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第128回目のラジオ配信。「読経中の眠気」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
この番組では香川に住む浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。
3月中頃になり、気温が20度ほどに急上昇し、急に春めいてきましたね。
春眠暁を覚えずではありませんが、風も気持ちよく、ついつい多く寝てしまったり、うつらうつらとボーと過ごしてしまいそうになりそうです。
さて今回のお話のテーマは、読経中の睡眠。つまりお経を読むと眠たくなることについてお話します。
お経というのは不思議なもので、別に春でなくても、どの季節でも、聞いていると眠たくなってしまうものです。
法事とかで、寝たらダメと思っても、だんだんと船をこいで座りながら寝ている人が多いもんです。
これまでも「読経中眠たくなる。どうしたらいいの」といった質問を多くいただいていますので、対策方法などをお話していきます。
さてそれでは色々話したいことはありますが、まずは一番の対策方法から話します。
法事とかでお坊さんがお経を読んでいるとき、眠たくなるなあと、いつも思う人は、前日の夜いつもより多く寝ましょう。
いつもより多く寝る。たったこれだけです。
何か聞きたかったことと違うと思った人も多かったかもしれませんが、あらかじめ夜にたくさん寝ておく。
これが一番効果的な睡眠対策です。
これはお経を読む読経中だけでなく、授業中や会議中、仕事中、運転中すべてのことにあてはまります。
眠たくなってから、あれやこれやと眠気覚ましをしようとするのは、もうすでに手遅れの状態で、何をしたって、睡魔に襲われているので、頭も体もいつもよりぼんやりとしていて、もうダメダメな状態です。
眠たくならないように、前日の夜しっかりと寝ておく。これが一番単純で一番効果的な方法です。
さてそうはいっても、お経を読むときに眠たくなってしまい、だけど法事の最中に、他の人の目もあることだから寝てはいけない居眠りしてはいけないと切実に悩んでいる人もいることでしょう。
それでそういう人は眠気覚ましをするわけなんですが、私の経験上、眠気覚ましはあんまり効果がありません。
体や頭を軽く動かすとか、深呼吸するとか、コーヒーを飲むとか、体の一部をつねってみるとかいろいろあるでしょうが、お坊さんの読経中はあんまり効果がないように感じます。
それはなんでかと言いますと、一度体が眠たいといった睡眠状態になると、小手先の気合の問題で解決する話ではないからです。
体をガーと動かしたりすると眠気が飛ぶかもしれませんが、法事の席ではできませんよね。
実際お坊さんだって一度眠たくなると、会議中でも、読経中でも、寝てしまっているもんです。
ただお坊さんの場合は、頭が寝ていても、お経を読むことに慣れているので、何とか読めることもあるんですね。頭は寝てますけども。
もちろんそうはならないように、普段からお勤めの前にはしっかりと寝ておきますよ。
お経を読む・聞くというのは、眠たくなりがちです。
それはどうしてかと言いますと、ひとつは、お経が何を言っているのか、伝えているのか、よく分からないから。もうひとつは、お経が自分のためじゃなくて、亡くなった人に対してあげているものだと思っているからです。
授業中の睡眠でも同じことが言えますが、難しいお話、何を言っているのか分からない話、文字ばっかりの内容になると、人は眠たくなります。
お経もまさにそれと同じで、1500年ほど前に漢字に訳された文章を、音読みという音の羅列で読んでも聞いても、何を言っているのかちんぷんかんぷんです。
だからお経というのは、聞いても意味が分からないので、眠たくなってしまうのは至極当たり前の事なのです。
それともう一つの理由は、自分のためのお経だとお参りの人が思っていないことです。
お経というのは誰のためかと言いますと、生きている人のため、聞く人に呼びかけられているものです。
亡くなった人に対してではないのに、そう思い込んでいるので、別に私がこの場にいなくていいかあ、別の部屋にいていいかあ、お坊さんがお経を読んでいたらいいかあと、お経を知ろう、お経に興味を持とうと思わないので、そりゃ眠たくなりますよね。
さて、そんなこんなで、読経中眠たくなることについてお話しましたが、一番単純で効果的な方法は、前日の夜にあらかじめしっかり寝るということをお話しました。
続けて、お坊さんの私が読経中に眠たいなあと思ったとき、どうしているのかについて短くお話していきます。
先ほども言いましたように、一度眠たいなあと思えば、小手先のことでは、睡魔が勝ってしまいます。
かといって、読経中なのに、急に外にでて体を大きく動かすわけにもいきません。
そこで私がしているのは3つのことです。
ひとつは、これが、生涯最後の読経だと思うこと
ひとつは、お経を訳しながら読むこと
ひとつは、お釈迦様が説法されているときのことをイメージすること。
私はお経を読むとき、どうしても眠たい時は、この3つをしています。
正直言いますと、毎朝の読経とかは、けっこう惰性でだらだらと読んでいるときがあります。
しかしお経というのは、私のために向けられた、仏様からの説法なのですから、本当は、一字一字を大切に読まなければなりません。
ですから私の場合は、この読経が、私のこの生涯で最後の読経になるかもしれないとの思いで読んでいます。
これがひとつめ。
二つ目は、お経を頭の中で訳しながら読んでいます。
もしかすると、お経には意味・内容がないと思われる人もいるかもしれませんが、もともとお経は、約2500年前のお釈迦さまがお話になったことを弟子たちが後世になってから書き残したものなので、お経には内容があります。
今までに何百何千と、何度も何度も読んでいるお経ですが、訳しながら何を仏様は伝えているのだろうかと、考えながらお経を読みますと、意外と眠気が吹っとびます。
最後3つ目の方法は、お経が説法されていた時の様子をイメージしています。
繰り返しますが、お経はかつてお釈迦様がお話になったことが元になっています。
仏説無量寿経では阿難、観無量寿経では韋提希、阿弥陀経では舎利弗に対して、お話をしています。
またそれに対して、たくさんの生き物や人がお話を聞いています。
お経文はたくさんありますが、多くは、我聞如是や如是我聞といったように、私たちはこのように聞きました。お釈迦様がこの場所にいて、人数や、こんな方々が一緒にお話を聞いていましたよと、冒頭に書かれています。
阿弥陀経で言えば、長老舍利弗 摩訶目犍連 摩訶迦葉 摩訶迦旃延 摩訶倶絺羅 離婆多といったように偉いお坊さん達の名前が連なっています。
私も30年以上生きてきたんですが、お経の冒頭のここら辺は、かるく流して読んでいましたが、最近はここがすっごくありがたい場所だなあと感じるようになりました。
というのも、今から2500年ほど前にお釈迦様の説法を聞いた人たちと、同じくお話を聞くことができるからです。
私がお経を読むときどうしても眠たいなあと思ったら、如是我聞 一時佛と、私の目の前に向きあうように、お釈迦様や阿弥陀様がいて、私の周りに、舎利弗や目連といったお坊さんが一緒にお話を聞いているようなイメージで読んでいます。
お経の冒頭は、いわば私にとってタイムマシンのようなもので、仏様を前にして一緒にお話を聞くと、このお経を大切に聞かないとなあと思うようになります。
以上3つが、私のどうしてもお経を読むときに眠たくなるとする対処方法です。
基本は、「あらかじめ夜にたくさん寝ておく」というのが重要な対策ですので、法事に参加する時とかお寺の法要に参加するときとかは、よく体を休めておきましょうね。
以上で2022年3月15日のお話を終えます。
かっけいの円龍ラジオは、ポッドキャストでも配信していますので、「レビュー・評価・登録」してくれたら嬉しいです。
来週もまた聞いてくださいな。
最後に余談ですが、浄土真宗では木魚を使わないんですよね。
木魚というのは、木で作られた魚の形をした鳴り物のことで、魚は眼を開けて泳ぐと信じられたことから、音を鳴らし続けて、眠らずにお経を読む、念仏をとなえるという役割があるそうです。
しかし浄土真宗では、木魚を使いません。
というのも浄土真宗はお経を長くずっと読むとか、読まなきゃダメとか、そんなことを強制している訳じゃないからですね。
お経は仏様からのご説法です。お釈迦様・阿弥陀様が私たちに何を願われているのか、伝えられているのかを聞いていくことが大事なのですから、眠たいのをおして、寝たらダメだと体をいためつけるもんではないですよね。
眠いのにお経を読むのではなく、むしろお経を読むときに眠くならないように、体を整えて臨む方が健全ではないでしょうか。
それこそ鎌倉時代の吉田兼好が書いたとされる徒然草には、浄土宗の宗祖法然上人のエピソードに次の内容があります。
「お念仏を口にしているときに眠たくなったらどうしたらいいでしょうか」
これに対して法然は、「目が覚めたらお念仏をしたらいいよ」と答えています。
眠たいのを我慢して、無理に何とか起きて読経念仏するよりは、休んで目を覚ましてから読経念仏しなさいという、当たり前のことを法然さんは言っています。
しかしこの当たり前のことなんですけども、寝たらダメみたいな、雰囲気になっているのは不思議なもんです。
眠いけどお経を読むのではなく、お経を読むときに眠くならないように心がけましょうね。
だから前日の夜ははやくしっかりと寝ましょう。
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