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第314回目のラジオ配信。「ご信心・お念仏」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。
浄土真宗では信心のことを「ご信心」、念仏のことを「お念仏」と言ったりします。
どうでしょうか?
変な感じがしますか?
自分の持つ信心や念仏のことを「ご信心」や「お念仏」というなんて、なんておこがましいんだ。傲慢なんだと感じる人もいるかもしれませんね。
今回はなぜ信心や念仏のことを「ご信心」や「お念仏」と言っているのかについて短く話していきます。
信心とはなんなのか?念仏とはなんなのか?といった難しそうな話しはしません。もっと簡単にお話します。
まずはイメージしやすそうな言葉から紹介しますね。
例えば「ご利益」という言葉がありますよね。
皆さん、「ご利益」は好きですよね。
新年には初詣に行き、お賽銭を投げたり、おみくじやお札を買ったりしますよね。
どうしてそんなことをするんですか?それはきっとご利益を手に入れたいからでしょう。
ご利益を自分のものにしたいからと、そういったことをいろいろしているわけなのですが、さあ、ご利益のことを「利益」と言っている人はほとんどいないと思います。
なぜかというと、ご利益とはいただくものだからですね。
利益は自分のやってきた行い・働きによって手に入れたものではなくて、仏様あるいは神様からいただいているという思いが皆さんの中にあって、それで、利益に「ご」をつけて「ご利益」と表現されているんですよね。
ご信心もお念仏もこれと同じことです。
浄土真宗の場合、信心も念仏も自分の力によって、手に入れているものではありません。
これが大事なポイントです。
信心も念仏も仏さま阿弥陀様の働きによって、仏さまの方から私たちに届けられているものです。
だから信心は「ご信心」であり、念仏は「お念仏」なんですね。
浄土真宗の信心や念仏は、自分の力によって、自分の中から湧き上がるようにして手に入れようとするもんじゃありません。
それはなぜかというと、自分が信じてやろうとして得た信心、自分で作った信心であれば、それは自分が信じようとした以上の信心にはならないからです。
分かりやすく言うと、自分で得た信心というのは、時代や周囲の環境が変われば揺らぎ、脆く壊れやすく、「なんで?どうして?」と疑いの心がおきてしまいます
でも浄土真宗の場合はすべて仏さまの方から私の元に届けられてきた信心であるので、私の持つ信心はそれはすなわち仏様からのご信心であるわけです。お念仏も同じことです。
そういうわけで、浄土真宗の人が、ご信心を大切にいただく、お念仏を口にとなえるといったように、自分の持つ信心や念仏にわざわざ「ご信心」や「お念仏」をつけるのは、仏さま阿弥陀様からたまわったものだ・いただいたものだという思いがあるからです。
決して自分のことを偉そぶって、ご信心やお念仏といっているわけではないんですね。
以上で今回のお話を終わります。
また別の機会に信心とはなんなのかをお話しようと思いますが、浄土真宗の信心とは私の信じる心のことをいうわけではないんですね。難しく聞こえるかもしれないので、また別の機会にお話します。
もし私の信じる心が信心であるなら、ご信心というのはおかしな話しですよね。ご信心は仏さまの心であり、私の心のことを言っているわけではありません。

