こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
皆様のお仏壇にはどのような掛け軸が掛けられていますか。
家によっては掛け軸ではなく、仏様の木像や名号を安置しているところもあるでしょう。
私の信仰しています真宗興正派では、正面が阿弥陀如来の名号・絵像・木像のどれでもよいことになっています。
一方で御本尊(阿弥陀如来)の左右の掛け方には二パターンあります。
- 1つは御本尊に向かって右側が「帰命尽十方無碍光如来」の10字名号、左側が「南無不可思議光如来」の9字名号。
- もう1つは御本尊に向かって右側が宗祖「親鸞聖人の絵像」、左側が興正派中興の祖「本寂上人の絵像」。
今回はこの宗祖親鸞聖人の顔の向きについてのお話です。
通常の親鸞聖人絵像の向き。
通常の親鸞聖人は顔や体がやや左側に向けられています。
これは私たちだけでなく親鸞聖人もまた阿弥陀様の見ているからです。
御本尊の阿弥陀如来を仰ぎみて、如来の本願を聴聞されているお姿です。阿弥陀如来の教え・はたらきによって生きている人々の代表として阿弥陀如来の方に体を向けているのです。
この体や顔を左向きにしているお姿はお仏壇だけでなく、御本尊として阿弥陀如来を安置している多くの真宗寺院でも見られます。
それは当たり前のことで、お仏壇のお飾り(荘厳・装飾)とは仏様をおまつりしている寺院の内陣をモデルにしているからです。
上の写真は当寺円龍寺の本堂内陣におまつりされている親鸞聖人絵像です。
内側の阿弥陀尊像に向けて顔が左に向いています。
(親鸞聖人からすれば右側を向いていることになります。)
正面向きの親鸞聖人絵像。なぜ?
次の写真は当寺の本堂とは別の、庫裏に安置されているお内仏(ないぶつ)の親鸞聖人絵像です。
この親鸞聖人の御絵像は正面向きになっています。
この正面向きの親鸞聖人絵像を「真向いの御影(まむかいのごえい)」と私は言っています。
宗派によっては「まむきのごえいORみえい」などと言うかもしれません。
親鸞聖人絵像の本紙周りの中廻しと外廻しにデザインされている紋は真宗興正派の八藤紋と牡丹紋です。
なぜ親鸞聖人が正面を見ているのでしょうか。
これは御本山のお飾り方法に由来していると思われます。
御本山には阿弥陀様の木像を安置している阿弥陀堂と親鸞聖人の木像を安置している御影堂(ごえいどう)があります。
御影堂にはお堂の正面に私たち参列者に向かって真っすぐな親鸞聖人が安置されています。
真向いの御影はこの姿を表しているのではないでしょうか。
阿弥陀様の本願の教え・はたらき・念仏を生涯をかけて顕かにされ、私たちに弘めて下さった親鸞聖人は今でも報恩感謝のお勤めが絶え間なく行われるほど、信仰の対象となっています。
私たちに向かって相対している親鸞聖人のお姿は、私たちに本願の誓いをされた阿弥陀如来のお姿と似ており、私たちに阿弥陀様の教えに気づいてくれよと訴えかけているように感じます。
別の表現をすると、阿弥陀様をご覧になっている親鸞聖人(右向き)は私たちと同じ阿弥陀様の仏弟子の一味であるのですが、真向い(正面向き)の姿は私たちに阿弥陀様の仏法を説かれているようにも感じ、親鸞聖人を慕う・お参りするご縁を通して阿弥陀の仏法に出あわして頂いているのではないでしょうか。
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さいごに
この正面向きの親鸞聖人絵像は結構珍しいものだそうです。
多くの御本尊として安置されている仏様は私たちに大悲・大慈のはたらきをし、私たち衆生を救いの目当てとして仏法を説いているので正面を向いています。
もしも横や斜めを見ていてお参りの人と向き合っていない仏様だと信頼しにくいと感じるのではないでしょうか。
あくまでも親鸞聖人は阿弥陀様のはたらきを顕かにされた宗祖という立ち位置なのですが、敬いの対象としてこの正面向きの親鸞聖人の絵像が一部のところでまつられるようになったのではないでしょうか。
ちなみにいつごろから真向いの御影が存在しているのかは私はわかりません。
しかし大谷派の本山真宗本廟では以下のように説明されています。
真向きのご影像は、以前にもなかったわけではありませんが、実質的には教如上人の発案になるといってよいのです。
真宗大谷派東本願寺HP「真宗の教え」より抜粋
以前にもあると言っているのに、教如上人の発案と主張しているのは意味が分かりませんが、そう述べています。
ちなみに教如上人とは1558~1614年に生きた東本願寺と西本願寺分裂したときの東本願寺の法主です。