こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
皆様はお仏壇にお参りするときはただ手をあわせるだけですか?
もちろん時間がないときは合掌・礼拝だけでもいいのですが、余裕があるときは、ぜひお光を灯してをお参りしてください。
仏様にお参りするときのお飾りを真宗では「献灯(けんとう)・献花・献香・献供」と言っています。
今回は仏様参りにはなぜお光をお供えするのかを紹介します。
ここではお仏壇に限定しますが、お墓にお参りする時やお寺のお飾りでも同じことが言えます。
仏教での光の役割。
光と言うのは仏教では光明(こうみょう)と表現され、光明とは仏様から発する光でもあり、仏様の浄土の光でもあります。
仏教では仏様の光とは智慧と慈悲のはたらきとあらわされています。
また真宗では阿弥陀仏の浄土(西方極楽浄土)は無量光明土とも称されています。
つまり阿弥陀仏のお浄土には限りのない光が輝いており、その光とは阿弥陀仏のあらゆる衆生を救おうという願いと誓いのはたらきです。
より詳しく言うと、阿弥陀仏には12の光のはたらきがあります。一つずつ説明すると長くなるので名称だけ挙げておきます。「無量光・無辺光・無碍光・無対光・光炎王光・ 清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・超日月光」
なぜお仏壇に光を灯すのか。
仏教では光は仏の智慧と慈悲を表します。
お仏壇とは御本尊、すなわち仏様を安置するところです。
お仏壇はお寺の内陣の様子を再現した姿で、お寺の御本尊を安置しているところはお浄土の様子を表していることから須弥壇と言われます。
お仏壇とはただ仏様をお飾りすためのインテリアではなく、お浄土の様子を目に見える形で表現したものです。
ですのでそのお仏壇にお光を灯すということは、私たちに仏様の光(智慧と慈悲)が間違いなく届いていることを視覚的に確認しているのです。
部屋の明かりをつけるのは正しくない。
さてこれは非常に勘違いしやすいことです。
最近ではお寺の本堂でも参拝席側の天井に電灯がつけられているところがチラホラと目にする様になってきています。
しかし昔ながらのお寺では参拝席側(外陣)には灯りがありません。
それは数百畳もある巨大な本堂を持つ西本願寺や東本願寺でも同じです。
お参りをされた方はお気づきでしょうが、仏様の周囲(内陣)は光り輝いているのに、私たちお参り席側は薄暗い環境にあります。
仏様にお参りするときにお光を灯すのは、あくまでも仏様のお浄土の様子、そして仏様のはたらきを目に見える形で表しているのです。
ですので仏様にお光をお供えすることが大事なのであって、私たち側には光が届けられいる状態が正しい姿です。
お参りする側の方が明々としているのは仏様にお参りするときには、おかしいと気づかなくてはなりません。
仏様の方から私たちに向かって光が届けられないといけないのです。
ちょっと難しく言うと、光明とは無明の闇を破ること。
私たちはなぜお仏壇にお参りしたり、お墓やお寺にも行くのでしょうか。
意識されているかは分かりませんが仏様にお参りするためですよね。
仏様にお参りすると何か変わりますか。
変わっているような感じはしないと思うでしょう。
それでも私たちは仏様にお参りするのです。
それは日常生活の中で仏様と向き合うことができるのがお仏壇のある空間だからです。
宗教とは人生の宗(むね:支え)となる教えなのですが、求めなければなかなか出あいにくいものです。
仏様は悩みの中で生きている人を救わずにいられない誓いを立てられた方であり、その願いを常に私たちに働きかけています。しかし私たちはなかなかそのはたらきに気が付きません。
その状態のことを仏教では無明(むみょう)とも表されています。
無明はかなり難しい言葉なのですが、簡単に説明すると迷いや悩みの中に生きていながらもその状態を救おうとしている仏のはたらきが煩悩によって気が付いていない状態のことです。
自分が本当は仏様の願いと誓いの中で生きているのにもかかわらず、気が付くのは仏様にお参りしたときでないとなかなか気が付かないものです。その仏様にお参りしたときにお光をお供えすることで、仏様の光明のはたらきが視覚的に確認でき、無明の闇が破られていることに気が付くのです。
そのような仏様の光が無明の闇を破っているのを視覚だけでなく体感で感じられるようにしているのが、戒壇巡りというものです。
真宗寺院では少ないでしょうが、例えば香川にある真言宗善通寺派の総本山善通寺では戒壇めぐりができます。
現代では光が全くない闇というのを経験しにくいですが、戒壇めぐりでは真っ暗闇のお堂の地下を歩き、その不安を感じる先に光を放つ仏様を目にすることができます。
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さいごに。
最近ではご門徒さん宅にお参りに行ってもお飾りができていないところが増えている印象です。
仏様のお飾りとは、仏様のはたらきやお浄土の様子を表しているので、正しくお飾りしてほしいですし意味があるものです。
信は荘厳より生ずという言葉もあるように、まず仏様にお供えする・献上する気持ちを持ってお飾りをすることによって仏様に向き合う気持ちが起きてきます。
時代の変化で蝋燭や油を使わずに電気で灯される家庭も増えていますが、そのような形でもいいので、仏様の慈悲と智慧を表した光を灯していただきたいものです。