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【解説】報恩講ってなに。浄土真宗で一番大切な行事だよ

こんばんは。  真宗僧侶のかっけいです。

この10月から11月、12月、1月は浄土真宗の人たちにとって、非常に重要な行事があります。

しかし、お参りをしていて感じるのが、御門徒さんの中には「報恩講」がどういうものかあまりご存じでない方が多いようにみえます。

報恩講がなぜ浄土真宗において、最も大切なものとされているのか解説します。

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報恩講の言葉の意味はなに?

言葉を分解しますと「報恩」と「」に分かれます。

報恩とは、どんな意味?

現代ではひょっとしたら報恩という言葉を聞いても、ピンとこないかもしれません。

恩という言葉はもう馴染みのない言葉になりつつあるような気がします。どうですか。どなたかに恩を感じていることありますか?

自分一人だけで生きていけると思っていませんか。

恩という言葉でかつてよく使われたのは、恩師ではないでしょうか。

恩師という言葉はなにも学校などで、勉強を教えてくれた先生を差す言葉ではないですね。恩を感じた人・存在に対して使う言葉ですね。

恩というのは「因(もと)」と「心(こころ)」のパーツから構成されます。つまりこの私が育てられたのは誰のおかげなのか、なにによって支えられているのか。その原因を知る心が恩という言葉なのです。

恩という言葉が馴染みのない言葉になってきているのは、自分の力のみで世話にもならずに生きていると感じているからではないでしょうか。

「報恩」とは恩に報いるという意味です。この私が生きている親の恩、師の恩、周りの人の恩、人だけでないあらゆるものの恩、それらの恩に気づく・知ることによって自然と報いる(お返しを)するということです。

特に真宗で使われている報恩とは、とりわけこの私を救わずにはいられない仏様(阿弥陀仏)のはたらきを知り・気づき、その教えを脈々と伝え、とくに私たち一人ひとりに生きるよりどころ(道)を示し、阿弥陀仏の念仏をすすめられた宗祖親鸞聖人の恩に報いることをさしています。

講とは、どんな意味?

香川では講中(こうじゅ)という言葉がありますね。講中とは地域の信仰互助集団ですね。

そのほかにも講がついている言葉に、観音講、薬師講、念仏講など様々な〇〇講という言葉があります。

ここから何となくわかると思いますが、講には人々の集まりというニュアンスがあります。

辞書によると、下記のようにあります。

④日本で、仏経を講ずる法会。

⑤信仰に関する結社。よりあい。組合。

 ー日本国語大辞典 第2版ー

真宗の報恩講の意味。

報恩講とは恩に報じる集団という言葉です。

これだけだと何か怪しい集団のように思われてしまいますので、真宗における報恩講も説明しなければなりません。

なぜ11月頃に報恩講参りがあるのか。

親鸞聖人のご命日が、旧暦の11月28日であるからです。

旧暦ですけども、多くのところがこれをそのまま新暦の11月28日にお勤めしています。ただし、新暦に置き換えて年が明けた1月16日にもお勤めしている宗派もあります。(本願寺派と高田派ですね)

浄土真宗における報恩とは、90年にわたる親鸞聖人の御苦労を偲び、そのご苦労・ご教化を通じて、今に至るこの私がお念仏に出あい、お念仏に生かされている。その拠り所を示してくださった御恩に感謝することです。

真宗の報恩講のはじまり。

報恩講とは宗祖親鸞聖人の御命日の法要です。

報恩講と名付けられたのは、親鸞聖人の33回忌法要のときに本願寺第三世の覚如上人が『報恩講式(報恩講私記とも)』というもの書かれ、親鸞聖人のご遺徳を顕しその御恩に報いる真宗の法義をすすめられたことによります。

その後現在に至るまで、報恩講という名称でご命日が勤められています。

なぜ家でも報恩講を勤めるのか。

例えば永代経法要はお寺でのみ勤めているところが多いのではないでしょうか。永代経を家のお仏壇ではお参りはしないですよね。

家のお仏壇にお寺さんを案内するのはどういう時ですか。

家のご先祖、祖父母、両親、または残された私たちが先立たれた人に思いを馳せる・偲ぶときにお坊さんを案内しますよね。その方のご命日であればなおさらですね。

報恩講参りでも同じことが言えます。

親鸞聖人は真宗門信徒すべての人たちに偲ばれる人です。なぜなら、先ほど説明しましたように、私たち一人ひとりに阿弥陀様の念仏をすすめられた恩人であるからです。各ご家庭でお参りするのは親鸞聖人のご命日、報恩講を通じて、ともに念仏申す身になっていくことを確認するご縁であります。もちろんお寺でも重ねて報恩講法要をしますよ。


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さいごに。浄土真宗は報恩講教団。

ここまで報恩講について説明しました。

こんなことを言ってはいけないのでしょうが、

「報恩講が親鸞聖人の命日なのはわかった。だけどわざわざ家にお参りに来なくても結構です。」と思われている人もいるのではないでしょうか。

私は報恩講参りのことを親しみを込めて「ほんこさん」と呼んでいます。すると報恩講を勤めない人からは、我が家にほんこさんなんて人はいませんと言われます。まるで水子のような言い方をしている人がいます。

これは私の思いですが、恩を感じる、誰かのお世話になっているという気持ちが薄れているように思います。ことに浄土真宗ではこの私にお念仏を届けてくださった宗祖への御恩はなによりも大事なことではないでしょうか。2011年に親鸞聖人の750回忌大遠忌法要がありました。真宗興正派の本山興正寺での650回忌、700回忌、750回忌と法要の写真を見ましたがだんだんと報恩参りが減っているように感じます。

親鸞聖人のご命日・報恩講とは阿弥陀様の教えをいただいた私たちが、常に生活の中で、感謝と報恩の心によって成り立っているのだと気づかさしていただく場であります。それが真宗が報恩講教団といわれた所以でもあります。

なにとぞ、報恩講のお勤めをしていただきたいと願っています。

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