僧侶のかっけいです。
皆さんの日常の履物は靴下でしょう。でも衣を着ているお坊さんは「足袋(たび)」を履いています。
足袋と着物(衣)と草履のセットはお坊さんにとって日常的な服装スタイルであります。
白衣の上に黒い衣を着て、さらに足下には白い足袋を履いている様子は、馬子にも衣裳でしょうか、私のような人でもそれなりの人物に見えそうな気がします。
白色の足袋はお坊さんにとって、無くてはならない存在なのですが、一方で非常に汚れやすい・汚れが目立ちやすい悩みもあります。インターネットで調べ物をしますと「足袋の洗い方・洗濯の仕方・よごれの落とし方」などが目立ちます。
白い足袋を履く人は必ずといっていいほど、足袋の汚れが気になるのでしょう。私もそうです。
でも見方を変えれば非常に有難いなあと思うところです。
お坊さんの足裏はかなり汚れる
上の写真は、今日、私が履いていた足袋です。汚いものを見せてごめんなさい。(写真の補正があるのかそれほど汚れていないように感じるかもしれませんが、実際には相当な黒ずみです。)
足袋の汚れといっても、足袋全体が汚れるのではなく、足袋裏がメインの汚れ場所です。当たり前ですよね。
畳というのは一般的に拭き掃除されていないことが多く、お参りの度に足袋の裏で拭き掃除をしているようなものです。
それはお寺の本堂も似たようなもんです。定期的に拭き掃除をしているお寺は少ないでしょう。また風通しがいいのか、外からの埃がお堂内にたくさんたまっています。もっと言えば、木の床や畳の隙間に目に見えないような埃がたくさんたまっています。そのため雑巾で拭いても拭いても雑巾に汚れがつきます。
お寺のお坊さんは本堂内を移動するたびにどんどん足袋裏が黒くなっていきます。
足袋の裏の汚れは仏様参りをした証
世の中には御朱印(ごしゅいん)というのがありますよね。
浄土真宗寺院の一部の派は、御朱印を積極的に授与しません(どうしてもと言われればすることもある)。というのも朱印を集めるためにお参りするのではないですし、朱印がお守り札のように扱われるのも教義に反するからです。
しかし私個人としては御朱印をいただくことで、『次もお参りに行こう』と励みになるのであればそれは非常に有難いことだとおもいます。実際に朱印をしていない真宗寺院でも参拝記念品やスタンプをしていることがあるでしょう。
人間というのは「形に残るもの」・「目に見えるもの」があると安心すると言いますか、実感しやすくなるのではないだろうか。
足の裏の汚れも同じことだと私は感じます。
お経本が破れるということはそれだけ何度もめくり読んだ証であり、念珠の紐が切れるということはそれだけ手を合わした証であります。
足袋裏が汚れるということはそれだけ仏様参りができている証ということです。
私も汚れた足袋を見ますと『ああ、今日もしっかり仏様参りしたんだなあ』と感じます。
浄土真宗的には参った回数によって何か見返りがあるわけではありません。しかし一日の終わりを迎えるにあたり、今日一日お参りを助けてくれた足袋を見るたびに、有難かったんだなあと感じ、また翌日の白い新たな足袋を履くときに、新しい気持ちでお参りに出かけることができます。
だから足袋の汚れはありがたく、また誇らしく感じるのです。
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さいごに。黒い足袋が履ければ汚れが目立たないのになあ
白い足袋を履くお坊さんにとって、足袋裏の汚れはごく当たり前のことです。
しかし汚れてしまった足袋裏というのは、非常に汚れが落ちにくいのです。
洗濯機にそのまま入れても汚れが残りますので、事前に洗剤・たわし・歯ブラシを使って手で頑固な汚れを落としておきます。
汚れがなかなか落ちない足袋の様子を見ますと、お坊さんが履く足袋が白色から黒色ならば、汚れが目立たずに楽だなあと思ってしまいます。
皆さんだってそうでしょう。
小学生や中学生の子供がいれば毎日毎日白いソックスを土色に汚してしまいますよね。だから自ずと黒や紺色のソックスを子供に履かせたりしますよね(汚れが目立たないだけですが)
しかし上で説明しましたが、真っ白な足袋が汚れることで仏様に参った実感が湧きますし、またお参りする気持ちが起きてきます。ですので汚れが目立たないという理由だけで黒い足袋を選択するのはおかしいのかな。
ちなみにお坊さんがなぜ白色の足袋を履くのか明確な理由を私は知りません。しかし聞いた話では、白足袋は黒足袋と違い、儀式的な・儀礼的な場面で使っていた伝統があるそうです。つまり神事や仏事といった宗教ににかかわる人や祭事の時では白色が好ましいのだそうです。
ということでお坊さんでも黒い足袋を履いたら楽だなあとふと思っても、やっぱり白い足袋の方が有難いということです。