真宗僧侶のかっけいです。
近頃のテレビを見ますと凄惨な事件が後を絶えず報道されます。新幹線で鉈を振り回したり、警察官から銃を奪い殺人事件があったり、また大地震による倒壊で人命が失われるなどです。
そのような人命が奪われる事件がおきますと、今日の日本では事故現場に献花台が設けられ、様々な人が献花する様子やその花が映し出されます。
献花する行為・思いは分かるのですが、それとは別に私には理解できないことがあります。
彼らはなぜ花の向きを統一しないのか。
事故現場に献花をする理由はおそらく慰霊のためでしょう。きっと。
でも思い出してみてください。戦没者慰霊祭や震災慰霊祭などの慰霊の式典ではわざわざ献花の際に花を回転させて茎を祭壇側にしているでしょう。
でも事故現場にする献花はほとんどが花を奥側・茎を手前側にしています。
あれが分からない。
事故現場の献花はなぜするのか
おそらくですが、ほとんどの人は慰霊のためと答えるでしょう。
慰霊の意味って知っていますか?死者の霊を慰める(静まらせる)ことですよね。いわゆる鎮魂の意味です。
浄土真宗僧侶的な立場から言えば、死者に対しての慰霊や鎮魂のために生きている私たちがあれやこれやするのは、高慢であるように感じます。「安らかに眠ってくれ、祟らないでくれ、良いところに行ってくれ」と考えるのはかなり生きている人間本位の考え方・利己的な考えなのではないだろうか。
そんなに生きている私たちって素晴らしい人間ですか。
じゃあ仏教お坊さんはどんな気持ちで献花するのだろうか。
それは供養や追悼の思いからします。表現を変えれば感謝や偲ぶ気持ちです。
私たちはいつのころからか、事故現場にて献花するようになりました。しかし病院や自宅で亡くなった場合も同様に献花に行っているだろうか。言葉が過ぎるかもしれないが、テレビで放送されるような事件事故現場に献花に行く多くの人は献花している自分に対してのパフォーマンスになってしまってないのだろうか。
慰霊の式典の献花と何が違うのか。同じにしか見えない
事故現場の献花は慰霊の為だとここではとりあえず考えますね。
では被災者慰霊や戦没者慰霊の式典の献花と一緒と考えてもいいですか。
でも思い出してください。慰霊の式典の多くは献花の際、花を回転させ茎を祭壇側に向けますよね。なんで違うですか。それが分からない。
神社本庁のホームページを見ても献花の向きは説明されていませんし、正直なところ向きはどっちでもいいんじゃないの。
葬祭業者や個人のブログでは、神道やキリスト教として献花の際は「左手で茎の下を持ち、右手で花を支え、花を右回し(時計回り)にして、茎のほうが祭壇に向くようにして献花台に置く」と一様に紹介していますが、ほんまですか。参考になる公式の宗教団体のサイトや文献ぐらいあわせて紹介してほしいです。
また言葉が過ぎるかもしれませんが、献花している人は前の人がしている通りに何も考えずに花を置いているだけのような気さえします。
仏教の献花は分かりやすい
仏教の献花は単純です。仏様の世界や教えを表現するためのお飾りです。
仏様に対してするのではなく、花を仏様へお飾りすることを通してお参りの人に対して仏法に出あってくれよという願いに気が付くということです。
ですのでお墓やお仏壇にお飾りする花は仏さまの方には向けませんよね。筒に入れた花束は必ずお参りする人の方に花を向けます。そして筒に入れられてないそのままの花は、ごちゃごちゃと向きを変えずにそのまま台にお飾りします。(右や左やぐるぐると回転は何のためにするんですか?)
あくまでもお花をお飾りする気持ちというのは、感謝や偲ぶ気持ちの表れであり、花の向きによって死者が怒るとか迷うとかはあり得ないのですから。
そしてまた愚痴が出るのですが、インターネットの時代なのか、変わった意見が出てきてまたそれが本当のことのように流布します。例えば「献花と供花は、実は全く違います。…(略)…キリスト教・神道で花を捧げることを献花、仏教の祭壇に花をお供えすることを供花と呼びます」。が書かれているサイトがあります。
……そんなにたいそうな違いはないですから。それに仏教行事でも献花はありますから。
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さいごに。事故現場の献花から感じること
事故現場の献花と仏壇や墓地へのお花は何が違うのでしょうか。
献花は神道だからキリスト教だからするのではなく、仏教徒でもします。
ただ仏教的には供える花の向きは、仏さまから生きている人間に向けて、つまり人々を救う慈悲の心を表していました。それがいつの間にか、生きている私たち人間の希望を届けますという気持ちを表すようになったように感じます。慰霊の式典と異なり花の切り口をこちらに向け、署名が向こうに読めるように置くのはこちらからのプレゼントですよという生きている人本位の意味になっているように感じます。
事件事故直後の一時的な献花だけでなく、場所を変えてでもいいので定期的なお供えができていなければ、その花は単なる自己満足に過ぎないように感じます。飾られた花を見て自分にも呼び掛けられていることに気が付くことが大切ではないだろうか。