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お仏飯とパン.ラジオ#39

第39回目のラジオ配信。「お仏飯(ぶっぱん)」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

ラジオテーマ「お仏飯」の内容まとめ
  • お仏飯とは仏様へのご飯のお供え
  • お仏飯は朝に供え、昼までに下げる
  • お仏飯は炊いたご飯が基本だが、パンでもOKとなってきている
  • お仏飯のお供えは、いのちの恵みとご縁に感謝するため
  • なかなかお仏飯をお供えできない時は、朝でも昼でも夕でもいいのでお米を炊いたときにお供えする
  • 法事のような特別な仏事でもご飯を炊くこと

2020年4月28日に放送の今回はいただいたご質問から「ご飯の代わりにパンをお仏飯としてお供えしてもいいのか」についてお話します。

テーマは「お仏飯」です。

さてお仏飯をパンにしてもいいのかという質問ですが、そもそもお仏飯というのをあまりよく知らない人もいるでしょう。

お仏壇で仏様にお参りする時にお供えするものとして、どの宗派でも基本的に、お花(生花)・お香・お光(蝋燭)・お仏飯(ご飯)、この4つがあります。

ですがお坊さんの私が祥月参りとかで家にうかがいますと、お花・お香・お光が供えられても、お米のお供え・お仏飯が供えられていない、忘れられていることが多いです。

そもそも供えなければならないことを知らない人もいます。

仏教宗派や地域によってお仏飯の言い方や作法は微妙に違いますが、基本的な作法をここでは言います。

まずは、お仏飯は午前中にお供えし昼までにお下げするのが原則。これを知らずに年間365日、いつまでもあげっぱなし、カビが生えたり、カチカチのお米をあげている家もあります。

朝・午前中にお供えし、お参りしたら下げます。

というのもお釈迦さまがインドで修行されていたいた時代のお坊さんは、一日に朝一食を食べていたとされるからです。

朝起きて街に出て托鉢をして、そして修行の場所に戻り、お昼までに托鉢した食べ物をいただいていたからです。

だから浄土真宗では仏様とともに食事をすることから、朝にお供えしたお仏飯は昼までに下げるのです。

また当時のインドのお坊さんは托鉢の食事を朝食べていたのですが、自分が必要な分だけ食べれば、他の修行僧や人、動物にも分け与えていたとされます。

そんなわけで、私たちもお下げしたお仏飯は仏さまから分け与えられたご飯だからと、食べたらよろしいのです。決して捨てる必要はありません。

お仏飯をパンにしてもいいのかという話の前に、もう一点補足します。 

お仏飯はご飯が作法ですが、より正確に言えば、焚いたばかりのお米をお供えします。数日前のだいぶ時間のたったお米はよろしくないです。

というのもお仏飯は、私たちの余り物・食べられないものをお供えするのではなく、大切な物・お初物、その時食べようとしていたものを、まずもっとも尊いお方、仏さまにお供えする気持ちが大切だからです。

自分たちがご飯を食べてからお仏飯を供えるのではなく、まずお仏飯を供えてからご飯を食べるのがよろしいです。

さてご質問者様は、こんなことを聞きたかったのではなく、ご飯の代わりにパンを供えてはダメなのかと聞きたいのでしょう。

これはだいぶ前から、言われ続けてきた質問です。

原則としてお仏飯は炊いたお米です。ですが、最近では毎日お米を焚く家庭も減り、パンばかりを食べる家も多いことでしょう。

そんなわけで各仏教宗派では、パンのお供えをしてもいいとお応えしています。ただし、ご飯を炊いたときには朝でも昼でも夕でもいいので、まず一番にご飯のお仏飯をお供えしましょうと付け加えています。

また法事のような特別な時には、ふだんあなたがパン食であったとしても、炊いたご飯をお供えしましょうとお応えしています。

というわけでご質問への答えは、パンでもとりあえずOK。ただし大切な仏事の時には、ご飯を炊きましょうねということです。

それでここからは、お仏飯に対する補足です。

今回ではないですが、「なぜ、ご飯じゃないと駄目なの?」「お米が主食だからっていうけど、昔の日本人はお米を食べられる人少ないでしょ。」「お釈迦さまはお米を食べていないんじゃない」「お仏飯は何のため?」といった質問もいただくことがあります。

宗派によって考え方が異なると思うので、浄土真宗お坊さんの私が個人的に思っている考えを説明します。

ご飯じゃないとダメなのという質問ですが、先ほども説明したように、現代ではパンでもまあいいかなあとなっています。基本はご飯ですよ。

で炊いたお米、ご飯の理由は主食がお米だからと言うと、昔の日本人の多くはお米を食べられなかったのに、お米を主食とするのはおかしいと言われます。

たしかにお米は年貢として納め、ご飯を食べられていたのは一部の人だけでした。

しかし作物のお米、稲作は縄文時代の終わり2500年ほど前に日本に伝わり、日本の風土・貯蔵といった観点から2000年以上、日本各地で作られてきた貴重な食べ物です。

一般民衆が毎日気軽にお米を食べられるものではなかったでしょうが、言い換えれば、それだけ貴重なものであり、私たちが愛してやまない食べ物をまず仏様にお供えしているんだという感謝につながると思いませんか。

主食のお米を仏前に供えるというのは、今私がパンを食べてるんだからパンでいいじゃないではなく、これまでの私たちのご先祖が2000年以上にわたり大切に作り続けてきたものを供えているという感謝と繋がりの意味が強いように私は感じます。

またお釈迦さまはお米を食べていないと言われる人もいますが、私はその根拠を知りません。また私はお釈迦さまはお米を食べていたと思っています。

稲作がはじまったのが、7000年ほど前の中国の南にある雲南省やインドの北東部のアッサム地方が有力だとされています。

アッサム地方はお釈迦さまがお生まれになったところに非常に近いですね。

またお釈迦さまのお父さん、スッドーダナ王は漢字にすると「浄い米の王」。またスッドーダナ王の兄弟全員が、スッコーダナ、ドートーダナ、アミドーダナというように、全員、ご飯を表わす「オーダナ」が名前についているので、お釈迦さまの生まれた国では稲作が盛んであったのではなのかなあと、私は想像しています。

ですので現代のお米と種類が違うにしても、お釈迦さまの一族もまた、お米を大切にされていたのではないかなと個人的に思ってます。

むしろお釈迦さまはお米を食べてなかったという根拠が何なのか非常に気になります。

次に「お仏飯は何のため?仏さまの食事なの」という質問ですが、浄土真宗では、亡くなった人・ご先祖や仏様が食べるためにお供えしていません、

お仏飯は仏様へのお供えであり、それはお仏壇という仏さまの浄土を表わすお飾りです。

私たちのいのちは、私だけで成り立ち生きているのではなく、あらゆる動物や人の命やご縁によって支えられています。

仏様へのお仏飯のお供えは、そのようないのちやご縁をいただいていることへの感謝、食べ物にめぐまれたことへの感謝と恩恵を共有するためです。

仏様が食べる・先祖が食べるとする人もいるでしょうが、浄土真宗ではそういった考えはありません。

ですので例えばですが、私の家は朝ではなく夕方に、それも一週間に一度しかご飯を炊かない。だからお仏飯をお供えしないというのではなく、いのち恵みへの感謝として、ご飯を用意できた時に、ご飯のお仏飯をお供えし一緒に食べればよいのです。

ちなみにパンのお仏飯でも、食生活が変化している現代ではOKとなっていると言いましたよね。

ただ私がひとつ、パンだと困らないかなあと感じているのが、パンのその形です。

お仏飯のご飯の盛り方は、蓮の蕾や咲いた後の実の状態を形どっているんですね。

仏教では蓮が尊い花とされているので、お仏飯も蓮をイメージしてお供えしているんですが、パンだとどうやって蓮を表現するのか、私は気になります。

お仏飯に関すること

リンク先の記事では次のことが書かれています。

  • 浄土真宗ではお仏飯を2つお飾りする。その理由は、阿弥陀仏と釈迦仏の2尊に対して供えているから
  • お仏飯には、蓮莟形(ハスのつぼみ)と蓮実形(ハスの実)の2つの盛り方がある
  • 檀那寺は門信徒に対して、お寺のご本尊の毎日のお仏飯のために、お米のお布施をお願いすることがある
お釈迦さまの母

スッドーダナ王(浄飯王)はお釈迦さまのお父さんであり、カピラ国の王です。

お釈迦さまのお母さんは「摩耶夫人(まやふじん)」であり、ルンビニーの花園でお釈迦さまを右脇から産んだそうです。

お釈迦さまのお母さんについては、36回目のラジオ放送で紹介したので、よろしければそちらもお聞きください。

お仏飯は白米だけ?

お仏飯は「炊いた白米」を供えることが作法のように言われています。ですがお米を焚く家庭が減り、パン食が当たり前になった現代では、パンを供えても許容されています。

しかしお坊さんの私が現実にお参りに行きますと、パンではなく、ほぼ100%がご飯のお仏飯になっています。まだまだご飯のお仏飯は根強いです。

ちなみに炊いた白米でなければならないわけではなく、普段から玄米や五穀米をお供えする家もありますし、法事の時にはお赤飯や黒豆ご飯やバラ寿司をお供えしている家もあります。パンよりもお赤飯をお供えする家の方がずっと多いのが私の印象です。

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