私は僧侶なので、仏教を学びます。それ以外の宗教についても、本や聴講によって理解を深めています。
するとご門徒さんから、「よく勉強されているんですね」と言われることもあります。
その言葉を聞くと、どうも、人ごとのように私は感じてしまいます。
私たちの身の回りには、様々な宗教に関するイベントや道具や言葉があります。
- 西暦
- 相撲
- ヨーガ
- 床の間
- 鈴
- ステンドグラス
- 仏壇
- 神棚
- バザー
- ドナー
- 鏡餅
- 十八番
しかし私たちは、そのことに無関心なまま生きています。
なぜ、私たちは世界のいろいろな宗教を学ぶ必要があるのか。
その理由を簡潔に書いていきます。
- 私たちの生活には様々な宗教がある
- 世界にも様々な宗教がある。
- 宗教によって人々は行動し、生活の支えとしている。
- 宗教は人類の文化でもある。
- 宗教を知ることで、相手をより知ることができる。
生活の中に、宗教が溶け込んでいる
日本人は宗教に無関心だと言われます。また自称「無宗教」という人もいます。
しかしよくよく振り返ると、宗教に関するイベントや道具や言葉を私たちは、日常的に使います。
宗教とは、「熱心に祈ること」ではありません。
宗教は「宗となる教え」のことです。人が生きることの支え・よりどころとなる教え・考え方です。
信じている・信じていないにかかわらず、人間が生活している所には、宗教の考えや習慣が溶け込んでいるのです。
世界の文化は宗教が支えている
現代は世界中でインターネットが普及しています。
グローバルな世界になり、私たちは世界のさまざま風景やニュースや文化を、気軽に目にすることができます。
日本に住む私たちの身の回りにも、様々な宗教があふれています。
外国も宗教によって、独自の文化や習慣が、伝統として根付いています。
例えばアメリカ大統領の就任式を思い出しましょう。
右手を挙げ、左手を聖書の上に置き、神への誓いの言葉を述べますよね。
例えば中東のイスラム諸国では、女性は顔をフードで覆います。
美をひけらかさず慎み深く行動する、イスラム教の教えがあるからです。
私たちの知らない所でも、人々はそれぞれの宗教によって行動し、人生の支えとしています。
宗教を知ることは、相手への理解を深めることにつながる
世界中の人々は交流する機会が増えています。
自分のことを知ってもらうために、自己紹介を私たちはします。
名前だけではありませんよね。
生まれた場所や、日々の習慣、作法などを伝えますよね。
同じ日本にある仏教であっても、場所によっては独自の形へと変化していることもあります。外国も同じことです。
世界には様々な宗教があります。
ひとつの国の中にも、いろいろな宗教があり、一人ひとりにも異なる宗となる教え・考えがあります。
世界の宗教をすべて知ることも、深く知ることも、私たちはできません。
しかし私たちが暮らす世界の宗教を学ぶことは、世界の歴史だけでなく、世界の文化や生活を知ることにもつながり、ひいては、私自身をしっていくことにつながっていくのです。
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さいごに。宗教を学ぶと人間が愛おしくなる
さいごに、釈徹宗氏の宗教を学ぶことについての回答を紹介します。
参考サイトはこちらです。『大学の宗教学講座で教えていること~宗教学はゲリラ部隊』
教育や医療、社会や家族、経済や文化、性や食など、様々な領域とからんでいくところに宗教学のおもしろさがあります。
かつて柳川啓一という宗教学者は、「宗教学はゲリラ部隊である」と語りました。ぼくはとてもこの言葉に惹かれた記憶があります。ゲリラ部隊というのは、どんな場面でも飛び込んで行きます。とにかくいろんな領域に関わっていくわけです。
「宗教を学べば学ぶほど、人間が愛しくなる」、ぼくはそう思っています。
宗教学はゲリラ部隊(釈徹宗)より部分引用