浄土真宗では3月4月に春の永代経法要が「つとめあい」されます

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

春の3月になりますと、浄土真宗の各寺院では「春の永代経法要」という法要が営まれています。

私の住んでいます香川県ではそれぞれのお寺のお坊さんが、他のお寺の永代経法要にお参りをさせていただき、本堂の内陣と呼ばれるところでお勤めをしています。

お寺にお参りをされる機会が少ないは知らないかもしれませんが、お寺の法要というのは、そのお寺のご門徒さんだけがお参りするのではなく、ご縁のある他のお寺もお参りをさせていただいています。

今回は春の永代経についてのお話です。

お寺の門構え

とあるお寺の永代経法要日の門構え

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永代経(えいたいきょう)ってどんなお勤め。

永代経っておそらく勘違いされている方が多いのではないでしょうか。

よくある勘違いとしては、

  • 永代経とはどんなお経文なんだろう。
  • 永代経って亡くなった人にお勤めしてるのでしょう。
  • 懇志を収めていたらお参りしなくていいんでしょう。

などがあるのではないでしょうか。

どれも大きな間違いです。

永代経のお経文はない。

それぞれを簡単に説明しますと、永代経というお勤めはありません。ここ香川の丸亀市付近では主に「仏説阿弥陀経」もしくは「仏説無量寿経」をお勤めしています。

もちろん仏事法要というのはお経文だけでなく、伽陀・和讃・念仏・回向などが組み合わさって式が進行しますがここでは省略します。

永代経とは死者のためのお勤め?

そして辞書でも僧侶の認識と大きく異なることが書かれていることがあります。

永代経とは「亡くなった人(死者・故人)のために寺でお勤めをしている」のだと。

これは浄土真宗的には大きな誤りです。

永代経とは永代読経もしくは永代志納経もしくは永代懇志経という言葉の略であり、「お寺(檀那寺)とご門徒(檀家)の関係があり続ける限り、永代にわたって阿弥陀の教えが相続される念仏道場としてのお寺での法要が営まれ続けること」です。(←私の表現ですのでお寺さんによってはニュアンスが違いますのであしからず。)

浄土真宗に対する勘違いとして、亡くなった人のため、冥土or浄土・此岸orあの世?で『ええとこいってくれよな~』や『さっさと成仏してくれよな~』と祈っているのではありません。

浄土真宗の教えというのは先に往かれた方(故人や先祖)を偲び、仏縁に出逢わさしていただくことで、今この私が救われる教えです。

ですので永代経とは私たちお参りの方に対しての仏事なのです。

故人供養のためではありません。

真宗以外の宗旨では先祖供養などの意味合いがありますので注意ですよ。

懇志をつけたらお参りしなくていい?

法要の時は本堂の中で帳場というのが立てられているときがあります。

特に田舎の小さなお寺ではごく一般的な景色です。

そして非常に残念なことに懇志だけをつけたら直ぐに帰られる方が多いこと。

理由は様々でしょうが、お金を納めたのだからあとはお寺がお勤めをしといてくれるだろうとの考えが多いのでしょう。

永代経懇志とは檀那寺が永代にわたってお念仏の教えが引き継がれていく場であり、その念仏道場としてのお寺を護持していくためのお金などとなります。

そして法要ではお勤めだけでなく、布教使によるご法話も多くの寺院ではされています。

真宗ではご聴聞というのも非常に大切なことです。

せっかくお寺にお参りをしていただいてますので、あと長くて2時間、お話も含めて阿弥陀の教えに触れていただけたらなあと思います。

他のお寺さんもお参りします。

お坊さんの草履

この写真もとあるお寺の永代経法要の時の様子です。

これはお寺さんが帰った後の写真ですので、草履がそれほど残っていませんが、この日は15~20名ほどの僧侶がお参りに来ましたかね。

これは地域ごとの習慣やお寺さん同士の関係・つながりにもよるのでしょうが、ここ香川県丸亀付近の真宗興正派ではつながりがいまだに強く残っています。

お寺さん同士のお参りをここらへんでは「つとめあい」と呼ばれています。

昔ではお寺の法要だけでなく、年忌法事や葬儀などの仏事でも似たようなことがありました。

1ヶ寺のお寺だけでお勤めをするのではなく、複数のお寺のお坊さんが集まり、仏事をしていました。

現在ではそのような光景はなくなりつつありますが、お寺の法要ではまだ残っています。

なぜ他のお寺がお参りに来るのか。

なぜ他のお寺の法要によそのお坊さんがお参りに来るのか。

このことに明確な答えはないかもしれませんが、私なりの推測はできます。

それは真宗における仏事というのは仏縁を大切にしているからです。

真宗のお坊さんは一般の方たちと大きな違いはありません。

お坊さんだから徳が高いとか、お坊さんだから一般の人よりも救われやすいや良いところに往きやすいとか、そんなことはありえません。

阿弥陀の教えとはそのようなことは言っていませんし、お坊さんもご門徒さんと同じようにお念仏の中で今を生きているのです。

ですのでこのような仏事のご縁をいただき、ともにお参りをさせていただき、お念仏の教えを頂いているのです。

南無阿弥陀仏の念仏を亡き人のご縁から相続し、先にお浄土に往かれた方たちと同じ道をいまこの場にお参りしている人たちと一緒に歩まさしていただいているのです。


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さいごに

法要後の様子

真宗の永代経とは亡くなった人のためのお勤めではなく、今生きているお参りの人に届けられている阿弥陀の教えの場なのです。

それが永代にわたって続けられていくのが「永代経」という法要です。

それは勤め合いに来ているお寺さんも同じ立場です。

多くの場合はお坊さんが本堂の内陣(ご本尊の周囲)で勤行をしたのちに、お話が始められます。

勤行後に時間に余裕のあるお坊さんはよく見ると本堂の片隅に控えて座っていると思います。

お寺さんも同じようにご聴聞をさしていただいています。

【余談】

この3・4月は週に2回は他の寺院の春の永代経法要にお参りをつとめあいますので、4月の終わりごろになると控室でのお坊さん同士の口数も減ってくるんですよね。

これに加えて別院やご本山興正寺でも春の法要が勤修されますので、この時期は顔を合わす機会が本当に多いです。

ちなみにですが、このつとめあいとは宗派の垣根を超えています。ですので真宗興正派のお坊さんが本願寺派の寺院にお参りをしたり、本願寺のお坊さんが興正派の寺院にお参りしたりします。減りつつはありますが、つながり・ご縁のあるところはまだ続いています。

お寺同士のお付き合い、「つとめあい」については別記事でも紹介しています。

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