Podcast: Play in new window | Download
第132回目のラジオ配信。「寺と椅子」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
この番組では香川にある円龍寺のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。お彼岸前後の3月4月は各お寺で、いろんな春の法要が営まれています。
寺での法要で当たり前にみられる様になった光景に「椅子」があります。おそらく今では参拝者のための椅子が用意されていない寺の方が少数だと思います。
椅子があると楽にお参りできるというメリットがありますが、一方で椅子のデメリットもあります。
私はデメリットの面も鑑みて、なんでもかんでも法事・法要ですべて椅子席にしてしまうのは反対の立場です。
今回はそんな「寺と椅子」の良い点・悪い点について雑談していきます。
さて、まずは椅子があることのメリットからお話します。メリットは誰もが分かるように、楽にお参りできることです。
足腰の弱ったご年配の場合、畳・座布団に座るのはとっても辛いものです。でも椅子があると、座るのもまた立ち上がるのも、いくぶん楽になります。
また正座椅子が、流行った時期もありましたよね。
正座椅子は正座の姿勢をしながら、足を痺れにくくする道具のことです。椅子に座れば、足が痺れるのもいくぶん解消されます。
そんな風に畳に座るのが難しい人、足が痺れやすい人にとって、椅子は本当にありがたい道具です。
ですので、時間の長いお寺の法要では、楽にお参りしていただくために、椅子を用意している寺が多くなりました。
私も無理して仏様参りしてほしくはないので、足腰の悪い方のために椅子を用意することは賛成です。
ちなみに子どもの頃に私が記憶している、昔のお年寄りたちは、お参りの最中はふだんは足を崩したり、投げ出したりして寺の本堂で座布団に座ってました。
でも合掌礼拝と敬う姿勢のときには、正座に座り直していたものです。
さて、続けて椅子のデメリットについてです。
いろんなデメリットがありますが、初めて導入する時はお金の面のことがありますね。
最近はゲーミングチェアやオフィスチェアのように数万円もする椅子も当たり前のようにありますが、お寺用の椅子というのも不思議なほど高いです。
寺で使う椅子の数は多く、30脚50脚と用意すれば、30万50万と必要になります。
寺院用の椅子にもピンからキリまでいろいろあるのでしょうが、まとまった数の椅子を用意するであろう寺からすれば、椅子を新しく用意するのはかなり大変なものです。
円龍寺でも今では100脚以上の椅子が用意されていますが、一度にそろえたのではなくて、少しずつ少しずつそろえてきました。
寺にとって椅子を用意するのは、金銭面でけっこう大変なものです。
これが一点目です。
2つ目は、お参りの人の気持ちがだらけることです。
多くの人が誤解されているかもしれませんが、正座は正しい座り方のことを言っているわけではありません。
正座とは、乱れている気持ちを正して座ることです。つまり仏事で言えば、背筋を伸ばして、仏様の方をまっすぐ見て、合掌礼拝するということです。
椅子に座っていても、正して座る正座はできます。
しかしできるんですけども、実際には正して座っている人は椅子では少ないように、私は見えます。
背もたれがあることをいいことに、ふんぞり返っていたり、足が痺れないことをいいことに、足を組んだりしていたり、手持無沙汰なのか、腕組みをしたりうつむいてスマホをしたりとか、到底仏様参りしているようには私には見えません。
また合掌礼拝しないといけない時でも、椅子に座っている人にとって楽な姿勢である、ふんぞり返ったり、足組したり、腕組みをしたままの人もいます。
そういうわけで、椅子は楽ではあるんですけども、仏様にお参りする場である寺では、よろしくない点があるんですね。
畳・座布団に座るのは、ワンクッションある動作ではあるんですが、そのワンクッションがあることで、仏様に参る場にひとつのメリハリが生じるんだと私は思います。
椅子は楽に座ることができるがために、気持ちがだらけてしまい、長時間の仏様参りには、あまりよろしくない気持ちの作用がはたらくと私は思います。
これが二点目です。
三点目はお参りの人数が減ることです。
椅子のデメリットは場所を取ることが挙げられます。
座布団が当たり前だったころは、畳ひとつで3人から4人ほどの人が座ることができました。
しかし椅子席になりますと、畳ひとつで、椅子を2つほどしか設置できず、座布団の時と比べて、お参りの人数が減ってしまいます。また跨いでよけて歩くことができる座布団と違って、椅子は人が通る用の動線も別に設けないといけないので、お参りの人が座る場所もさらに減ってしまいます。
また椅子にすることで、単純に座る場所が減るだけでなく、心理的にも法要に参加しにくくなります。
というのも座布団の場合は、お互いが譲りあって座るので、見た目以上に大勢の人がお参りすることができます。
しかし間隔をもって整然と並んでいる椅子になりますと、椅子をずらしてまで座る人はいないですし、椅子の数はお参りの人が増やしたりできるものではないので、場所を譲り合うこともできません。
座布団だった時代の円龍寺では、本堂に100人もの人が思い思いの位置で座ることができましたが、椅子になりましたら、整然と並んだ椅子50脚になりました。
寺の本堂にお参りできる人数は、かつては何十人から何十人と、おおよその収容人数という表現をしてましたが、椅子が当たり前になった今は定員何十人と、お参りできる数は椅子の数みたいな定まった人数という感じになっています。
コロナ禍一年目の円龍寺の法要では、新型コロナウイルス感染予防のために、椅子同士を前後左右斜めに2mの間隔をとり、椅子席の数を24脚だけ用意しました。
するとお参りに来られた方からは、椅子が無いから帰ります、と直接声をかけられたので、急いで本堂の外側・縁に椅子を置いて法要に参加していただきました。
そんな苦い経験もあるので、椅子というのは、お参りの人数が減るという一因になると私は思います。
空いている椅子が無くなったり減ると、じゃあ帰りますという雰囲気になるんだと思います。
さいご四点目は安全面のことです。
この話は住職が京都で勤めていた時に、消防からアドバイスいただいた内容です。
法要で椅子を並べている寺を見ますと、お堂の中、中央だけ通路・動線を設けていて、お堂全体に所狭しと堂内一杯いっぱいに椅子を置かれていたりするケースがあります。
少しでも多くの人にお参りいただきたいので、場所一杯に椅子を並べたくはなるんですが、消防の方曰く、これは駄目だということらしいです。
例えば、地震や火災が起きたとき、「我先にと」出口に殺到する人たちがいます。
しかし椅子というのは避難時の障害になり、出入り口に椅子が並んでいると、人と椅子が絡まりあって、押されたり転んだり詰まったり大けがをしたりと、さらなる被害を生む可能性があります。
そういった災害時の非常時に備えるために、椅子というのはお堂全体に並べるのはよろしくなく、お堂の内側に寄せるように心がけて、お堂の出入り口付近は逃げやすいように余裕をもって置かなければなりません。
地域の条例等によって、確保する長さは違うでしょうが、だいたい60㎝から80㎝ほど、つまり椅子一個分はお堂の出入口まわり、外陣の周囲に椅子を設置しないように心がける必要があります。
円龍寺でも椅子を並べる時は、非常時の逃げ道をふさがないように、外陣の一番端っこ、出口周り一周には椅子一つ分のスペースを確保するようにしています。
座布団の時には気にならなかった防災上の注意点が、椅子の場合には必要になってきます。
椅子のデメリットとは言い過ぎなところですが、案外、もしもの時を考えて椅子を並べている寺が少ないように感じたので、今回はデメリットとしてお話しました。
他にもこまごま、椅子のデメリットはありますが、今回は大きく4点を紹介しました。
かっけいのラジオはここで終了します。来週もまた聞いてくださいな。
ポッドキャストでも配信していますので、iTunesなどのアプリで「レビュー・評価・登録」してくれたら嬉しいです。
2022年4月12日は寺と椅子についての雑談をしました。
椅子は楽にお参りできるというメリットはあるんですが、仏様に向かって姿勢を正し、手を合わす場である寺では、デメリットにもなりうることをお話しました。
私は足腰が悪く椅子に座らないとお参りできない人は、積極的に椅子を利用してほしいですし、そうでない方、例えばお若い方たちは、畳・座布団といった形で仏様参りしてほしいなあと思います。
ただそうは言っても、時代の流れというのもあり、寺を全面椅子にするのもやむを得ないものとなるでしょうし、そう遠くない将来は、横になった、寝たままの姿勢で仏様参りするようになっていくんだと思います。
「円龍寺かっけいラジオ」では、番組へのメッセージを募集しています。ご感想や取りあげてほしいテーマなどもお寄せ下さい。