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第234回目のラジオ配信。「金倉」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市金倉町にいるお坊さん、私かっけいの音声配信です。
今回は金倉という名前についてのお話です。
私のいるお寺円龍寺は、香川県丸亀市金倉町にあります。それで私の苗字は金倉といいます。
金倉の金は「金具の金」、「金曜日の金」、「お金の金」の字で、倉は「倉庫の倉」の字です。
どっちも簡単な漢字ですよね。
金倉という名前は全国でもそう多くはない、おそらく珍しい方の名前だと思います。
珍しい名前だと思う一方で、香川では最近よく目にするようにもなってきました。
例えば、家族葬のカナクラというのが、最近よく目立つようになってきました。
TVCMやユーチューブ広告でも最近すごくよく見てますし、高松市の街中を車で走っていたら、家族葬のカナクラと書かれた看板をよく目にするようになりました。
新聞広告もつい先日入っていました。
また同じく高松にはお仏壇のカナクラというのもあったりします。
私のところは、丸亀市の金倉という土地に住んでいて、苗字も金倉です。それでいて、お寺なので、ひょっとして円龍寺は、葬祭業やお仏壇業もしているんじゃないかと誤解されていたらと思ったりもしています。
実際は、私のとこの丸亀市金倉町の金倉家とはまったく関係がありません。
今回は金倉という名前についての簡単なお話をしていきます。
まず最初に、私のいるところの丸亀の金倉という地名についてお話しますね。
ここの土地に金倉という名前がついたのは1000年以上昔の醍醐天皇が名づけたと伝わります。
この地域は香川県でもっとも大きいため池の満濃池から流れる川があるだけでなく、地下水も豊富に流れています。そのため昔から穀物がたくさん作られる場所でした。
優れた耕作地であり、穀物を入れる倉があり、それでお金になっていた。そういったわけで、この地域は金倉という荘園地になったわけです。
その後、この地に私の先祖がやってきて、金倉というお侍となってこの金倉の地を治めて、それから侍からお坊さんとなり今の円龍寺を開きました。
私のお寺は金倉という姓を名のっていますが、この丸亀市金倉町由来で、この地を治めていた金倉家に関する金倉さんは、全国で10人ほどしか私のとこは把握していないです。
他の金倉さんは、丸亀市金倉町の金倉家とは関係のない金倉さんです。
それとちょっと余談で、丸亀市金倉町の南には善通寺市があって、金蔵寺町と金倉寺というお寺があります。金蔵寺町も金倉寺も漢字と呼び方もちょっと違っていますが、どちらも、今から1000年以上前に醍醐天皇によって名づけられた金倉という土地の名前が由来になっています。
さて続けては、香川県高松市にいる金倉という苗字についてです。
この高松にいる金倉さんは元々鎗屋、鎗を扱っていたそうです。その方たちが明治になって名前を名乗る時に、高松にあるお寺、金乗寺に相談し、鎗という漢字を分けて、金倉と名のるようになったらしいです。
繰り返しになりますが、丸亀市金倉町の私のとこの金倉家とは、関係のない金倉さんです。
続いて最後は、大阪にいる人のことです。
これは私も聞いた話なので、話し半分で聞いていただきたいのですが、大阪にいる人たちは「かなくら」ではなく、「かねくら」という名前らしいです。
語源辞典というのを見ますと、大阪にいるかねくらさんは、朝鮮や韓国系の人らしく、戦後日本の名前を名のるとき、金という字に倉をつけたようです。
そういうわけで私の中では、金倉を「かなくら」ではなく、「かねくら」と読む人はひょっとしたら、朝鮮や韓国に関する人なのかなあと思ったりします。
以上で、今回は金倉の名前について簡単にお話してみました。
私のとこの、丸亀市金倉の円龍寺のいわれについての詳しい話は、196回目の配信で紹介しているので、そちらも聞いていただけたらと思います。
高松には家族葬やお仏壇のカナクラがありますが、私のとこの金倉とは全く関係ありませんので。
そもそも家族葬のカナクラは東京に本社がある「金宝堂」の家族葬ブランドですからね。それで金宝堂の社長は仲村さんという人ですから、私のとこの金倉とは全く関係ありません。
それと、丸亀や善通寺方面には、かなくらの名前がついたラーメン屋さんや焼き鳥屋や宿泊所があったりしますが、どれも私のお寺とは関係ありませんので。
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