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寺の門で礼をする理由.#138

第138回目のラジオ配信。「門での礼」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

ラジオテーマ「礼」の内容まとめ
  • 寺の門をくぐるときは一礼する
  • 寺は仏の教えにであい、育てられる場所
  • 浄土真宗の寺は「念仏の道場」ともいわれる
  • 礼は道場としての礼儀作法
  • 門には仏様が安置されることもある
  • 仏間に入る時にも礼をする

かっけいの円龍寺ラジオ

この番組では香川の浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。

136回目の配信では寺にお参りする時の作法をお話ししました。その中で、門をくぐる時やお堂の中に出入りする時は一礼しましょうということを紹介したのですが、そのことについて、なぜ一礼するのですかという質問を受けましたので、今回の138回目の配信は、その質問にお答えするお話をします。

テーマは「なぜ一礼するのか」です。

ではさっそく、理由をお答えします。一礼する理由は、寺は仏様をまつる空間であり、仏の教えに出あい、育てられる場所だからです。

スポーツの世界でも、日本人は似たようなことをしていますよね。

例えば、野球やサッカーをしている人なら、グラウンドに入る時出る時に一礼しますし、陸上競技をする人もトラックに入る時出る時に、トラックに向かって一礼しますよね。

私が最近見た中で印象的だったのは、5月15日に横浜であったトライアスロン大会です。

日本人選手はゴールした後に、走ってきた最後の直線コースに向かって一礼してましたが、外国人選手はされていませんでした。

私の勝手な想像ですが、寺や神社、またスポーツなどで礼をするのは日本的な作法なのだと思います。

寺で礼をするのは、「道場」に入るときの「道を学ぶものとしての最低限の礼儀作法」とされているからでしょう。

浄土真宗の寺は、別名、「念仏の道場」といわれます。

念仏の教えに出あい、念仏に育てられるという、念仏をとなえ、伝えていく場所です。

要は私自身が、道場・寺に入ることで、稽古されていくということです。

これはスポーツ、例えば、柔道や剣道など、また茶道や華道など、道と名のつくものはすべて同じことが言えることでしょう。

道に入るというのは、学び育てられるということなので、学ぶ場所・修行する場所という思いがあり、礼をするのだと思います。

別に、そこに神様がいるだとか、仏様がいるだとか、挨拶するだとかそういう意味があるのではなく、学び育てられているという意識があるからこそ、私たちは礼をして門をくぐっているのではないでしょうか。

106回目のラジオでお話しましたが、寺の門というのは、仏さまを敬い、仏の教えを聞いていくためのものです。

門は仏の教えにであっていく象徴となるものです。

門は内と外を意識として隔てるものであり、礼をすることで、自ずと気持ちが引き締まるのではないでしょうか。

少し話は変わって、この5月は運動会をする小学校・中学校がかなり増えてきたようです。この前、学校の先生のお話を聞きますと、運動会も以前よりも規模を縮小して、午前中のみでやめて、お昼もなし、保護者は2名までと、だいぶ簡素なものになっているそうです。

先生の会場設営の準備もだいぶ減ったようですが、入場門と退場門はかならず設置するそうです。

やっぱり門の役割は大事で、門をくぐることで、子どもたちは運動会をしているんだという意識に自ずとなるんだと思います。

寺に参る時に寺の正門をくぐる理由、門で一礼するのにもそんなわけがあるのだと思います。

仏を敬う気持ちからするのはもちろんのこと、仏の教えに出会い育てられる道場としての礼儀作法です。

ついでにもう一つ理由を付け加えるとすれば、門をくぐることは、仏様のもと・そばを通り抜けることになるので、失礼にならないようにというのもあると思います。

本山のような大きな寺に行きますと、寺の山門には、仏像が安置されていることがあります。

例えば、浄土宗の本山知恩院だとお釈迦様の像、臨済宗の本山南禅寺にもお釈迦様が門の上に安置されています。

浄土真宗でも東本願寺では、境内の東に位置する真宗本廟の額が掲げられている山門の上に、お釈迦さまと弥勒菩薩と阿難尊者の像が安置されています。

東本願寺の門の上にこれらの像が安置されているのは、浄土真宗の一番大切なお経である、仏説無量寿経が説かれているときのことを表現しているからです。

門をくぐる時から、すでに仏様の教えに出あう場に入っているのですから、仏様のそばを通過する時には、礼をしましょうということです。

ちなみに東本願寺の山門の上には、仏舎利、お釈迦様の遺骨が納められているらしいですよ。

以上で2022年5月31日配信の「門で一礼する理由」のかっけいのラジオはここで終了します。他にもなにか聞きたいことがありましたら、またメールなどで、ご質問くださいませ。

さいごに余談ですが、お堂に入る時も同じように一礼します。

門に入る時と同じ理由で、仏様を敬い、仏の教え・念仏の道に入る時の礼儀作法だからです。

仏様をまつる空間に入る時は必ずします。それは寺に限らずです。

例えば、一般ご家庭でも、仏壇のある部屋、仏間やお内仏といわれる部屋に入る時は、お坊さんも皆さんも一礼してから入ります。

家にお参りに来たお坊さんをよく見てほしいですが、仏間に入る時に、頭を下げていると思います。

お参りの皆さまからは見えにくいですが、お坊さんは本堂の裏から、寺の堂内に入る時も一礼し、仏様の真後ろや横でも一礼します。

浄土真宗では「頭が下がる」のがお念仏に出あう大切な姿勢なのですが、実際には、なかなか頭がさがるというのは難しいことでしょう。

礼というのは頭がさがらない私に対して、頭を下げて、素直な気持ちで教えを聞きなさいよという仏様からの呼びかけだと私は思います。

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お辞儀の角度

約45度の角度の礼拝(らいはい)

「礼拝(らいはい)」とは、一般的に仏前とかで、両手に念珠をかけ胸もとで合わせ、45度の角度で上体(頭)を下げることをさします。

「合掌・礼拝」と礼拝は合掌とセットのことが多いです。

約15度の角度の揖拝(ゆうはい)

「揖拝(ゆうはい)」は、合掌をせずに15度の角度で上体(頭)を下げること。

今回のラジオテーマのように、山門やお堂に出入りするとき、仏の近くを通るときに頭を下げるときにするのが「揖拝(ゆうはい)」です。15度の角度の浅いお辞儀です。

門をくぐる時に、深々と45度や90度の角度で拝む必要はないです。

90度の仏足頂礼や投地礼

浄土真宗の礼拝の姿勢は、ふつう45度か15度の2種類ですが、場面によっては頭を畳につける「仏足頂礼(ぶっそくちょうらい)」や「投地礼(とうちらい)」があります。

ですが、門をくぐる時やお堂に入るとき、合掌礼拝ではしなくてOKです。

「円龍寺かっけいラジオ」では、番組へのメッセージを募集しています。ご感想や取りあげてほしいテーマなどもお寄せ下さい。



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