こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
先日興味深い質問をされました。
「円龍寺さんのお寺は大きいのですね。」と。
「え?どういうことですか」と聞きますと、「だって檀家数が600もあるんでしょ。」と。
そんなにないのですが、どうしてそう思うのか聞きますと、同じ宗派のお寺さんがそのように答えたんですって。
今回のお題は『お寺が檀家(門徒)の数を正確に言えない理由』です。
私の所属しているお寺(円龍寺)の門徒数は約300です。
なぜ「約」という曖昧な言葉が付いているのかを説明します。
檀家と門徒の違いを簡単に説明。
浄土真宗では「檀家(だんか)」という言葉をなるべく使いません。
使うのは「門徒(もんと)」あるいは「信徒(しんと)」です。二つを合わせた門信徒も使う。
檀家というのは浄土真宗以外の多くの人が使用しています。
なぜなら江戸時代から明治のころまで幕府によって、お寺(檀那寺)と家(檀家)という関係を強制的に持つ檀家制度があったからです。
しかし現在ではこのような制度はないので、浄土真宗では極力使用しません。
一方で代々続いている家では檀家の意識が残っているので、「私はあそこのお寺の檀家やで」と「あなたはあのお寺の檀家やろ」という表現が今も使われたりします。
門徒は浄土真宗で使われる言葉です。檀家とほぼ同じようなニュアンスです。
檀家という昔からの特定の寺院とのお付き合いを続けている家のことを、浄土真宗では門徒と表現します。
それには檀家制度がないというのもありますが、浄土真宗の人たちは、同じ南無阿弥陀仏の念仏の道を歩んでいる浄土門の一味であることや、特定のお寺に普段から法事や葬儀といった仏事を依頼し、そのお寺の門をくぐりその寺院を支えようとする人ということでもあります。
信徒とは信者とほぼ同じ言葉です。
信徒はその宗派の教えを信仰していたり、その宗派のお寺にお参りする人をさすのですが、特定のお寺に絞ってお付き合いしているというわけでありません。
つまり特定のお寺の門の人ではないということです。(イメージとしては門下ではないということ)
檀家(門徒)の数を正確に答えられない理由。
「檀家数はどれくらいあるの?」とよく質問されますが、浄土真宗では「門徒数」と表現する方が無難です。
冒頭でも答えましたが、自坊ではおよそ300軒くらいです。
もっとあいまいに答えれば250~400くらいです。
どうしてこのようにブレるのかというと、檀家・門徒・信徒の考え方の違いがあるからです。
江戸時代の様に「この地区に住んでいる者はあのお寺の檀家へ」・「その宗派の信者はあそこのお寺の檀家へ」と強制的に決められていれば、お寺の檀家数は『○○人です!!』と答えられるでしょう。動くことができないからね。
しかし明治時代に日本の信仰が仏教から神道に変更されたことや、その後には信教の自由や居住移転の自由など特定のお寺との関係を維持しなくなった家も出てきました。
自由にお寺を選べるようになったのですが、今までのお付き合いやお骨・墓地の関係もあり、継続して特定のお寺の僧侶に仏事の依頼をする家はそのまま檀家から「門徒」としてお寺も認識するようになりました。
しかしこれ以外にも「信徒」というお寺との付き合いもあります。
- 門徒の中にも信徒はいます。
- 門徒でない人にも信徒はいます。
意味が分かりますか?
例えばA寺の門徒がいたとします。
この門徒はA寺の僧侶に仏事の依頼をします。またA寺の法要にもお参りします。A寺の護持金や本山の冥加金を納めます。
一方でB寺の僧侶にも仏事の依頼をお願いをしたりします。またB寺の法要にお参りしたりC寺にも参加します。またB寺やC寺の護持金を納めることもあります。
つまりは普段のお付き合いはA寺なのだが、B寺やC寺にもお勤めをお願いしたり、法要にお参りする人もいます。
この人はA寺の門徒です。そしてB寺・C寺の信徒です。
↓
ということはその逆パターンとして、「B寺の門徒だが、A寺の信徒さらにはC寺・D寺の信徒である人もいる」ということですね。
一人の人には門徒の面と信徒の面の両方があります。
重複して数える必要があるので、人数が不明瞭になってしまうのです。
また地域によっては一つの宗派の教えのみが浸透しているとは限りません。
例えば私が住んでいるのは香川県です。
香川県は法然上人が流罪された讃岐の国ということもあり浄土系の寺院が多いのですが、一方で空海の誕生地である善通寺(真言宗善通寺派総本山)もあることから真言の寺院も多いです。
ですので家によってはの大日如来がご本尊のお仏壇と阿弥陀如来がご本尊のお仏壇がそれぞれ用意されており、普段は門徒として浄土真宗のお寺に年忌法事や報恩講のお勤めを、施餓鬼会の時には真言のお寺にお願いしたり、初詣は真言のお寺へ参るということもあります。
普段は浄土真宗寺院の○○寺。【門徒】
時には真言宗の□□寺。【信徒】
葬儀には○○寺の僧侶が導師だが、合わせて□□寺にもお願いする。
こんな風なパターンもあります。当然逆パターンもね。
普段付き合いのお寺があり、あるお参りの時には別のお寺に依頼という家があるから、人数が不明瞭になる。
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さいごに。お寺も門信徒の数は把握できていない。
よくお寺の門徒数(檀家数)について質問されます。
これは「門徒の数=お寺の規模」という認識があるからかもしれません。
多くのお寺が維持していくのが難しい現実があり、多くが自坊の僧侶をしながら別の職をしている兼業によりお寺を守っています。
門徒が多いということは、それだけお寺への布施や護持金が多くなり、結果としてそのお寺の安定度が推測できるということなのでしょう。
しかし今回のお題とは外れるので軽く触れる程度にしておきますが、仮に門徒数(檀家数)が200以上あるからと聞いて、そのお寺が問題なく護持運営できているとは言い切れません。
世間では「檀家数が200未満だと兼業しないと生活できないレベル」・「300あればなんとか」・「1000を超えれば大寺院」などと言われます。
しかし地域によってはどのお寺も50~100軒以下の門徒数であるお寺も多数あります。その門徒数で維持できる寺院もあれば、できない寺院もあります。
門徒数(檀家数)だけでは寺院の財政事情は分かりません。
そして本題に戻りますが、お寺には門徒と信徒の数え方があります。
年忌法事や祥月命日など普段付き合いのある家は門徒と数えられるのですが、一方で信徒というのは非常に流動的でカウントするのが難しいのです。
中にはお寺にお骨を預けて何十年も連絡がない家や人がいます。これも信徒にカウントするのでしょうか。もしくは葬儀の時だけ連絡をしようすることもあります。これはどうしましょう。一つの家に対して複数の寺がそれぞれにお参りに行くパターンもあります。
ですので本当にお寺側も正確な門信徒数の把握ができないので、お寺の数え方によってなんぼでも幅ができてしまいます。
しつこいくらいの繰り返しになりますが、自坊円龍寺では「門徒数は250~270程度。信徒数は50~150程度」といったことになります。(門信徒数なら350~400くらいかな。法要御座の案内状はこれくらい用意します。)