真宗寺院の一年の仏事はじめ。「修正会(しゅしょうえ)」とは。

こんばんは。  真宗僧侶のかっけいです。

お正月になりますと皆様は大きく有名な神社に初詣に行かれたりしませんか。これが元日の現代日本人の習慣になっているように思われます。しかし新年にお参りするのは神社だけではないんですね。仏教寺院でも元日の仏事として「修正会(しゅしょうえ)」が勤められています。所によっては「修正月会(しゅしょうがつえ)」とも呼んでいるそうです。

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修正会とはどんな仏事なのか。

真宗における修正会とは、

新たな年を迎えて、仏恩報謝の思いを持って仏さまの前で身と心を正し、あらためて自分自身を見つめ直し、1年を歩み出す新年最初の仏事です。

真宗では仏恩報謝の思いから一年最初のお勤めをする法要なんですね。

興正派の本山興正寺や本願寺、真宗本廟でも新年最初の修正会を勤めています。

もちろん本山だけでなく各末寺でも勤めています。仏様にお参りすることは毎日のことなのですが、ことに新年初めのお勤めというのは無事に新年を迎えることができた感謝とまた一日一日を心新たに念仏の生活を歩まさせていただく思いにさせてくれる節目となります。

真宗以外では修正会とはどんな仏事なのか。

一般的に、「去年一年の悪を正し、新年の国家安泰、五穀豊穣などを祈願するもの」だそうです。別の表現をすれば悪縁を絶って、良縁を結ぶ的な感じですかね。

要は今年一年がよくなるようにお願いごとをしているのですね。神社にお参りするのと何が違うんですかね。

実はこれが真宗とは全く異なっています。

真宗の修正会は寺にお参りをして阿弥陀様に手を合わせて、何か願い事を叶えてもらおうとするのではありません断言します。

皆様もお気づきでしょう。家内安全や交通安全、合格祈願などをお願いしても実際にその通りになるとは限らないことを。

ここで話してしまうとややこしくなるので省略しますが、阿弥陀様という仏様は私たちが願いを掛けるのではなく、私たちに向かって願いをかけてくださっているのです。

損や得や、多いや少ないや、人より少しでも上になりたいなどの目先の願望や出来事、結果に執着して生きていくのではなく、仏様の願いを聞いて生きていくことが真宗でのお念仏生活になります。

この時期になりますと、悪縁・良縁という言葉がちらほら聞かれます。

しかし縁起いう言葉は思い通りにならない事柄ではないでしょうか。ご縁というものは私たちが生活をしていくと自ずとついてくるものです。なぜなら私たちは誰かの他の人のお世話に、迷惑にならないと生きていけないのですから。自分一人で大きくなり、日々を過ごしている人は誰もいないはずです。

そのご縁を何とか思いどおり(自分の都合のいいように)にしようとするのは、人間の迷いのすがたを表しているように感じます。


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さいごに

元日のニュースを見ますと、テレビで放送される有名な神社仏閣では大勢の参拝者であふれかえっています。

私にはあの心理がまだよくわかっていません。

今年もそうですが除夜の鐘を撞いていますと、大晦日の深夜11時半を過ぎますると、車でどこかに出かけている車を多く目にします。

家にお仏壇がある人は家でおまつりしている仏様を、神棚がある方は家の神様に手を合わせさせていただく。新年を迎えると、まず一番に一年間そばでお世話になった神仏に手を合わすのが私にとっては普通だと思うのですが、考え方が違うのでしょうね。

ぜひ新年には家の仏様にお参りした後に檀那寺にお参りいただき、ご縁の中に生きている自分の姿を、そしてお念仏の中に生きていることを再確認していだだけたらなと思います。

神道の方は近所の氏神さまにお参りをされてはいかがでしょうか。まさか大きくてお参りの多い神社じゃないと御利益がないわけではないのでしょう。

円龍寺では毎年1月3日まで本堂の縁にてお焼香台を置いています。

本年もよろしくお願いいたします。

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