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お坊さんが読経の時、「損じゃ損じゃ」と唱えている話

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こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

今回はちょっと不思議なタイトルをつけてみました。

お坊さんはお参りに行きますとお経を読みますよね。

皆さんきちんと後ろに参って聞いていますか?

今回の話は私が直接経験したことではなく、私の祖父が経験したエピソードです。

お坊さんが「そん・そん・そん……」を唱えるエピソード。

私の祖父が若かった頃の話です。

昔の法事は子や孫や親戚のお参りが多く賑やかなお参りだったそうです。

当然お座敷も筒一杯ですので、お坊さんの横や真後ろにくっつくくらい距離が近かったそうです。

それでお勤めが終わると小さな子供さんが次のようなことを言ったそうです。

「あのおじゅっさん、どうして損じゃ損じゃとソンソンばっかり言っているの?」

お坊さんが「そん・そん」を口にしているのはどうして?

どうでしょうか。今のご時世、こんな質問してくれる人はどれくらいいるのかな。

浄土真宗では法事の時に『仏説無量寿経』を読誦します。

経題のあと冒頭は「我聞如是 一時佛 住王舎城(がーもんにょーぜ いちじぶつ じゅうおうしゃじょう)」と始まります。

しばらくすると「尊者了本際 尊者正願 尊者正語 尊者大號 尊者仁賢 尊者離垢 尊者名聞 尊者善實 尊者具足 尊者牛王 尊者優樓頻蠃迦葉 尊者伽耶迦葉 尊者那提迦葉 尊者摩訶迦葉 尊者……」の箇所が出てきます。

ここでしばらく「そんじゃあ○○・そんじゃあ□□・そんじゃあ△△・そんじゃ……」と唱え続けるんですね。

これが小さな子供の耳からするとお坊さんがず~~と「損や損や」と、いったい何が損なんやろかと疑問に思ったようです。

この「損じゃあ損じゃあ」と聞こえていたところは、経典を編纂するときに、お釈迦様がこのお経文のお話をされていることを私も聞いたという偉い僧侶の方々の名前を挙げているのです。

ですので、尊者(徳の高い高僧・そんじゃ)という言葉がずっと続いているのです。

まあ大した理由じゃあないですね。

あなたはこのエピソードを聞いて何を考えますか。

実は今回のエピソードと似たような話があります。浄土真宗では有名な話かな。

浄土真宗では葬儀の時に『白骨の御文』を拝読します。

すると小さな子供さんは白骨の言葉よりも、「イチゴ」や「ニンジン」が耳に残るそうです。

周りの人は悲しんでいるのに「あのお坊さんはどうして振り返ってイチゴやニンジンの食べ物の話をしているの?」ってね。

これも単純な話で、イチゴは「一期なり」、ニンジンは「人身を受けたり」の音をそのまま聞いただけです。

この話を聞いて「小さな子供だからツマラナイことを疑問に思うんだなあ」と捉えますか?

いいや。お坊さんの私からするとこの子供さんは非常に有難いなあと感じます。

なぜかって。

それはキチンとお話を聞いてくれているからです。

「そんじゃ・いちご・にんじん」が疑問に思うということはキチンとお参りに参加してくれており、お坊さんが唱えている音を聞いているからです。

皆さんはお坊さんがお勤めしているときどうしていますか。

お経の意味を理解している人は誰もいないはずです。

だってあれは日本語じゃないんですから。理解出来たらそれはとんでもないことです。

意味が分かるからお経を聞くんじゃあないんです。仏様の金言であり、仏様からの呼びかけとして聞かさせていただいているのです。

ですのでお経の音を聞くのに年齢や性別や頭の良い悪いは関係ないのです。

むしろお坊さんがお勤めしていても何も耳に残らない。ひょっとすると奥に引っ込んでいる人もいます。

そんな人のことを思うと、お坊さんの発する声をきいて、「そんじゃあ・そんじゃあ」と気が付いてくれる人の方がなんぼか有難いです。

さいごに。私の言いたかったこと。

今回は『お坊さんが読経の時、「損じゃ損じゃ」と唱えている話』というかなり変わった題でした。

そんなことを疑問に感じる人も少ないかもしれません。

理解できない話を「あなたの言うことはお経のようだ」とも表現する人がいます。

実際に法事の時にお坊さんの読経を聞いても意味は理解できないですし、退屈やもしれません。

しかしお経というのは仏様の金言です。つまりは尊い言葉です。

意味が分かるから「よし聞こうか」じゃないんです。

この私に向かって気が付いてくれよ・分かってくれよと仏様が呼び掛けているのがお経なんです。

損じゃあイチゴやニンジンやあと聞こえてきた子供はキチンと仏様の声を聴いてくれました。

それこそ妙好人と呼ばれた山地願船さんはお経をゆっくりゆっくりと自分に聞かせるように唱えたそうです。「一字でも落としたら勿体ない。一字一字が仏様じゃから」と言われたそうです。

私の言いたいこと。それはお参りに参加してくれよということです。

今ではお参りに来る人も少ないですし、お坊さんが読経しているときは後ろに参らない人・ねている人などいろいろです。

お経は誰のために唱えているのか。それは自分に対してです。

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