お坊さんが法事の最後に横を向く理由.ラジオ#101

第101回目のラジオ配信。「浄土真宗ではおつとめの最後に、なぜお坊さんが横を向くのか」についてお話します。(BGM:音楽素材MusMus)

ラジオテーマ「おつとめの最後」の内容まとめ
  • 浄土真宗の法事は長い
  • 読経の後に、お話の時間もある
  • なぜ真後ろでなく、仏壇からみて横向きになるのか
  • 蓮如上人のお手紙「御文・御文章・御勧章」を読む
  • 拝読するお坊さんも拝聴者であるから

かっけいの円龍寺ラジオ

この番組では香川に住む浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。

今回は「浄土真宗ではおつとめの最後に、どうしてお坊さんが横を向くのか」をテーマにお話します。

地域や宗派によって違うでしょうが、私のところでは、浄土真宗の法事は長いらしいです。

最低でも一時間。二人以上でお参りすると、2時間近く法事のおつとめの時間をいただくことになります。

都会の方だと長くて一時間で終わるそうなのですが、

地方の浄土真宗の法事は、時間が長いのか、「早く終わらないかな~」って思っている人も多いんじゃないんでしょうか?私の想像ですけど。

実際、お坊さんがお鈴をならすたびに、幼稚園くらいのお子さんでしょうか、「もう終わったー?」「まだ終わらないの」って大きな声が聞こえてきます。

子どもってけっこう感覚鋭いですよね。

そろそろ式が終わりそうだなっていうのが、なんとなくわかるんでしょう。

読む速度の緩急とか、お鈴の鳴らし方で、終わりそうっていうのが、感じられるんでしょう。

でも法事っていうのは、読経だけでは終わらないので、小さなお子さんは、がっかりと言いますか、退屈そうな態度になってしまいます。

浄土真宗の法事の最後には、お話の時間というのがあります。

お坊さんが座り直して、仏壇の横向き・やや後ろ向きになって、仏さまのお話をする法話の時間があります。

私の寺では、だいたい10分をめどにお話しています。

さあ、10分間のお坊さんのお話が終わって、もう法事のお勤めは終わったなあって、子どもたちはホッとした様子なんですが、まだ終わらないんですね。

ここからさらに横向きの状態で、仏壇に置かれている箱から読み物を取り出して、読みます。

2分くらいでしょうか。この短い読み物を読んで、お坊さんがお仏壇に向きなおして、合掌礼拝「ナムアミダブツ」とお念仏をとなえますと、法事のお勤めの時間は終わりです。

地方の浄土真宗のおつとめって長いんですよね。それでもう終わったかな~って思っても、横を向いてお話したりとなかなか終わらないんですよね。

さて、浄土真宗のお坊さんは、なぜお経を読み終えた後で、わざわざ横を向くんでしょうか。

他宗派のお坊さんの作法は知らないのですが、浄土真宗お坊さんがおつとめの最後に、どうして横向き・やや後ろ向きに座り直して、ご法話して、読み物を読むのが疑問に感じる人もいます。

法事の最後に、お坊さんが皆さまの方に向いてお話するのは、なんとなく理解できますよね。

法事というのは、仏様を讃えたり、仏様の教えが書かれたお経を読むだけではなく、お参りの方々に仏様の教えがどんなものなのか、というのを簡単に雑談のような感じで話したりするんですね。

お経を聞くだけでは、仏様の教えはわからないので、お坊さんがおつとめの最後に、皆さまの方に向いて、かみ砕いてその場に応じた話をします。

それに加えて、浄土真宗のお坊さんはさらに読み物を読みます。

何を読んでいるのかといいますと、本願寺の蓮如とよばれるお坊さんが書いたお手紙です。室町時代の人です。

私の宗派では人に勧めるお手紙ということで、「御勧章」と表現してますが、東本願寺の大谷派だと「御文(おふみ)」や西本願寺の本願寺派だと「御文章(ごぶんしょう)」で定着しているそうです。

これを法事の最後に、本願寺の蓮如上人からのご法話と受けとめて、読み聞かさせていただいているのです。

今から500年以上昔のお手紙ですが、浄土真宗の肝心かなめの教えを当時の言葉で、わかりやすく書かれたものです。それが、時代や場所を超えて、現代でも、読経の最後に読まれています。

それで浄土真宗のお坊さんが仏壇の横を向いて、お手紙を拝読するのは、お坊さんもまた蓮如上人からのご法話を聞きいただいているからです。

拝読するお坊さんは、蓮如上人の法話を仲立ちしているだけであって、お坊さんもまた拝聴者です。

お参りの人だけが聞くのではなく、読む人もまた聞いている立場です。

これがお坊さんが横向きになる理由です。

本山とかの大きなお寺に行きますと、何人ものお坊さんが読経しますよね。で読経の後、お手紙を読むお坊さん以外ははけるんですが、お堂の外に出るわけではありません。

お堂の隅っこに移動して、お参りの方と同じように、お手紙の言葉を頭を下げて聞きます。

お経を読むこと、仏さまを讃えることも大事でしょうが、浄土真宗ではさらに、蓮如上人の書かれた大切な浄土真宗の肝心かなめの法話も、お坊さんもお参りの人も同じように聞きいただきます。

これは法事だけでなく、

例えば祥月命日のおつとめや、お通夜や葬儀といった場面でも読みます。

もちろんお坊さんだけの読み物ではありません。

皆さまも毎日の仏壇のお参りのさいに、蓮如上人からのご法話として、自分の口で読んでいただいてOKです。

いや、むしろ、ぜひ読んでみてくださいませ。

蓮如聖人の書かれたお手紙は200通以上残っていますが、そのうちの80通を選び、まとめられています。

正式には80通は5つの折本(おりほん)に分けて5帖からなっていますが、たいていの家庭のお仏壇には簡易版として、さらに絞って20通ほどのお手紙を一冊にまとめたものを置いていると思います。

祥月参りとかに来たお坊さんは、後ろに参っている人が一人でも、また誰もいなくても、蓮如上人からのご法話として、横を向いて拝読します。

皆さまも、たとえ一人でお参りしたとしても、蓮如上人からのご法話と受けとめて、私の口で言ってはいるんだけれども、蓮如上人が時代や場所をこえて、今の私に伝えているんだといただいて、読み聞かせていただきます。

たとえ誰もお参りがいなくても、お仏壇にお参りしましたら、ぜひお手紙を読んでくださいませ。

2021年8月24日の今回は浄土真宗のお坊さんが、読経の最後に、なぜ仏壇の横を向くのかについてお話しました。理由は、お参りの方々と一緒に、本願寺蓮如上人からのご法話を聞かせていただいているからです。

かっけいの円龍ラジオは、ポッドキャストでも配信していますので、「レビュー・評価・登録」してくれたら嬉しいです。

来週もまた聞いてくださいな。

ちなみにですが、すべての浄土真宗のお坊さんが、おつとめの最後に、横を向いて蓮如上人のお手紙を読むわけではありません。

蓮如上人と関わりのあった浄土真宗宗派で読まれています。

蓮如は本願寺の8代目の門主で、西本願寺の本願寺派や東本願寺の大谷派で主に読まれています。本願寺派と大谷派で、全国の浄土真宗の寺数の9割を占めているので、おそらくだいたいの人は、浄土真宗では、お坊さんが読経の最後に横を向いて何か読むんだなあ。

仏壇を買うときには、あの読み物の入った箱を買うんだなあと思っていることだと思います。

ちなみに私のところの真宗興正派も、蓮如のお手紙を最後に拝読するならわしになっています。

読まない浄土真宗宗派もあることにご注意くださいませ。

それとよく質問に、どれを読めばいいのですかと、聞かれます。

どれを読んでいただいてもOKです。

お手紙の内容的に、これはこの場面に読んだ方がいいというのもありますが、あまり気にせず、好きなページを読んでいただいてOKです。

有名なものは、末代無知章・信心獲得章・聖人一流章・白骨の章の4つです。おそらくご門信徒用のお経本の後ろのページに載っていると思われます。

2020年3月31日の番外編4で、私の読んだ白骨の章とその現代語訳を配信してますので、よろしければそちらもお聞きくださいませ。

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御文章のQ&A

御文章とは

御文章とは、本願寺の8代目の門主の蓮如上人(1415~1499)が書かれたお手紙のこと。

戦国・室町時代と戦乱の時代に、全国の門信徒たちに向けて、やさしい文書をもって浄土真宗の教えを広めました。

言葉・法話で伝えるとその場の人には伝わっても、それ以上は広がりません。

文書に残されたのは、その文書を受け取った人が読み、またそれを多くの人に蓮如からの法話だと、文字の読めない人にも読み聞かせることができるからです。

またお手紙を大事に保管し、繰り返し何度でもずっと、浄土真宗の教えにふれることができます。

200通余りが現存し、そのうち80余りを5帖(5冊)にまとめたのが「五帖の御文」と呼びます。ご家庭の仏壇によくあるのは、さらに厳選した20通余りを一帖にまとめたものです。

御文章は宗派によって呼び名が違います。

  • 本願寺派:御文章(ごぶんしょう)
  • 大谷派:御文(おふみ)
  • 興正派 :御勧章(ごかんしょう)

浄土真宗のお坊さんは、「蓮如のお手紙」とも表現します。ご門信徒からは「ごぶんしょさん」と呼ばれることもあります。

一例ですが、真宗木辺派では蓮如の御文章を読みません。その代わり、木辺派の第4代、存覚上人の浄土真宗の要点をまとめた「御安心章(ごあんじんしょう)」を読みます。

一帖と五帖の御文章箱

蓮如のお手紙の入った箱のことを「御文章箱・御文箱」とよびます。

多くのご家庭には、20通余りに厳選した一帖の御文章箱が置かれています。

一帖の御文章箱

一帖の御文章箱

一方で、ご家庭によっては五帖すべてを納めた御文章箱を置かれていることもあります。

五帖の御文章箱

五帖の御文章箱

順番に一帖目・二帖目と、80通が納められています。

主に読まれるのは五帖目の内容ですので、五帖の御文章箱でなくてもよいのですが、もちろん五帖の御文があれば丁寧です。

御文章はお仏壇のどこに置く

御文章はどこに置く?

御文章の置き場に悩まれる方はけっこういます。

まず基本は、御文章箱に納めます。そして置き場は、仏壇を正面に見て左側に置きます。仏様から見て右手の位置です。

仏壇の中に置きますが、畳の上でも御文章台があれば大丈夫です。

かっけい
かっけい

御文章はお経本と同じように、畳の上に置きっぱなしにしないようにね

それと大事な点として、読経する人の手の届く位置に置きましょう。お坊さんがお参りしても、御文章箱が仏壇の奥にしまわれて取り出せないことがあります。

お仏壇のお飾りは、お寺のお飾りに準じています。

お寺では本堂の内陣の右余間、つまり仏様の空間の右側に御文章箱を置いています。

これに準じる形で、一般家庭の仏壇でも仏様から見て右側、お参りする人の左手側に置きます。

ちなみにお仏壇によっては、御文章を納める引き出しが備え付けられていることもあります。

【まとめ】御文章箱の置き場
  • 仏壇を正面に見て左に置く。仏様から見て右の位置
  • 仏壇近くに置くのがよいが、畳の上でも台があればOK
  • 畳の上に直置きしないこと
  • 読経する人の手の届くところに置く
  • お寺の置き場所に準じている

宗派や地域によっては仏壇の中央に置くこともある

御文章がない場合は?

お仏壇を新しく設置したときに、うっかり御文章箱を忘れることもあるでしょう。

ひょっとしたら普段読まずに、どこに片づけたのか分からなくなり、いざ見つからないこともあるでしょう。

そんな時はお経本の最後の方に、2~4通ほど納められていることがあるので、それで読むこともできます。

御文章の関連記事

2019年の円龍寺本堂での報恩講法要で、布教使が最後に蓮如上人のお手紙から「猟すなどりの章」を拝読しました。リンク先では、私が猟すなどりの章の現代語訳をしました。布教使の読んだ猟すなどりの音声は45分44秒からです。

それと本願寺8世の蓮如上人のお手紙は、両本願寺の大谷派や本願寺派で読まれるだけでなく、真宗興正派でも読みます。真宗興正派の第14世蓮教上人が1481年頃に蓮如と歩みをともにして、京都山科に興正寺のお堂を再興したご縁があります。

興正派興正寺については、以下のリンク先で詳しく説明しました。

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