報恩講法要の日程は一週間となぜ長いのだろうか。その理由

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

浄土真宗では11月28日または1月16日を宗祖親鸞聖人のご命日として、各本山では盛大に法要を営みます。

しかしどうでしょうか。こんなことを思ったことはないだろうか。

一週間と、どうしてあんなに長い法要日程なんだろう?

今回は浄土真宗の宗祖である親鸞聖人のご命日法要(報恩講法要・御正忌法要)の日程が長い理由について紹介します。

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法要日程の確認。

例として伝統教団である真宗十派の各本山の法要日程を示します。

11月21日~28日
(8日間)
11月22日~28日
(7日間)
1月9日~16日
(8日間)
真宗興正派(本山興正寺)
真宗大谷派(真宗本廟)
真宗仏光寺派(仏光寺)
真宗木辺派(錦織寺)
真宗誠照寺派(誠照寺)
真宗三門徒派(専照寺)
真宗山元派(證誠寺)
真宗出雲路派(毫摂寺) 浄土真宗本願寺派(本願寺)
真宗高田派(専修寺)

これらを見ていただくと、どの本山も報恩講法要を長いことお勤めしていることがわかるでしょう。

一週間とは言いましたが、実際には7昼夜、すなわち8日間も法要日数があります。

真宗出雲路派の本山毫摂寺(ごうしょうじ)のみ7日間と短いですが、平成23年までは月遅れの法要ということで、12月21日~28日で勤められていました。

(余談ですが、法要開始の日は各宗派の諸事情によって一日程度早まったり遅くなったりしたこともあります。上の法要日程はあくまで一例です。年によっては例外もあります。)

いずれにしても報恩講法要の日程は一週間程度と長いのです。

なぜ報恩講法要の日程は長いのか。

親鸞聖人の報恩講法要が長いことを説明するキーワードは「蓮如のお手紙」と「法然上人の命日法要」です。

蓮如のお手紙。七昼夜。

本願寺8代の蓮如上人は全国の門信徒宛てに数多くのお手紙を書かれました。御文(おふみ)・御文章(ごぶんじょう)・御勧章(ごかんしょう)とも呼ばれています。

この中で蓮如上人は11月28日の親鸞聖人のご命日法要を七昼夜の間勤めていることを書き残しています。

それ中古以来当時にいたるまでも……(中略)……。

そもそも今月二十八日は、毎年の儀として、懈怠なく開山聖人(親鸞)の報恩謝徳のために念仏勤行をいたさんと擬する人数これおほし。まことにもつて流を汲んで本源をたづぬる道理を存知せるがゆゑなり。ひとへにこれ聖人の勧化のあまねきがいたすところなり。……(中略)……。

所詮今月報恩講七昼夜のうちにおいて、各各に改悔の心をおこして、わが身のあやまれるところの心中を心底にのこさずして、当寺の御影前において、回心懺悔して、諸人の耳にこれをきかしむるやうに毎日毎夜にかたるべし。……(中略)……。

第4帖5通目より

そもそも当月の報恩講は開山聖人(親鸞)の御遷化の正忌として、例年の旧儀とす。これによりて遠国・近国の門徒のたぐひ、この時節にあひあたりて、参詣のこころざしをはこび、報謝のまことをいたさんと欲す。しかるあひだ、毎年七昼夜のあひだにおいて、念仏勤行をこらしはげます。……(中略)……。

所詮かくのごときのやからにおいては、あひかまへて、この一七箇日報恩講のうちにありて、そのあやまりをひるがへして正義にもとづくべきものなり。……(中略)……。

第4帖6通目より

そもそも、今月報恩講のこと、例年の旧儀として七日の勤行をいたすところ、いまにその退転なし。しかるあひだ、この時節にあひあたりて、諸国門葉のたぐひ、報恩謝徳の懇志をはこび、称名念仏の本行を尽す。まことにこれ専修専念決定往生の徳なり。……(中略)……。

第4帖7通目より

他にも報恩講・御正忌について書かれたところはありますが、似たような表現なので割愛します。

上の3通のお手紙からは、親鸞聖人のご命日法要が毎年11月28日に行われ、「七昼夜・毎日毎夜・一七箇日・七日」の間勤められていることが分かります。

一七箇日とは一回りの七日間のこと、つまりは一週間ですね。

これらから蓮如上人の時代にはすでに宗祖親鸞聖人の法要が一週間・七昼夜勤められていたことが言えます。

法然上人のご命日法要も七昼夜。

法然上人とは浄土宗の宗祖であり、親鸞聖人とともに南無阿弥陀仏のお念仏をいただいたお坊さんです。

法然上人は1212年の正月25日に、親鸞聖人よりも50年も前に亡くなられています。

その後法然上人の月命日のお勤めを著したのが『知恩講式』と言われています。浄土真宗の『報恩講式』と似ていますね。

また浄土宗では法然上人の命日法要(忌日法要)のことを「御忌(ぎょき)」と呼んでいるようです。

これは1524年に後柏原天皇が、『大永の御忌鳳詔(だいえいのぎょきほうしょう)』という詔勅を発したことに由来するようです。

原文を見たことがないのですが、「毎年正月のご命日には多くの門信徒を集めて、一七昼夜にわたって法然上人御忌を勤めなさいよ」的な内容らしいです。

浄土真宗の宗祖のご命日法要も七昼夜と長いですが、浄土宗の宗祖の法要もまた同じく七昼夜と長いです。

これは七昼夜・一週間にわたる期間の間、宗祖のご遺徳を偲んでいく中に、浄土の教え・念仏の勧めに気づいていくためでしょう。

七昼夜のお勤めが8日間になる理由。

本山の報恩講法要の日数を見てみますと、7日間ではなく8日間になっていると思います。

七昼夜なのだから7日間で終わるような気もしますが、なぜ8日間なのでしょうか。

それは命日のお勤めというのは逮夜(たいや)から始めるものだからです。

現代では法事・法要はたったの一日で終えることが多いですが、昔は前日から勤めることもありました。

逮夜(たいや)とは明日に向けて夜を逮ぶ(及ぶ)という意味があり、一般的に逮夜のお勤めとは正午~午後12時の時間帯にするお勤めをさします。

例として興正派の本山興正寺では次のような日程を取ります。

  午前10時 午後2時
21日   逮夜法要(初逮夜)
22日 日中法要(初日中) 逮夜法要
23日 日中法要 逮夜法要
24日 日中法要 逮夜法要(中逮夜)
25日 日中法要(中日中) 逮夜法要
26日 日中法要 逮夜法要
27日 日中法要 逮夜法要(結逮夜)
28日 日中法要(結日中)  

このように数日にわたる法要の場合は命日の前日に逮夜法要を行うため、初逮夜が一日早く勤められ(21日午後)、結日中が28日のご命日当日の午前中に勤められるのです。

七昼夜・一七箇日とは8日間のお勤めということに自ずとなるのです。


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さいごに。

一昔前は末寺のお寺でも報恩講法要は2・3日勤めていました。

現在では2日間法要を勤めたり、一日に日程を縮小しても一日に2座勤めるところは減りつつつあります。

理由はいろいろあるでしょうが、やはり大きな要因はお参りの人の減少でしょう。

仮に二日間法要日程を組んでいても二日目にはほとんどお参りに来ません。一日を2座に分けてもお参りの人は増えません。

法要日数を増やすのは一人でも多く参ってほしいという思いがあるからなのですが、お寺に参る気持ちのない人にはお参りの機会が増えてもお寺には来ないのです。

お寺や総代世話人の負担が増えるばかりです。

本山のように午前午後の御座に多数のお参りの人がある場合や、お寺の資金が潤沢なところは数日間法要をお勤めできるでしょうが、たいていのお寺は難しいものです。

現代では末寺の法要日数は一日と短くなった所が多くなりましたが、できるだけ多くの人にお参りしてもらいたいものです。

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