こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
仏様にお参りする時には3点大切なお飾りがあります。
お光(ロウソク)・お香(線香・焼香)、そしてお花ですね。
仏様にお供えする花のことを、献花(けんか)・供花(くげ)・仏花(仏華/ぶっか)とも呼びます。
お光やお香と違い、花には寿命がありいつまでも飾り続けることはできず、祥月命日や法事のお参りの時にはその都度、生きた花を用意します。
その時にこんな疑問を思い浮かべたことはありませんか。
『どうしてお仏壇やお墓にお飾りする花は、仏様じゃなくて、お参りの人の方に向けるのだろうか?』
その疑問に浄土真宗僧侶がお答えします。
なぜお参りする時にお花が必要なのか。
おそらく私たち人間のイメージとしては、お仏壇やお墓にお花をお飾りするのは、仏様や故人に対して捧げるという思いがあるからでしょう。
もちろんその気持ちは大切だと思いますが、仏前をお飾りするのには別の意味もあります。
お仏壇やお墓へのお飾りというのは、仏様の徳を讃えること、そして仏様の世界を表現するという意味があります。
- ロウソクの光は、仏様の智慧を。
- 線香の煙や香りは、お浄土の清浄さを。
- お花は、お浄土に咲き誇る花を。
- 花瓶の水は、お浄土に満ちている優れた徳の水を。
宗派によって考え方に違いはあるかもしれませんが、お飾りの共通点として、『仏様の徳を讃え、浄土世界の表現』という点は一致するでしょう。
浄土真宗のお仏壇は、阿弥陀仏がおられるお浄土(西方極楽浄土)を表したものです。
お参りする時にお花をお飾りするのは、お仏壇の飾り(荘厳)を満たし、私たちに仏様の浄土に思いを馳せるためですね。
花の向きを仏様ではなく、私たちの向き(こちら側)にする理由。
お仏壇やお墓の花は仏様に向けるのではありません。よくよく考えてみますと、お浄土には既に様々な花が咲いているので、私たちは仏様にお花を手向けるなんておかしいですよね。
仏様へのお飾りというのは、仏様の周りを豪華にすることで、仏様の願いの働きが私たちに向けられていることを示しています。
つまり私たち人間が仏様に対して「ああしてあげよう。こうしてあげよう」と思ってするのではなく、「綺麗な花をお飾りして、お浄土の様相を表現しよう。仏様を讃えよう」と仏様を敬う気持ちからするのです。
そのお浄土の世界を思ってお仏壇やお墓をお飾りし、あちら側の仏様からこちら側の私たちに向けられた仏様のお慈悲の心を頂くために、お花の向きを私たちの向きにするのです。
仏様に向けられたお花を仏様が見て、仏が喜ぶのではなありませんよ。
それは経典を読むのも同じですよね。お経は私たちに向けられた仏様の説法です。
お参りの時に読経するのは仏様に対してではなく、お参りの人達に気が付いてくれよという仏様の願いを頂くためですね。
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さいごに。お飾りする花は無理しない程度に、立派に。
以下余談です。
お花というのは仏様にお参りする時にとても大切なお飾りです。
お浄土で特に尊い華は蓮華とされています。例えば仏様も蓮台という蓮の葉/花の上に座ったり立ったりされていますよね。
お花というのは命の象徴でもあります。
どんなに美しい花でもやがては枯れてしまいます。お飾りする花は仏様の世界を表現すると説明しましたが、それだけでなく仏法を示す場でもあります。つまりは命あるものは必ず萎れ死んでいくということです。
お浄土の世界を表現する花は、いつまでも枯れない造花や、毒のある花、トゲがあり人を傷つける花は相応しくありません。
仏様にお飾りする花はできうる限り立派な花にしてください。ただしそれは決してお金をかけて豪華に飾るということではありません。
枯れた花や粗末な花を飾るのではなく、仏様を讃える気持ちを込めて活けることです。
ですので、四季折々の花であったり、庭で大切に育てた花や、綺麗だなあ美しいなあと感じた花を仏様に供えて下されれば何よりも有難いことです。