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第131回目のラジオ配信。「桜」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
この番組では香川に住む浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。
今回の音声は2022年4月5日に配信予定です。
さあ、今回はどんなお話をしようかなあとここ数週間いろいろ考えていたところ、つい数日前にお参りした家で、4月4日はどら焼きの日ということで、お茶菓子にどら焼きが出てきました。
へえ~4月4日はどら焼きの日なんだと思いながら、頂戴いたしまして、帰って調べてみますと、鳥取県にある丸京製菓という会社がどら焼きの日を作って、2008年に日本記念日協会によって認定されたそうです。
4月4日の理由は、4と4の数字のしを合わせて、「しあわせ」という語呂と、3月3日の桃の節句と、5月5日の端午の節句の間ということで、女の子にも男の子にも愛される食べ物という事らしいです。
どら焼きを食べながら、今回はお寺の鳴り物、銅鑼についてお話しようかなあと思ったりもしたんですが、せっかく桜の花の季節ですから、桜について、とりとめもないことをいくつかお話していきます。
さて春と言えば桜ですね。
桜もいろんな種類がありますが、やっぱり一番有名で、皆さんが待ち焦がれているのは、3月下旬から咲き始める「ソメイヨシノ」ではないでしょうか。
桜の品種数は、300とも500とも600以上もあるとされていますが、日本にある桜の8割はソメイヨシノともされるので、やっぱりソメイヨシノは別格なんでしょう。
この3月末から4月頭にかけて、ご門信徒の家にお参りに行きますと、仏壇にお供えする仏花や、玄関の生け花に、桜が美しく飾られています。
仏花と言えば、キクやユリやカーネーションとかをイメージされる人も多いでしょうが、季節のお花をお供えするのももちろんいいことです。
この桜の時期になると、庭に植えられている桜から枝をとり、仏様にお供えされる景色もよく見られ、仏前の仏花の桜を見ると、春の温かさもあいまって、春らしいなあと感じます。
実は、私と桜はいくつかご縁があります。
ひとつは私はお坊さんではあるんですが、仏教系の大学ではなく、地元の香川大学の農学部に行きました。そこで何をしたかと言うと、果物の果樹学の研究室に入って、桜桃もちょこっと調べました。
桜桃というのは、簡単に言うと、サクランボのことです。桜桃は、桜と桃という漢字で、そのまんま桜の木のことです。
私の住んでいる香川県は温暖な地域でして、皆さんが一般にイメージするような生で食べる甘いサクランボ・甘果桜桃は寒い東北地方で栽培される果物で、香川県では作ることがとっても難しいです。
香川で作られるのは、中国が原産の暖地桜桃・中国桜桃や、ヨーロッパが原産の酸果桜桃の2種類で、甘みはあまりなく、ジャムといった加工用に使われるサクランボです。
で私は短い間でしたけども、暖地桜桃・中国桜桃・酸果桜桃について実際に観察して、いろいろデータをとりました。
そのおかげもあって、桜の木をみたら、一目で「ああこれは桜だなあ」と分かるぐらいにはなりました。
これが一つ目のご縁です。
二つ目のご縁は私の住んでいる場所です。
私のいる寺、円龍寺は香川県の丸亀市と多度津町の境にあります。
多度津町は今でこそ人口が減少したりと廃れてきていますが、古くから海上交通の要所となっている場所です。近代でも電車の重要な場所で、四国で一番最初に鉄道・蒸気機関車が走ったのも多度津の町です。
そんな多度津の町のシンボルとなっている花と木はどちらも「サクラ」です。
香川の人も意外と知らないかもしれませんが、多度津町は、木も花もどちらも桜をシンボルにしています。
ですから町内には「桜と文化の町」という看板があったりします。
それで多度津町には桃陵公園という桜の名所があって、瀬戸内海を眺めながら、1500本以上のソメイヨシノがこの3月末から4月にかけてきれいに咲きます。
またこの桃陵公園からは最近、新種の桜が発見されて、つい先日、「桃陵八重桜」という名前に決まりました。
私の住む近くの多度津は、桜の町ということで、桜とご縁があります。
ちなみに桃陵公園は「たどつさくらまつり」がありますが、丸亀も丸亀城のお城にある約700本のサクラをライトアップする「丸亀城さくらまつり」があります。
丸亀と言えば「桃」が代表的な果物で、さくらも桃もどちらも同じバラ科で、花の雰囲気が似ていますし、花が咲く時期も似ています。
そんなわけで、丸亀・多度津に住む私は、サクラとご縁があるというわけです。
さいご、3つ目は明正寺桜・涅槃桜についてです。
サクラには寺の名称がついているものも少なくありません。
それで私の寺、円龍寺には、一般に涅槃桜といわれるサクラが植わっています。
正式な品種名は「明正寺桜」で、愛媛県の新居浜市にある真言宗のお寺・明正寺で50年以上昔に発見された桜です。
その後明正寺桜は、香川県にある真言宗善通寺派の総本山善通寺に寄贈されて、今は、お釈迦様が亡くなられた旧暦2月15日頃のお涅槃に咲く花として、善通寺では涅槃桜の名称で有名なサクラとなっています。
それで実は円龍寺にも、明正寺桜・涅槃桜が植わっています。善通寺とは別のご縁で、昔NHKで植物を教えていた仲南町に住んでいる人が、円龍寺にどうですかと、わざわざ自分の庭から抜いて、寄贈して下さいました。
これが桜との不思議なめぐりあわせのご縁です。
そんな風に桜といろんなご縁のある私の寺ですが、浄土真宗で一番有名な桜といえば、「あだ桜」ではないでしょうか。
浄土真宗の宗祖親鸞が9歳で、仏教の道に入る時にうたわれた歌に「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」というものがあります。
とりとめもない桜のお話の最後は「あだ桜」について雑談します。
さて、あだ桜と簡単に言っていますが、あだ桜ってなんなんですかね。
語感の響きの良さで、すんなりあだ桜と言っていますが、あだ桜ってそんな言葉あるんでしょうか。
それこそ、講談の「卍巴と降る雪」のように、なんとなしに「あだ桜」と耳を通り過ぎているのではないでしょうか。
おそらく、あだ桜は「あだとなる桜」ということを言いたくて、はかなく無駄になる桜を表しているのだと思います。
しかし気になることに、浄土真宗の寺・僧侶のウェブサイトなどを見ますと、どういうわけか、あだ桜を、人偏に数字の九の仇で表記していることがけっこうあります。あるいは平仮名で。
人偏に数字の九の仇には、はかないや無駄と言った意味はなく、かたきや恨みや害となるものといった意味しかありません。
親鸞の歌で紹介される仇桜の表記は、平仮名もしくは、仇討ちやかたきを意味する漢字で表記されています。
しかしむなしいはかないを言いたいのであれば、行人偏に走るという漢字を使わないといけないんじゃないかなあと私は思います。
行人偏に走るという漢字は、訓読みだと「あだに」とか、「いたずらに」とか、「むだに」と読みます。
音読みの場合は、「と」と読んで、徒競走の徒や生徒の徒の熟語になったりします。
また日本国語大辞典で「あだ桜」を調べてみますと、こちらの行人偏に走るの漢字の徒桜だけ、紹介されています。
意味は、はかなく散る桜。また、はかないもののたとえ。とのことです。
浄土真宗の人にとって、親鸞聖人の和歌、「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」は、明日もきっと桜は咲いているだろうと思っていると、夜中に嵐が吹いて散ってしまうかもしれない、つまり明日でいい、明日にしようとの思いを持つと、大切な機会を失うかもしれないということを伝える戒めの歌です。
しかし仇桜を響きだけで「あだなる桜」、つまり「はかない桜の命」をイメージするのではなくて、漢字を見ますと、仇を意味する人偏と九の文字ではなくて、いたずらにやむだにを意味する行人偏と走るの文字で表記しないと意味が正しく伝わらないんじゃないかなあと私は思うところです。
ちなみに真宗教団連合や、本願寺派や大谷派の本山のウェブサイトを見ますと、あだ桜のあだは平仮名表記です。
一方で、築地本願寺や本願寺派の公式SNSを見ますと、仇桜を人偏に九の仇桜で紹介していることもあります。
結局この仇桜は、なんなのかと、春が来るともやもやする私です。私は仇討ちの仇だと意味が通じないので、行人偏に走るの徒桜がピッタリの意味でただしいものだと思えます。
さてこれで4月5日のとりとめもない桜の話をしましたかっけいのラジオは終了します。
どうぞまた来週も聞いてくれたら嬉しいです。
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