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第283回目のラジオ配信。「表白」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。
今回は表白についてのお話をしていきます。
浄土真宗では法事といった仏教法要のとき、表白といったものを読み上げることがあります。
仏教法要ではかならずお経を読みますよね。
お経というのは私たちに向けられた仏さまのお説法であり、お経を読むことは仏さまに対して讃嘆していること、仏さまの徳を讃えているわけです。
しかしお経は漢字を呉音漢音の音読みで読んでいるので、お経の言葉を聞くだけではお経の中身は分かりません。
そこで浄土真宗では読経の後に、祖師・高僧らの書かれたお手紙・ご文章を拝読したり、お坊さんが法話をすることで、お念仏・仏法への味わいをお参りの皆様に促しているわけです。
浄土真宗の仏教法要ではこのように読経とお話の大きく二つで構成されているのですが、さらに加えて、表白というのがあります。
表白とは表裏の表、黒白の白の漢字です。表と白で表白と言います。
表白は表敬告白を略した言葉らしいです。
表白は仏教法要のときに、この法要を迎えるにあたっての趣旨、この法要はどのような意味・願いでされているのかといったことですね。そして、仏さまや私に仏さまの教えを伝えてくださった諸々の菩薩・高僧らの徳をほめたたえること、そしてこの仏事のご縁を通して、私たちに味わってほしい仏法のこと、大切な教えはなんなのか、といったことをお参りの皆様を代表して、仏教法要をつとめる導師のお坊さんが、仏さまの前にて、読み上げる訳です。
表白の文章は「敬って白す(もうす)」という言葉で結ばれることも多いです。もうすの漢字は白です。
この白という漢字には告白・白状といったように仏さまや菩薩・祖師高僧らに対する敬いの言葉を明らかにするために口にしているんですね。
先ほど言いましたように、仏教法要では読経と法話の二つが大きな柱です。
それに加えて、この法要がどのような仏事イベントであるのかを明らかにするのが、表白というわけです。だから表白は法要の最初の方に読まれます。
ただし表白は必ず読み上げないといけないわけではないです。読まないこともあります。
理由はいろいろあるでしょうが、一つには表白で読み上げられる文章もそれなりに難しい言葉だからです。
本当はお参りの皆様にも聞いて分かるように、平易な文章にするべきなんでしょうが、表白は敬いの言葉であります。
どうしても格調高い文章になりがちです。つまり文語体で書かれた古めかしい言葉になりがちです。
それでいて、仏教経典の教えや古今東西いろんな書物・言葉遣いにも気をつかう必要があります。
なので表白というのは、お参りの皆様にこの仏教法要がなぜ、どういったいきさつで、なんのためにということが伝わらないといけないのですが、聞いててもなかなか伝わりにくいというのも現実にあるでしょう。
表白は恭しさのある文章なので、敬いの文章で、仏さまや亡き人を敬い、礼儀正しく丁寧で格調高い言葉に自ずとなってしまいます。
表白があることで、仏教法要がより厳かになるので、なるべく読み上げたいのですが、絶対に読み上げないといけないわけではありません。
もちろん表白は格調高い文章、文語体の古めかしい言葉でなければならないというわけでもありません。
例えば、赤ちゃんや小さなお子さんを連れた初参式や七五三の仏事では、話し言葉風の口語体・現代語の文章の表白が読み上げられることもあります。
お参りの皆様に、少しでもこの仏様参りの意味を味わっていただく工夫をしたりすることもあります。
まとめますね。
表白とは仏教法要のときに読み上げられます。
年忌法要の時が多いと思いますが、葬儀のときや中陰のときもあるでしょう。
お仏壇やお墓を新しく迎えた時、お仏壇を移動する時に読むこともあります。
お寺では代替わり法要や、建物を直したときの落慶法要のときにも読みます。
そのほか、あらゆる仏事の機会に読まれます。
それはこの仏教イベントがどのような趣旨で、願いの元で行われているのかを、仏さまの前で仏さまを敬い、お参りの皆様に告白する・明らかにするためです。
表白の文章がいったいどんなものかを知りたい方もいるでしょうから、この音声をのせている円龍寺ブログの方に、子供が生まれたあとにする最初のお参り、初参式・初参りを想定した表白を私が作ってのせておきます。
私も表白を作るのは苦手ですが、初参式に来られたご夫婦にも伝わるように口語体の平易な文章になるようにこころがけて作ってみます。
表白の文章がどんなものなのか、よろしかったら見ていってくださいませ。
初参式での表百の例文

今回、初参式での表白を作ってみました
小さなお子さんと一緒にお寺にお参りいただいたご夫婦とその家族をイメージして、なるべく易しい文章になるように心がけました
敬って
極楽浄土の阿弥陀如来
仏教教主の釈迦如来に
もうしあげます
本日ここに
うやうやしく
当寺本堂を荘厳し
如来の尊前に香華をささげ
○○ご夫妻の□□ちゃんの
初参式を執り行います
有縁ある人々の参列のもと
敬いの気持ちをもってお経を読み
生れてきたいのちのご縁に思いをいたし
仏様のはたらきに感謝いたします
人として生まれること
我が子として生まれることは
とても難しいことです
仏法にであっていくことはさらに難しいです
この度不思議でまれなご縁に恵まれ
新たないのちがここに誕生しました
人生は人として生まれてきた意味をたずねていく旅であります
どうぞこれから
□□ちゃんが多くの出あいに恵まれ
ご夫妻のもと健やかにほがらかに人生を歩まれ
阿弥陀如来からの大いなる慈悲のこころに気づき
真のしあわせを得る身となることを
願います
天上天下唯我独尊
誰も代わることのできないかけがえのない命を大切にし
善い行いはすすんで
悪い行いは遠ざけて
常に我が身をかえりみて
感謝の日々を過ごしてください
今日よりのち
阿弥陀如来のはたらきのもと
南無阿弥陀仏のお念仏を大切にいただき
柔らかな心で人生を歩み
親子 家族共々
さまざまなご縁とふれあい
互いに敬い支えあえる世界となることを
念願いたします
仏様 私たちを日夜
護り導いてくださいませ
令和七年六月十日
円龍寺衆徒 釋克啓
この法要に集う人々を代表し 謹んでもうしあげます

少し長い文章になってしまいました
小さなお子さんがいらっしゃるので、もう少し短くした方がいいかもしれませんね
言葉が重複しないように注意して作りました
出来としては未熟かもしれませんが、幼い子供とそのご両親の門出を祝うにはふさわしいものになったと思います

下に私が2017年にブログ記事で表白について紹介したのがあるので、それを載せますね

法事や葬儀で僧侶がお経を読むときに、違った雰囲気の読み物がありますね。
- 夫れ(それ)惟みれば(おもんみれば)……
- 敬って(うやまって)白す(もうす)
- 哀愍納受し給え(あいみんのうじゅしたまえ)
こういった言葉が、法事や葬儀の初めに読まれたりしていますよね
これは表白(ひょうびゃく)と言われるものです。
今回はこの表白の役割と意味について紹介します。
表白(ひょうびゃく)の意味
表白とは「表敬告白(ひょうけいこくはく)」という言葉を略したものです。お寺さんによっては表敬告白文とも言われる方もいます。
意味は漢字の通りで、敬いの気持ちを表し、自分の思いを申し告げるという意味があります。
文尾が「敬って白す」で終わることも多いので、「敬白文(けいはくぶん)」と呼ばれたり、ひろく大衆に告げるというところから「開白(かいびゃく)」や「啓白(けいはく)」とも宗派によっては呼ぶそうです。
「白」という漢字は「白す(もうす)」と読み、申し上げるという意味です。
表白とは
表白が読まれるのはどんな時か
仏式の法事や葬儀などの法要で読み上げられます。
私のところでは伽陀(かだ)の後に読むことが多いと思います。
真宗でお勤めする伽陀で有名なものに、「先請弥陀入道場 不違弘願応時迎 観音勢至塵沙衆 従仏乗華来入会」の先請伽陀があります。簡単な意味としては、法要の場に阿弥陀仏を、そして観音菩薩や勢至菩薩、諸々の諸仏を迎えているということです。
そして仏様を迎えた後に読むのがこの表白となります。
表白の役割
表白はその法要の趣旨を述べています。
浄土真宗では、法要儀式のときに仏前で、その法会を勤めることの目的(趣旨や願意)を阿弥陀如来や釈迦如来および、諸仏や参列された人々に知らせる役割があります。
表白には仏様の徳を讃嘆する内容がまず書かれることが多いと思います。
表白は願文でもある
表白は法要の目的を述べるときに読まれるのですが、言い換えれば「願文(がんもん)」とも表現できます。
願文とはお葬式や年忌法事といったときだけでなく、寺社仏閣を建立するとき・仏像を造るとき・写経をするとき・大事業をするときなど、施主の願意(思い)を述べた文章となります。
例えば比叡山を開かれた天台宗宗祖の最澄も願文を作製したそうです。最澄さんは自身の仏道修行の場にこの山を選ばれたその思い、願いを文章に書き残しました
平安時代の頃から願文はありそして文章博士(もんじょうはかせ)という立派な願文を作製できる人もいました
紫式部が書いた源氏物語の夕顔にも願文について書かれています。
かの人の四十九日、忍びて比叡の法華堂にて、事そがず、装束よりはじめて、さるべきものども、こまかに、誦経などせさせ給ひぬ。経、仏の飾りまでおろかならず、惟光が兄の阿闍梨、いと尊き人にて、二なうしけり。
御書の師にて、睦しく思す文章博士召して、願文作らせ給ふ。
簡単に訳すと、49日の法要を比叡山の法華堂で勤めたいので、親しい文章博士を呼んで願文(表白)を作らせたと書いています。
表白は最澄のいた日本に仏教が伝わった古い頃から、現在に至るまで続いています。
表白を作るのは難しい
表白とは仏教法要のたびにその法要にふさわしい文言にするのが好ましいです。
しかし実際には法要のたびに表白を用意するのは大変です。
なぜならその仏事儀式の趣旨を導師が十分にくみ取るだけでなく、仏典の内容・教義だけでなく、格調の高い、語彙の豊富さ語調などもきっちりとしないといけないからです。
古い時代では文章博士とよばれる人が作製したり内容の手直しをしてくれていたそうです。
現代では僧侶がお勤めする経典にいくつかの表白の例文が書かれており、お坊さんはこれをそのまま使っていることが多いです。また宗派の本山が表白集といった表白のサンプル集というのも用意してくれています。
表白のサンプルを読み上げるのもいいですが、継職法要や葬儀法要、仏前結婚式法要、建碑法要などの年忌法要以外でも、できればその場にふさわしい表白を用意するのが望ましいです。
表白は文語体で書かれていることが多いですが、口語体でもいいようです。ただ
仏事の厳かな雰囲気を生み出すには、やはり文語体の表白の方がいいのかもしれません。
仏教法要のはじめに表白(願文)を読み上げるのは、お坊さんが意味の分からないことを言っているのではなく、その法要を勤める趣旨・意義を述べ、私たちをお浄土へ導いてくださる仏様を敬い、その法要に参列しているすべての人が、仏様の救いの中で仏事のご縁に出あわさしていただいていると気づかさしていただくものです。
そういったことを意識して、表白を作れていければと思います。
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表白の現代語訳例
この記事を書いてから、ご門徒さんから質問をいただきました。
表白がどういうものかは分かったのですが、表白の内容については意味不明な状態だそうです。
そこで表白の現代語訳を紹介しようと思います。
ただ表白で使われている言葉は経典や高僧の方たちが表現された言葉が散りばめられているので、直訳すると伝わりにくい訳になってしまいそうです。
例えば「哀愍納受(あいみんのうじゅ)」という言葉があります。
哀愍を辞書の通りの意味にしますと「悲しみ哀れむこと。ふびんに思うこと。」とありますが、この意味では語弊がうまれそうです。この言葉は仏説無量寿経の中に出てくる「我当哀愍 度脱一切」で阿弥陀様がすべての衆生を救おうという願いの中で出てきたものです。つまり「慈悲の心」ということです。それで「阿弥陀様の慈悲の心より」と訳して、仏様の慈悲であることを示しました。
今から紹介する現代語訳は一般の方にもできるだけわかりやすく伝わるように、本来の言葉を使わずに別の表現で訳している箇所があります。
どのような内容が表白で読み上げられているのか、雰囲気を感じてください。
現代語訳例①【年忌法要の表白】
敬(うやも)うて彌陀願王教主釋迦如来
念仏傳来の諸大師等に白(もう)して言(もう)さく
夫(そ)れ以(おもんみ)れば
南浮人身(なんぶにんじん)の生(しょう)をうけ
稀に西土仏教の査(うきき)に遇い
宗祖親鸞聖人の化導(けどう)に依りて
法蔵因位(ほうぞういんに)の本誓を聞く
歓喜胸に満ち渇仰(かつごう)肝に銘ず
然れば即ち報じても報ずべきは 大悲の仏恩(ぶっとん)
謝しても謝すべきは師長の遺徳なり
本日茲(ここ)に釋○○ 俗名△△の□年忌に當(あた)り
有縁(うえん)の眷属(けんぞく)相集まり 佛事を営み
佛祖報恩のため 大乗の経典を読誦(どくじゅ)し奉(たてまつ)る
請い願わくば 蓮華蔵界(れんげぞうかい)の中(うち)にして
今の講肆(こうし)を照見し 檀林寶座(だんりんほうざ)の上より
斯(こ)の梵筵(ぼんねん)に影向(ようごう)したもうらんことを
時 年 月 日
敬うて白す 哀愍納受(あいみんのうじゅ)したまえ
阿弥陀仏の本願の教えを説かれた釈迦如来、
そしてその教えを伝えてくださった諸々の仏・菩薩・高僧たちに申し上げます。
よくよく考えてみますと、人としての稀なるいのちを頂き、
宗祖親鸞聖人の人生をかけておすすめしてくださったことにより
さらに出遇うのが難しい阿弥陀仏の教えに出遇い、
阿弥陀仏の私たちに向けられた願いを聞くことができたことの喜びに満ち、仏様のこころが私に届いています。
ですので、私を救わずにはいられないという悲しいまでの願いをされた阿弥陀様、そしてその教えの道を示してくださった先人たちの恩徳には感謝してもしきれません。
本日ここで釋○○ 俗名△△の□年忌にあたり、
故人とご縁のあった方々が集まって仏事を行ない、
阿弥陀様のご恩に報いるために全ての人を救ってくださる大乗のお経を読み聞かさせていただきます。
どうか願うところは、阿弥陀仏の浄土世界においてこの法要をご覧になり、蓮華座の上からこの法座に回向してくださいますよう、平成何年何月何日に敬って申し上げます。
阿弥陀様の慈悲の心より、私たちの願いをお受けください。
短く4行で要約
- 弥陀の本願を伝えて下さった方々に申します
- 今ここに私は弥陀仏の教えに出遇いました
- この法要で報恩感謝のお勤めをいたします
- 敬って申し上げます
現代語訳例②【年忌法要の表白】
それおもんみれば
三界(さんがい)は安きことなく 諸行は無常なり
盛んなるものは遂に衰え
生(しょう)あるものは必ず死に帰(き)す
ことに死の縁無量にして 人の命のはかなきことは 夢まぼろしの如し
ここを以って阿彌陀如来は
苦悩の衆生を哀れみて 大悲の本願をおこし
南無阿彌陀佛の名号をあたえて われらを救いたもう
しかれば則(すなわ)ち 遺族とともに有縁の人々
愛別離苦の涙のうちに 人の世の無常を觀(かん)じ
亡き人をしのびつつ 深く佛法に帰依すべし
ここに本日釋○○の□忌に當り
恭(うやうや)しく佛前を荘厳(しょうごん)し
懇(ねんご)ろに浄土妙典を読誦して 廣大の佛恩を謝したてまつる
願わくは 大衆(だいしゅう)もろともに
如来の願力を仰いで 称名念仏怠りなく
当来には安養(あんにょう)浄土に往生して
倶会一処の妙果を證(しょう)せんことを 敬って 白す
よくよく考えてみますと、不安や苦しみなどの迷いの中に生きている私たちは心が安らかになることはなく、諸行無上のいのちです。どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えていき、生きているものはやがて死んでいきます。とりわけ死んでいくことへの縁というのは数限りなくあります。そして人の命というのは空しいもので、非常にはかないものです。
苦悩の中で生き、空しく過ごしている私たちを阿彌陀如来は、大菩提心より大悲の本願を誓い、南無阿弥陀仏のお名号を私たちに与えて、悩みの中に生きている人を救って下さっています。
ですので、遺族の人たちと共にご縁のある方々は、身近な親しい人との悲しい別れを通して、人のいのちのはかないことに思いを巡らし、亡き人を偲んでいく中で、ますます仏法を頂いてください。
本日ここに、釋○○の□年忌にあたり、丁重にご仏前をお飾りさせていただき、心を込めてお浄土の経典を読み聞かさせていただき、阿弥陀様の限りないご恩に感謝させていただきます。
願うことには、この法座に集まった多くの人々とともに阿弥陀仏の本願力をいただき、南無阿弥陀仏のお名号を確かに保ち続け、後に阿弥陀様のお浄土に生まれさせていただき、共に一つのところで出会えることが間違いないことを、敬って申し上げます。
短く4行で要約
- 人の命は儚く、人生は空しいです
- 弥陀はこの私を救う念仏を与えて下さいました
- 故人の法要でご恩にお礼をさせて頂きます
- 敬って申し上げます