真宗興正派僧侶のかっけいです。
平成30年は大阪府北部地震や台風によって、京都の本山興正寺は多大な被害を受けました。御影堂は傾き、立ち入り禁止となり、親鸞聖人の御真影を阿弥陀堂に移動しました。
また親鸞聖人のご命日法要「御正忌報恩講」も、阿弥陀堂で門主様や内局らだけで執り行う異例の内勤めの形式で営まれました。
一般参拝の受け入れを中止し非常に寂しい法要となったかもしれませんが、本山興正寺では新たな試みとしてご門主様のお言葉である「ご親教」を動画配信しました。
さて今回のブログテーマは、ご門主のご法話である「御親教(ごしんきょう)」と「御消息(ごしょうそく)」についてです。この二つの言葉の違いを説明します。
ご親教とは
本山や別院での春秋の法要や報恩講法要の時に、ご門主様自身の口から読み上げられています。
ご消息とは
門末とは、同じ一門の末寺や門信徒のことです。
広告 - Sponsored Links
ご親教とご消息の違い
ご消息もご門主様からのご法話であるのですが、ご親教と違うのは「お手紙か、話をするか」という違いです。
- ご門主からのお話し⇒「ご親教」
- ご門主からのお手紙⇒「ご消息」
ご親教は本山や別院でご門主の口から語られる法話です。今でこそ動画配信されることもありますが、本来はその御法座に参詣している人のみが聴聞することができました。
一方でご消息は大きな特別な法要の時に、ご門主が全国の門信徒に広く伝えるお言葉のことです。
特別な法要とは、たとえば新門主が宗派の法統を新たに継承する「伝灯奉告法要」や、宗祖の50年毎の命日法要「親鸞聖人750回大遠忌法要」のことです。
全国のお寺にご門主のお言葉「御消息」が発布され、各末寺ではご門主の代わりに拝読したり、寺報に掲載したりとご門主様のご法話ではあるのですが、繰り返し繰り返し何度でも読み上げ読み聞かせることができます。
例えば真宗興正派であれば、お経本の最後の方に本寂上人の御消息(お手紙)が載せられていることもあるでしょう。朝夕のお勤めの最後に本寂上人からの法話として拝読したらいいのです。
そもそも当流安心の趣といふは、ただ六字名号のいはれを聞ひらきて、さてはかかるあさましき機を本と救ひたまふ仏智の不思議を信じて、諸の雑行雑善をさしおき、専修専念一向一心に阿弥陀如来、今度の後生御たすけ候へと、疑なくふかくたのみ奉れば、かならず摂取不捨の光益にあずかるものなりと、深く信じて、いささかもわがはからひをまじへず、往生の一大事はひとへに如来の御はからひにまかせ奉り、安堵治定の上には、存命の限り、行住坐臥に他力仏恩の称名を嗜むべきばかりなり。これを信心とりたる念仏行者とは申すなり。あなかしこ。あなかしこ。
本寂上人は150年ほど前の、真宗興正派興正寺27代門主です。
2019年追記。
ご親修は、本山の代表者(住職や門主)がお参りに来られて、勤修(お勤め)される法要のことです。
真宗興正派の本山興正寺は、2019年(令和元年)の報恩講でのご親教もyoutubeで公開しました。
真宗興正派の本山興正寺については、次の記事で詳しく紹介しました。
ご親修(ごしんしゅう)ってどんな意味ですか?