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第313回目のラジオ配信。「何の罪もない人」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいるお坊さん、私かっけいの音声配信です。
今回は、仏教とは関係のないお話をします。
ニュースを見ると毎日のように、交通事故であったり、火事であったり、詐欺、殺人などの事件事故を耳にしますよね。
そういった事件事故のニュースでは、「何の罪もない人たち」が巻き込まれた、「何の罪もない人」の命が奪われたといった表現を聞きます。
「何の罪もない」って、不思議な表現に聞こえてきませんか?
私はどこか不思議な表現に思えるんですね。
理由は二つあります。
一つは、何らかの罪があれば、事件事故に巻き込まれていいのか、命や財産、大切な物を奪われてもいいのかという点です。
罪のあるなしで、その人に危害が加えられていいはずがないでしょう。
そうであるなら、わざわざ罪の有無を表現している、「何の罪もない人」とニュースで言いまわす必要がないと思うわけです。
二つ目の理由は、「何の罪もない人」って本当にいるのかなあという点です。
今回は仏教的なお話をしないので、仏教からみた罪の話をしませんが、たとえ仏教・宗教を抜きにしても、何の罪もない人というのはいるのでしょうか?
法律を犯してしまう罪もありますよね。
身近なことで言えば、スピード違反や一時不停止などですね。ちょっとくらいの違反なら見逃してもらっていますが、ほとんどの人が犯していますよね。
道徳・倫理的な罪をしてしまうことだってありますよね。
例えば、嘘をついたり、いじめをしたりすることです。
助けを求めているのを無視する助けない罪というのだってありますよね。
そういうことを思えば、はたして、何の罪もない人々なんているんでしょうかね。
おそらくそんな人はいないでしょうから、なおのこと「何の罪もない人々」という表現が気になってしまうんだと思います。
そんなわけで、交通事故、火事、詐欺、殺人などの事件事故のニュースで耳にする「何の罪のない人々」という言い回しが気になってくるわけです。
さて、どうしてこんな不思議な言い方をするんでしょうかね。
例えば、「何の非もない人」、「何の落ち度もない人」、「当事者ではない人」という言い方の方がすっきりした表現だと私は思います。
こちらの言葉の方が、この事件事故に関しては、直接的に関わっていない理不尽な人たちなんだと伝わりやすいのではないかと思います。
少なくとも「何の罪もない人」よりかはましな言い方ではないでしょうか。
ところで、なぜ「何の罪もない人」という言葉がお決まりのフレーズのように使われているのでしょうかね。
きっと「無辜の民」という表現がそのまま使われているからだと推測します。
無辜の辜はあまり使われない難しい漢字で、はりつけとか、刺青をいれる針が漢字の成り立ちであるようで、そこから罪という意味があてられています。
無辜の民は2000年以上昔の中国で使われていた言葉で、国同士の争いがあって、それで命が脅かされている罪なき人々、苦しめられている人々のことを言います。
大きな力を持つ存在から巻き込まれるようにして苦しみを受ける人たちのことを「無辜の民」という表現が使われていて、その「無辜の民」をそのまま日本語に置き換えたのが、「何の罪もない人」だと私は思うわけです。
だからお決まりのように「何の罪もない人」というフレーズが使われているんでしょうが、やっぱり「何の非もない人」、「何の落ち度もない人」の表現の方が理不尽にもひどい目にあわされたことをより感じられるので、こっちの方が適切な言葉だと私は思ってきます。
皆さんはどうですか?
交通事故や火事などの事件事故、また戦争などでよく耳にする「何の罪もない」という表現に違和感を覚えませんか?
私には違和感があるので、もっと他の表現に変えていけばいいのになあと思います。
私の感じ方がおかしいだけでしょうか。

