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第278回目のラジオ配信。「呉音(ごおん)・漢音(かんおん)」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。
今回はお経の読みについてのお話です。
お経を聞いていても何を言っているのかまったく意味不明ですよね。
それはそうです。
音読みで、それも呉音で読んでいるからです。
書き下しの文章にして、現代日本語の読み方じゃないので、羅列された漢字をそのままの順番で呉音で読んでわかる人は誰もいません。
お経はたいてい呉音で読まれます。
理由は単純で、日本に仏教経典や漢字が伝わった時、呉音だったからです。
漢音で読むのは、もう少し後になってからです。
浄土真宗の宗派でも、阿弥陀経を漢音で読むこともありますが、呉音で読むことがほとんどです。
呉音と漢音についてちょっと説明しますね。
呉音というのは、呉の時代、呉の国だけの言葉ではありません。
呉音というのは中国の六朝時代に長江下流の地域、呉の地域で読まれていた漢字の読みです。中国の南京あたりですね。
六朝時代というのは、3世紀の終わりから6世紀の終わりに隋が滅ぶまでの間です。
日本には漢字が5世紀ごろまでには伝わってきたとされ、当時漢字を読むことができた日本のお坊さん達は自ずと呉音で読んでいたんでしょうね。
ちなみに漢音は隋が滅んだあと、唐の時代から宋の時代に長安あたりで読まれていた読み方です。
日本には遣唐使によって漢音が伝わったとされます。7世紀はじめですね。
さて漢音が伝わった当時、日本では漢字が読める人、お坊さん達は呉音で読むのに慣れていたでしょう。
すでに呉音が定着しているのだから、わざわざ呉音から漢音に変えて読む必要はないでしょう。
だからお経は呉音で読んでいるんですね。
それが今の時代までも続いているわけです。
ちなみに日本が8世紀初めに書いた書物に、古事記と日本書記がありますよね。
日本書記は日本の国の成立と天皇の正当性を外国に示すために書かれたいわば外向きの内容で、漢音で書かれています。
一方、古事記は日本の神話・歴史を日本に向けて、いわば内向きの内容で、呉音になっています。
そんな風に当時、外の国、唐に対しては唐に合わして漢音で、日本国内にはいままでの呉音だったわけです。
日本にいるお坊さんたちが呉音で読むのは何もおかしな話じゃないでしょう。
それと、お経文が漢字に訳されたのが中国で呉音が読まれている時だったのも関係していると私は思います。
浄土真宗の大切なお経文が中国で訳されたのは、阿弥陀経は402年頃、観無量寿経は433年頃、無量寿経は252年ごろであり、呉音で読まれていたころになるでしょう。
もしお経文が呉音の読みよりももっと離れた時代に漢字に翻訳されていたら、今、私たちが読むお経は呉音ではなかったと思います。
お経は呉音で読もうが、漢音で読もうが、意味が変わることはありません。
だからどっちで読んでもいいのですが、やっぱり昔から続いている伝統的なものは自ずと親しまれ続いていくのだと思います。
「伝統だから呉音のままっておかしくない」と思う人もいるかもしれませんが、はたしてそうでしょうか?
例えば、私たちは普段何気なく、お経(おきょう)といっていますよね。今日から急に(おケイ)と読みますとなったらどう感じますか?
変ですよね。
お経文(おきょうもん)も(おケイブン)になるんですよ。
日本に仏教の教えを広めてくださった、空海(くうかい)さんも(コウカイ)さんになりますよ。
お釈迦様(おしゃかさま)釈迦如来(しゃかにょらい)は(セキャジョライ)、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は(カンセインホサ)になります。
呉音から漢音に変えてみた例ですが、これから時代が変わりもし別の読み方に変わる機会があったとしても、やっぱり慣れ親しんだ読みを変えることはできないですよね。
だから日本のお坊さんたちがむか~しから続く呉音で読むのは半ば仕方がないところがあると思います。
以上で今回のお話、お経の読みについて、なぜ呉音でお経を読んでいるのかについてのお話を終えますね。

浄土真宗では阿弥陀経を漢音で読むこともあります
下のリンク先では「なぜ漢音で読むのか?」と、
私が感じていることを紹介しました