なぜ遠く離れた田舎のお墓にお参りするのだろうか。近くだと楽なのに

こんばんは。 香川県に住んでいます真宗僧侶のかっけいです。

8月10日の今日は明日からのお盆休みのため、ニュースで帰省ラッシュが始まったことが報じられています。

香川県は四国の玄関口といわれ陸路で本州から帰ってくる人たちはここを通らなければなりません。

自坊では8月頭のころからご門徒宅のお仏壇前でお盆参りをしています。

それと合わせて今日は県外からお寺に来られた人もいます。

遠く離れたところに住んでいる人がお盆休みのために香川に戻ってきているのですが、なぜわざわざお寺にもお参りしてくださるのでしょうか。

今回はそのちょっとした疑問について自分なりに理由を考えてみます。

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お盆に帰省した人はなぜお寺やお墓に参るのか。

お墓の枯れた花。

まずはじめに香川県は非常に空き家率の高い県だということを挙げておきます。(およそ16~20%)

昔からの家には続けて住まず、新しく家を建てるため少しずつ親戚縁者は離れ離れになりますし、また若い人は東京などの都会で生活している人も多いです。

お盆の帰省というのはバラバラになった家族が、お盆休みという長期休暇を利用し故郷に一同に集まることができる機会です。

お盆とは先祖や父母を敬い、その恩を偲んでいく行事です。

そのためには家のお仏壇にお参りをしたり、お墓にお参りする必要があります。

先祖が育てられた家の仏様に手を合わし、また先祖のお骨が納められたお墓をお参りすることで、先祖とのかけがえのない縁を感じていくのです。

ではなぜお寺にもお参りするのでしょうか。

これは私なりの考えになりますが、おそらくお寺との縁・つながりを大切にしているのでしょう。

家族は今の時代、バラバラに生活するのが当たり前の姿になりました。

するとご先祖たちが長い間生きてきたその地での縁というのだんだん希薄なものへと移り変わってしまいます。

しかしですね。ご先祖たちのお骨が納められているお墓というのは昔からその地にあり続けているのです。

またご先祖たちが信仰の場として頼りにしていたお寺というのもその地から離れることはありません。

つまりお盆の時にご先祖を偲ぶためにお墓を参るのは当然のことなのですが、そのご先祖たちとともにその地で歴史を歩んできたお寺も同様にお参りの対象と考えているのではないでしょうか。

なぜお墓を今現在住んでいる近くに建てないのだろうか。

ただお盆休みや正月休みの時に帰省してお墓やお寺にお参りするのはなかなか大変なように感じます。

例えばですが、今東京にすんでいるのなら東京近郊にお墓やお寺を用意すればお参りするのが楽になるのではないだろうか。

これは今風の考え方なら、遠い田舎じゃなくお墓を近くに引っ越しさせたいと思うのも当然なのではないでしょうか。

しかし実際にはお墓を都会に用意するのは金銭面で大変であったり、今までお付き合いしていた田舎のお寺と急に縁・つながりを断ち切るというのは人情として難しかったりするのでしょう。

また先祖たちが今までお世話になったお寺との関係を自分の代で急に捨ててしまうのは、先祖に申し訳ない気持ちになるのでしょう。

多少不便でも、今まで通りお墓も実家のそばに、頼りにしているお寺も今まで通りと、遠く離れたところでも今までのつながりとして大切に受け止めているのではないのでしょうか。

田舎のお墓・お寺に参るのも今だけの習慣になるかもね。将来は怪しそう。

普段都会に住んでいる人もお盆には生まれ育った実家に帰ってきます。

しかし今の時代では墓じまいという言葉が作られ(正しくは廃墓)田舎の実家に合ったお墓が撤去されています。

このままではお盆に帰省してもお墓に参るという習慣が失われていくかもしれません。

またお寺にお参りするというケースもなくなるでしょう。

現在の若い世代では信仰離れや宗教嫌いの傾向があり、これから30年でお盆の景色も大きく変わっていくでしょう。

正直なところお墓やお寺にお参りに来ている人の雰囲気をみても、純粋な信仰心や先祖への敬いよりかは、お参りしないといけないという義務感や使命感が勝っているように感じます。


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さいごに。お墓やお寺は近くよりも遠く不便な場所のほうがいいのかもしれない。

お盆休みに帰ってきた人は家族揃ってお仏壇やお墓にお参りしますし、中にはお寺への挨拶を兼ねてお寺にお参りされる人もいます。

本当ならお墓やお寺が今住んでいる家の近くにあるほうが便利になるのでしょうが、実際には少し時間やお金を必要とし、不便に感じる場所にあるお寺やお墓にお参りしやすくなるのです。

このことはお寺での法要と一緒で、近くの人ほどお寺・お墓にお参りするのが面倒に感じ、遠くの人ほど万難を排して何とかお寺やお墓にお参りしようとします。

古い習慣や文化というのは面倒に感じるものです。

お盆の帰省や墓参りを嫌々している人もいるでしょう。

しかし先祖を敬い恩に偲ぶことができる人というのは、どこかで自分自身の将来を見つめ、また自分の立ち戻るための場所を自ずと手に入れることができると思います。

お盆とは不便に感じる行事と思われるかもしれませんが、そのような手間をかけお参りしている姿を子や孫に見せることで、自ずと信仰心が芽生えてくるのかもしれません。

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