第73回目のラジオ配信。「負ける・諦める」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
今回は「負けると諦めるの漢字」について雑談します。
2020年の8月に配信した54回目のラジオで、法名・戒名に使われる漢字、使われにくい漢字についてお話ししました。
その中で使われにくい漢字として、
- 現代では使われることのほぼない漢字。読みにくい漢字。意味の分かりにくい漢字
- ネガティブなイメージを与えやすい漢字
- 動物の漢字
といったことを紹介しました。
ただし何事にも例外はあります。
私の寺の100年以上昔の過去帳を見てますと、その時の住職の癖と言いますか、こだわりの漢字・思い入れのある漢字と言うのがちょくちょく出てきます。
参考になる一方で、今の時代では私は使わないかなあという漢字も多々あります。
今回はその中で「負ける」と「諦める」の2つの漢字を紹介します。
まずは「諦める」の漢字から紹介します。
諦めるという漢字は、言に帝(みかど・てい)の組み合わせでなります。
「あきらめる」は訓読みで、音読みでは「たい」や「てい」になります。
現代では一般的に「諦める」といえば、自分の願いごとが叶わずそれへの思いを断ちきるというネガティブな意味で使われますよね。
でも、もともとの意味ではあきらかにするとか、物事の道理をつまびらかにするといった意味があります。
仏教では
- 諦観(たいかん):物事をありのまま明らかに観る
- 諦聴(たいちょう):つまびらかに聞く
のように仏教での真理・悟りを意味しています。
ですので今では、諦めるといえばギブアップする放り出して逃げるといったネガティブな印象を与えますが、仏教ではものごとの道理をわきまえるといったようなポジティブな言葉になります。
私の寺の古い過去帳を見ますと、けっこうこの諦めるという漢字が多く見受けられました。
それこそ私の前の前の前の前の前の前(6代前)の住職は「諦念(たいねん)」と、諦めると念じるの法名が名づけられています。
さて続けて、負けるという漢字についてお話します。
今ではつけることは無いでしょうが、私の寺の古い過去帳にはごくたまに「負ける」が出てきます。
負ける照らす「釋負照」や負ける願う「釋負願」といった形でです。
どうでしょうか?法名・戒名にはネガティブなイメージを与えやすい漢字を使わないものなので、今の時代ではまず使われないでしょうし、私も負けるという漢字を使いません。
でも古い過去帳を見ますと、ごくごくたまに出てくるんですね。
それはどういうわけかと言うと、「負ける・負(ふ)」という漢字には「頼りとする・たのみにする・せおう」といった意味があるからです。
現代では一般的に「負ける」といえば、勝負・戦いに敗れるというネガティブな意味で使われますよね。
他にも金銭や物品を借りて返済する負債や、ケガをする傷を負うの負傷をイメージしますね。他にも重荷になる負担や負荷のように、良いイメージを持ちにくい漢字です。
ですので法名や戒名にも当然使いにくいですし、私は使いません。
ですが、負けるという漢字には「頼りとする・たのみにする・せおう」といった意味もあります。
例えば自負という熟語がありますね。自分の才能・知識・業績など、自らを頼みとして自信と誇りを持つといった意味です。
こんな風に、負けるという漢字には頼みとする・頼りとするという意味があり、浄土真宗ではそのままの私が阿弥陀仏をたよりとして、ナムアミダブツとただ阿弥陀仏のはたらきにおまかせしていく宗旨です。
おそらく昔の円龍寺住職が「負照」や「負願」などと名づけたのは、智慧慈悲の光明を照らしてくださる阿弥陀様を頼りとする、また阿弥陀様からのご信心・願いをそのまま受けていくお任せしていくといった思いが込められているのだと私は思います。
それで言えば、お世話になること・体を預けることを意味する「おんぶ」という言葉は、負けるという漢字を使います。おんぶに負けるの漢字が使われるのも、相手を信頼して頼りとしているからこそではないでしょうか。
また贔屓(贔負・ひいき)という言葉もありますよね。贔負にも負けるという字が使われたりします。贔負の意味は、特別に目をかけて力添えをすることといった意味です。
私たちは負けるの漢字を目にすると、勝ち負け・負けることとネガティブな印象を持つかもしれませんが、負けるには頼りとする・たのみにすると良い意味にも使われますね。
私は法名につけませんが、昔の人は阿弥陀様にお任せいたしますという思いを込めて、負けるという漢字を使ったのだと思います。
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