真宗僧侶のかっけいです。
皆さんはお経の漢字はどのような読み方をしているか知っているでしょうか。
お経の種類・宗派によって違いますが、基本、お経は呉音読みです。
しかし呉音読みに加えて、唐音読みや漢音読みなどがごっちゃに混ざっていることもあります。 そのため現在日本で読まれているお経は、中国人が聞いてもチンプンカンプンな言葉に聞こえるはずです。
さて浄土真宗では『漢音小経(阿弥陀経)』を拝読することがあります。
私が属する真宗興正派でも本山晨朝勤行や報恩講法要で拝読します。
正直なことを言いますと、
- なんでわざわざ普段と読み方を変える必要があるんだ
- いつも通りの読み方でもよろしいのではないか
と思えるのです。
私は阿弥陀経を漢音で読みたいと思わなかったので、今まで自分専用の経本を持っていませんでした。しかし縁あって初めて求めました。
なぜ漢音読みで阿弥陀経を読経するかについて書いていきます。
呉音読み・漢音読み・唐音読みの違いについて
呉音・漢音・唐音はすべて中国大陸起源の読み方です。
日本語の分類では「音読み(おんよみ)」になります。
一方で「訓読み(くんよみ)」は、音読みの漢字があらわす意味を日本の読みに当てはめた読み方ですね。
さて呉音・漢音・唐音の違いですが、これらは日本に伝わってきた順番の違いです。
呉音とは中国南方部(呉地方)での発音で、遣唐使が大陸の文化・仏教経典を持ち込む前から日本に伝わっていた読み方。(百済人によって伝えられたと言われる)
漢音は遣唐使が学んで持ち帰った発音とされます。平安時代まで漢とは中国西北方部をさす言葉だそうです。
さいごに日本に持ち込まれたのが唐の音、宋時代の発音です。日本では鎌倉時代以降のことです。
- 一番に呉音が伝わる
- ついで漢音
- さいごに唐音
今日お経が呉音で読まれることが多いのは、一番歴史のある発音方法だからかもしれません。
漢音読みは中国語読みではない
さて「お経を漢音読みしましょう」と言われると、「え!?中国語の読み方をするの?」と想像するかもしれません。
しかしそれは間違いです。
漢音読みとは、遣隋使や遣唐使などが平安時代までに持ち帰ってきた発音です。
いうなれば古い時代の中国の一部で読まれていた発音です。現代の中国語の読み方とは全く違います。
真宗興正派の漢音小経(阿弥陀経)の読経の仕方とは違いますが、雰囲気は伝わると思います。(興正派はもっと早く流れるように読みます)
一方で中国の阿弥陀経の読経を聞いてみます。
中国語の阿弥陀経(1:18~15:55)を聞きますと、全然違いますよね。
似ている所ももちろんありますが、例えば「我聞」も漢音小経では「ガブン」ですが中国語では「ウォウェン」のように発音していますよね。
漢音の読経は、現代の中国語読経とは全くの別物。
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なぜ漢音で読経するのか
POSTEIOS研究会(情報化システムによる浄土真宗の布教伝道を研究する会)のウェブサイトに、漢音の阿弥陀経についての詳しい解説がありました。
親鸞聖人の先生でありました源空聖人(法然房源空)は、晩年上人は晩年、経典を読誦することなく毎日、一向称名のほかなかったといわれますが、一向称名になるまでは、毎朝、阿弥陀経一回は呉音、一回は漢音、一回は訓読で都合三回読まれていたようです(勅修御伝)。
POSTEIOS研究会『漢音の阿弥陀経について』より引用
お経の発音は14世紀の僧侶の心空の「法華経音義」に、「いま経は、ことごとく呉音を本とする」とあるように呉音で読むのが習わしとなっていたようです。
しかし浄土宗開祖の法然は毎朝、呉音と漢音と訓読みの阿弥陀経を3回拝読していたように、呉音以外の読み方もしていたことがうかがえます。
おそらく親鸞も呉音以外の読み方もしていたことでしょう。
私の想像ですが、漢音で拝読するのは、いにしえに伝承された読み方を残し、祖師らが読まれ耳にしていた阿弥陀経をともに味わっていこうという思いからなのではないだろうか。
通常の法事や祥月では呉音で読む一方で、朝の勤行や報恩講法要では漢音で読み、祖師らを偲びながらのお勤めとさしていただいているのでしょう。