑神疑鬼」、「竜頭蛇尾、虎頭蛇尾」、「山紫水明、山清水秀」といったように微妙に中国と日本では表現が変えられている。
粉身砕骨と表現した親鸞は様々な経典を読み、また中国の書物もたくさん読んだはずである。『身を粉にし骨を砕きて』と記した善導(613‐681)というお坊さんも中国の人である。
日本人の感性ならば粉骨砕身となるのだろうが、中国の影響を受けた人は粉身砕骨と表現するのも抵抗がないかもしれない。